B級の家訓

@kannaduki23

第1話

「ご飯まだー?」

 子供らの声が響く。

「あと10分ほどやから、ちょっと待っとれ」

 俺は時計とフライパンを交互に見ながら大体の時間を見積もる。

 嫁さんは布団の上でまったりとツイッターをしている。

 うちの休みの日の定番の光景だった。

 嫁さんは料理を作るのがあまり好きではない。だから休みの日には俺が代わりに作っている。それにはもう一つ理由がある。量を多くして、安くあげることにかけて俺は家の中では一番なのだ。

 食事時になると大皿やどんぶりに盛られた料理に次々と箸が伸びる。本来なら一人の食べる量は決まっているはずなのだが、実際には我先に食材を取り合っている。そのために余るほどの量を作っているはずなのに、どこで計算を間違えたのか足らなくなることもしばしばだ。

 だが、それもいい。家の料理がおとなしくてはつまらない。ワイルドな環境で食べるのもまたいとをかし。


 飯まずくて、幸せなし。

 我が家の家訓である。

 俺が作った。

 食事の質はメンタルに直結する。

 例えば疲れて家に帰ってきたとき、例えばキュウリに塩を振っただけのおかずしかないご飯が出たらどんな気持ちになるだろうか。これで結婚当初や子供が生まれたころは相当もめた。

 あるいはいかにも出来合いのものやインスタント食品ばかり毎日出されたらどうだろう。

 ストレスが溜まっているときにはこうしたはっきりした分かりやすい味を好んでいたが、それと同時に攻撃的な気持ちが芽生え、やっぱりもめた。

 何もインスタント食品が悪いというわけではないがそればかり毎日続くとどうも調子が出ない。手作りがいいのはおそらくいろんな調整が出来るのとその時その時の微妙な揺らぎがこちらの感情に働きかけるのではないかと思えるのだ。

 

実際、料理が雑だと、家の中がギスギスして会話もあまりなくなる気がする。たかが食事かもしれないが、ムードがかなり左右される。

 などと考えながらも、現実を考えると料理は自分で作るのが一番安い。中にはコロッケのような例外もあるが、多くの料理は手間賃や費用や利益が入っているから材料費にそれが上乗せされている分、余分に支払うことになる。

 その点、自分で作ると手間賃はいらないし、自分の好きな組み合わせを選べる。味付けも自分の好みに合わせることが出来る。そしてたくさん作ってたくさん食べられる。いいことづくめだ。問題は面倒くさいことと時間がかかることだが、時々だったらインスタント食品や出来合いの総菜を混ぜてもいい。メリハリとアクセントが効いたほうが面白い。

要は臨機応変にどこまでできるかだと俺は思う。そもそも俺のような一般庶民の稼ぎで多少なりともおいしいものを食べようとしたら工夫しかないし、逆に工夫次第でその辺の小金持ちに負けないような満足のいくものが作れる。

 うちみたいに家族が多いと、逆に冷凍食品は量が少なくて価格がそれなりにかかる分、ぜいたく品になってしまうのだ。あれは子供が小さい時くらいしか使えない。うちの場合はそうだった。何しろいつもおなかをすかせていていくらでも食べるのでどんなに凝った冷凍食品でも量が見合わなく、結局追加で作る羽目になる。それなら最初からすべて作ったほうが安上がりだといえる。

鶏むね肉のから揚げだったら、1キロ揚げても一人100円も行かないが、買った総菜だと下手すればその倍は軽く超える。そこまでして払った唐揚げがおいしくなかったとなれば泣くしかない。スーパーで買った唐揚げの中には肉を食っているのか、衣を食っているのか分からないものがある。そうした悲劇は繰り返したくない。

 そう思いながら俺はスーパーで鶏むね肉を片手に考え込んでいた。むね肉はスーパーミートである。ローカロリー、高たんぱくで筋肉づくりに向いていたり、気持ちを落ち着けたり、安眠効果なども期待できるらしい。

