2050年5月22日 カレー事件

「2050年 5月 22日


 カレーは、ほんばの人みたいに手づかみで食べないの? どうして? と言ったら、あやのさんがないてしまった。いじわる、だって。

 このことを初海さんにはなしたら、はやくなかなおりできるようになりましょう、と言われた。でも、それって、むずかしいのよね…」


        ***


 …そうだった。

 あのスパゲッティの給食の1週間後の「世界の食事の日」は、カレーだった。それも、そんなに辛くはないけれど、サフランライスと食べる本場っぽいやつで。


 クラスのほとんどの子が好きなカレーだから、みな大騒ぎ。綾乃さんも、嬉しそうにスプーンでカレーとライスを混ぜては口に運んでいた。そのとき、先週のできごとが私の頭をよぎって、それにちょうどその少し前にドキュメンタリー番組を見ていたこともあって、だから、私は彼女に近づいて、言ったのだ。


「本場では、カレーは手づかみで食べるんですって。それも右手だけで。どうして、綾乃さんは本場のやり方で食べないのかしら? 本場のやり方で食べないのは、おかしいんじゃなかったの?」


 綾乃さんは一瞬ぽかんとした顔をして、次の瞬間、

「なによ! 貴禰さんの意地悪!」

 そう叫んで、わっと泣き出した。意地悪? 私が、意地悪?


        ***


 そんなことがあったもんだから、その日の帰り道、私はちょっと不機嫌だった、かもしれない。だって、自分では普通のつもりだったけれど、学校帰り、初海さんが私を出迎えて早々に、何かありました? と聞いたから。


 初海さんは言った、何気ない口調で。

「今日は、学校どうでした?」

 私は答えた。

「まあ、普通よ。ちょっといざこざはあったけれど」

 と。


「いざこざ、ですか? クラスの誰かと?」

「ええ。まったく話になりゃしない。泣けばいいと思っているのよね」

「え? そのいざこざで、誰かを泣かせたんですか? 口論でも?」

「口論じゃないわ、自分の考えを言っただけ」

「どんな?」

「聞きたい?」

「そりゃ、気になりますね。ご自分のお考えって、何かしらって。でも、話したくないなら話さなくていいですよ。それは貴禰さんの自由です」

「そう…」


 私の、自由、ね。少し考えてから、たいしたことじゃないんだけどね、と前置きして、“カレー事件”の顛末を話してみた。


        ***


「結局、先生が私たちの、そして周りのみんなの話を聞いて、このことについて、今度みんなで話し合ってみましょうって言ったのよ」

「…貴禰さんと、その綾乃さんは、普段は仲がいいんですか?」

「え?」

 訊かれると思っていなかったことを訊かれて、きょとんとした。それから、まあ、そうね、仲良しなほうかも、と言った。言いながら、気づいた。綾乃ちゃんが泣いたことも去ることながら、これも、自分が悶々としている原因かも?

 そう思ったとき、初海さんが、仲直りはしました? と尋ねてきた。


「してない。て言うか、喧嘩じゃないし。私は私の意見を言っただけだもん」

「本当に?」

「…え?」

「ただ、事実を指摘しただけですか? 他意はなく?」

「たい?」

「他に何か考えていたことは、なかったんですね?」

 そう聞かれて、ちょっと言葉に詰まった。だって、あのとき、確かに先週の給食の時間のことが頭にあったのだから。だから、正直に言った。


「いいえ、違うかも。あのときはただ正しいことを言っただけ、と思っていたけど。でももしかしたら、仕返しみたいな気持ちも、あったかもしれない。

…それは、よくなかったかも」


「じゃあ、早く仲直りしないとですね」

「…わかってるけど、でも、仲直りってそう簡単にできることじゃないのよ?」

 こんな状態のとき話しかけるのって、まして仲直りを持ち掛けるのって、すごくメンタルに来るのよ―。初海さんは、確かに、その気持ちはよくわかります、私も、私も随分経験してきました、と言い、さらに、これまでにない静かな声で、

「貴禰さん、簡単じゃなくても、そういうことができるようになりましょう。これは大事なことだと私は思います。人間、いつ何が起きるかわかりませんから。それはたとえ子どもでも、同じことです」

 と言ったんだった。


「いつ何が起きるか、って…」

「こうしているうちにも、どちらかの身に何かがあって二度と会えなくなることも、あり得るんです」

 確かに、そうね。私は強くそう思った、そして、常にそのことを心に留めて生きて来た。とはいえ、この歳になっても、実践はまだまだ難しいのだけれど。

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