これってば、ほんとうに奇跡
お父様が各方面に熱心に声掛けをしてくれたけれど。1ヵ月が過ぎても、ねえやになってくれそうな人は見つからなかった。正直、がっかりな気持ちは隠せないかったけれど、そりゃそうよね、無茶だもの、そう思おうとした。
だけど、それからさらに1ヵ月して、1人の女の人が屋敷にやって来た。
忘れもしない、あれは1月16日。とてもとても寒い日で、厚手のウールのコートとマフラーにすっぽり覆われてやって来たその人は、ごく普通の
そう、それが、その後の9年間を共に過ごすことになった、佐納初海さん(今は、矢城野さんだけど)との、最初の出会い。
***
本当に、初海さんとの出会いは奇跡。とても不思議なご縁があったと、今も思う。
もしも、彼女の実家の料亭がそのまま存続していたら。初海さんはきっと後を継ぐ勉強を続けていたし、当然、私の『ねえや』にもならなかった。
もしも、初海さんの実家『さのうや』と私の家に食材を納めていたのが、
もしも、初海さんの、顔も知らない高校の“友人”ゆいさんが(この話は、彼女から何度となく聞かされた)背中を押さなかったら。初海さんは、この仕事を受ける決断をしなかったかも。
どのご縁1つ欠けても、―それを想像すると、本当にぞっとするんだけど―私は、初海さんと出会えなかったし、一番の大好物の『さのうや』さんの出汁巻き卵を口にする機会を永遠に失っていたかもしれない。
***
初めてあの出汁巻き卵を食べたのは、3歳のとき。七五三のお祝いで連れて行ってもらった料亭で食べたそれは、普段食べる卵焼きとは全く違っていた。そうと言われなければ、それが卵料理だということも、幼い私にはわからなかったかもしれない。
いつも食べる、ふんわりしたスフレオムレツも美味しいけれど、半熟の目玉焼きも大好きだけれど、でも、この出汁巻き卵は本当に美味しくて。以来、私は、お土産は何がいい? と聞かれるたび、さのうやさんの出汁巻き卵、と、繰り返した。街中の料亭に行く機会は、子どもには滅多にない。テイクアウトを味わうのがせいぜいで。確かにそれも美味しいけれど、やっぱり、でき立てのとは何か違う気がしていた。
だから、7歳の七五三のお祝いの宴席の話が出たとき、私はすぐに、
「さのうやさん! さのうやさんに行きたい!」
と声を張り上げたの。そして、続くお母様の、
「あら、残念ね。あのお店は、この夏に閉店したのよ」
という声を聞いたときには、目の前が真っ暗になった気がしたのよね。
だから、この奇跡的な巡り合わせに、私は、半世紀以上経った今なお、心から感謝している。
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