 問題はパサパサ感だ。鶏もも肉と比べて弾力に欠け、ジューシーさが出ない。普通に煮物にしてもあまりおいしいとは言えないから子供たちの食べるペースもどうしても落ちがちだ。炒め物にしたらなおさら繊維質が多く感じられる食感が気になる。だが、あるとき気が付いた。むね肉のほうがもも肉より深みのある良いだしが取れる。むね肉を使った煮込み料理はその煮汁もスープとして飲めるのだ。閃いて、もも肉とセロリと玉ねぎを塩胡椒で煮てみたら、意外と好評で家族全員汁まで飲み干した。調味料は塩と胡椒だけなのに。

 そう、味付けは変に凝らなくても素材との相性が良ければ、結構おいしく食べられるのだ。

むしろ下手にいろんなものを足し過ぎるとかえってお互いの味がけんかしてしまうような気がする。

 それから俺はいかにシンプルに味付けをするかに気を配るようになった。もともと素人の料理だから大した技術はない。

だけど、嫁さんに代わって俺が作っているときは自分なりのやり方を突き詰めたいのだ。

うちの料理は安いこと、量が多いこと、そしておいしいことが何よりも重要となる。どれが欠けてもいけない。それに安い素材だからと言ってまずいわけではない。付き合い方によって全然変わる。

鶏むね肉はパサパサする触感を気にしないで済むように薄切りにしたものを日本酒で揉んで、塩故障したものに小麦粉をまぶしてフライパンで両面焼いてみた。

小麦粉の衣をまとうことでむね肉のうまみが中に凝縮されて逃げないので、十分なおかずになる。六人家族で鶏むね肉2枚でも満足度は高い。

付け合わせにもやしを使う。半額で買ったもやしは傷むのが早く汁が出て酸味を増すので、そのままでは食べにくい。かといって洗ってしまったらせっかくの栄養価がだいなしになってしまう。

そこで考えたのがまずニンニクを二片ほどみじん切りにして油で炒め、そこにもやしを投入、醤油と輪切り唐辛子でさっと味付けし、仕上げに火を止めてからマヨネーズを加えて和えてみた。「もやしのガーリック醤油マヨ」である。

 これにえのきだけの味噌汁を添える。

 うちはこれでおかずだけだと一食500円しない。一人前ではない。家族6人分だ。

 もちろん、もっと節約して、もっと安くあげることもできるだろう。

 そこで家訓である。

「飯まずくて、幸せなし」

 幸せな気持ちになりたければ、切り詰めて極限までけちった料理もできるかもしれない。だけどそんなものを食べて何が楽しいのだろう。

 餌を食べているのではない。

 箸を伸ばした時に、もっと食べたいと思えることが大事なのだ。食べた後で「おいしかった」と思えることで人は幸せになる。今日のご飯が何かなあ、と思えるのは幸せなのだ。日々の食事がエサになっていたら、せっかくの楽しいはずの食事の時間が苦行になってしまう。

 だから作るほうは大変だ。家族にワクワクしてもらわないといけない。食事の時間が楽しみにならないといけないのだ。見た瞬間にがっかりするようでは幸せにはなれない。

 だから工夫して同じパターンを繰り返すことなく、相手に期待を持たせる。見ただけで食べたくなる、それが何度目かであっても飽きずに食べられる、そうした料理作りが要となってくる。栄養やバランスだって考えなくっちゃいけない。別に一度の食事に偏りがあったってかまわない。三食通じて、あるいは数日単位でまとめてみた時にそれなりにバランスが取れていたらうちでは良しとしている。毎回毎回規則に縛られていたら作りにくいことこの上ないけど。何回かに分けたら肉主体だったり、野菜主体だったり、炭水化物メインだったりいろんなバリエーションがこなせる。またそれなりに融通が利かなけ蹴れば作るほうも食べるほうも息が詰まってしまう。

 何も考えずに食べて、それなりに偏りなく栄養が取れていたらそれでいい。多少の好き嫌いはあっても嫌いなものは無理をして食べるのではなく、それを食べなくても他で補えるような何かを考えればいい。食卓にあれやこれやと規則を持ち込むことは飯をまずくする。

 だからうちの食事のルールは一つだけ。

「公平」だ・

 大人も子供も出来るだけ公平に食べる。独り占めはしない。

 それさえ守れればいい。そこには贔屓も忖度もない。ただし、翌日に残った場合は早い者勝ち。こうすることでいつまでも遠慮して残っているようなことはなくなり、キレイに片付いていく。

 安い素材というのは調理法がよく分からなかったり、捨ててしまう部分だったりして使い勝手がよくないものもある。だけどそれだって料理次第でおいしくできる。

 例えばマグロの血合いはかなり癖が強く、煮炊き物にしても誰も好んで食べようとしなかった。魚なのにどこか獣臭いような不思議な感じが避けられた原因の一つだったようである。

 だが逆にこれを肉として考えることで突破口が見つかった。血合いの両面を塩胡椒で揉み、にんにくの薄切りと一緒に油で両面焼くのだ。いわば「血合いのガーリックステーキ」だ。

 血合いの持つ生臭さがニンニクの臭みとマッチして違和感が無くなり、ご飯のお供としても非常に人気のあるメニューとなった。

 さらに血合いをスライスして衣をつけて「血合いカツ」としてあげたら、取り合いになるほどの人気だった。このときはパックで300円ほどだったので、これで食べ盛りの子供らが喜んでくれるのなら安いものだった。

 俺は休みの日になるとスーパーで安い食材を探した。鳥の皮だって料理の仕方によってはごちそうになる。キチンと脂を抜いた鳥皮で作る親子丼はコクが段違いだし、スジ肉も使い方次第で普通の牛肉以上の働きをする。特にカレーに深みを増すためにはこのスジ肉から出るだしはこれより高価な牛肉の角切りに勝るとも劣らない。そのためならほんの少しの時間、長めに煮ても全く苦にならない。ニンニクや生姜、フルーツをふんだんに入れたら特にこった調理をしなくてもそれこそ家で食べるカレーとは別次元のものに変わる。

 何も高級な素材をわざわざ買わなくても、おいしく食べる方法なんて幾らでもある。だからうちはおそらくほかの家庭と比べると思わぬものがごちそうになっている。

 おそらくうちは家のごはん自体がB級グルメ的な位置づけになっているのだろう。すべて手作りなので愛情はこもっていると信じたいが、同時にそこはかとない胡散臭さが漂っていることも否めない。むしろその胡散臭さ自体がスパイスとなって家族の食欲を刺激している。

 うちはステーキやカニなど高級な外ご飯に行く余裕はない。ふぐなんてものを家族で食べることなんてできない。独りで食べても贅沢なものは家族で食べたらさらに贅沢なのだ。だけど、本当においしいものを知っていたら幸福感を味わえる。

「お前ら、めっちゃうまいたこ焼きと普通のステーキ、どっちがいい?」

 返ってくる答えはもちろんたこ焼きである。牛のしっぽより鳥の頭のほうが値打ちがあると家族は本能的に知っている。それにステーキなら何度も食べられないが、たこ焼きなら食べる機会はいくらでもある。めったに食べられないものも悪くはないが、普段使いで美味いものを食べることのほうがよっぽど重要だ。

 たこ焼きだって本当においしいものを作ろうと思えば技術がいる。シンプルだからこそ奥が深い。といってもうちはチーズや餅やベーコン、コーンなどが入った変わりたこ焼きはあまり食べない。あくまでオーソドックスな具はタコのみのソースたこ焼きに限る。これだって油が悪かったり、焼き加減がまずいとただのしつこい料理になってしまう。美味いものを食べるのは難しいのだ。

 長いもが安い時はすりおろして出しで味付けしてネギやアミエビと一緒に焼いてもいい。お好み焼きとはまた違った食感が味わえる。

 どちらかというと居酒屋の料理に近いかもしれないけど、こうした料理は子供だって大好きだ。勿論、大人もだけど。

 うちはインスタ映えするようなおしゃれな料理は食べない。盛り付けだって凝ることはない。大盛り一択だ。家族で気取っても仕方がない。取りやすければそれでいい。

今日も飯がうまい。

幸せである。


                    完

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