1−2

 彼女は沖名に想いを寄せていた。直接本人の口から聞いたわけではないが、彼が傍に来た時の表情を見れば、恋愛沙汰に疎い秋絵にも察せられた。ここは黙って応援するのが友情と思い、秋絵は中学時代から数々のアシストをしてきたつもりだったが、根が内気な倫子ゆえ、沖名と引き合わせても二人の間に恋が芽生える気配は一向に見られず、とうとう高校生になってしまったのである。

「わたしはともかく、倫子は同じクラスになるといいね。沖名と」

「え、な、何で?」

 たちまち赤くなる倫子を見ていると、裏切れないなと改めて思う。倫子の気持ちを知っていながら、沖名の気持ちを受け取るわけにはいかない。

 ひょっとすると、〈円環〉(秋絵は己の遭遇している奇妙な現象をこう呼ぶ)の原因はそこにあるのでは、と考えたことがないわけではない。つまり、沖名の告白に頷けば、沖名と交際を始めれば、この堂々巡りの中から抜け出せるのではないか、と。だが彼女は、未だ首を縦に振る決心がつかないでいる。

 踏ん切りがつかないのは、もし次がなかったら、という思いが頭を過るためである。もし三月が来て、そのまま何事もなく以降の人生が進んでいくとしたら、わたしと倫子の関係はどうなるのだろう?

 もちろん、沖名のことだって気に掛かる。その気がないのに承諾したのでは、先行きどうなるかなんて考えるまでもなく見えている。破局となれば、待っているのはやはり、気まずさに満ちた毎日だろう。

 どちらかを取れば、片方が沈む。いや、現段階では〈円環〉からの脱出を試すのはリスクが高い。そもそも本当に〈円環〉が起きているという証拠がどこにもないのだから。

 秋絵は時々、自分が長い夢を見ているのでは、と思うことがある。同じ一年がずっと繰り返されるなんて馬鹿な話が許されるのは、夢の中ぐらいのものだ。夢は自由が利く。ずっと高校一年生でいたいという潜在的な願望が、このような夢を見せているのかもしれない。

 もっとも、そうした考え方が単なる気休めでしかないことを、彼女は既に知っている。〈円環〉そのものを除いては、色々な物事が理路整然としているのである。夢特有の不条理な展開や、目まぐるしい場面転換もない。夜になれば眠くなるし、起きれば、起点の一日を除いてはちゃんと翌日の朝になっている。頬を抓れば痛みが走る。ここは見紛うことなき現実なのである。

 この〈円環〉については、誰にも話をしていない。正確には。こんな話、説明したところで信じてもらえるわけがない。頭がおかしくなったのだと嗤われるか気味悪がられるのが目に見えている。もし自分が逆の立場だったら、やはりそんなことを言う人間からは距離を置くだろう。

 或いは倫子なら真剣に話を聞いた上で信用してくれるかもしれない、と思うこともあった。実際秋絵は、これまで何度か倫子に打ち明けようと試みた。だが、こちらも寸でのところで踏ん切りがつかなかった。もし彼女に奇異の眼で見られたら——。そうした危惧が一瞬でも過ると、それが頭に焼き付いて離れなくなる。結果、喉が目詰まりを起こしたようになり、何も話せなくなった。普段優しい倫子だからこそ、彼女に嫌われることが恐ろしい。もし嫌われたまま〈円環〉を抜けたりしたら、それこそ目も当てられない。

「秋絵?」

 呼ぶ声で我に返ると、倫子が顔を覗き込んでいた。

「大丈夫? 何だか顔色悪いみたい」

「平気平気」秋絵は取り繕うような笑みを浮かべ、手を振る。「昨日夜更かししちゃって、寝不足みたい」

「高校生活初日なのに」倫子が言う。「初めが肝心だよ。何事も」

「ほんと、そうだよね」あははは、とわざとらしくならぬよう気を張りながら笑う。笑顔の裏では、初めが肝心、という声がこだまする。なるほど、わたしは〈初め〉でしくじってしまったから、ここにこうしているのかもしれない。思い当たる節はいくらでもあるし、いくらもないような気もする。

 いずれにせよ、沖名の件だけは煌々と輝きを放っている。目を背けることもできないほど眩い光が、視界の端に躍っている。

 学校が見えてきた。門の脇には、赤と白の紙花で飾られた入学式の看板が立っている。

 これからわたしは、見る必要のないクラス分けの表示に目を通し、倫子と手を取って喜び合うことだろう。教室に入れば、「またお前と同じかよ」という沖名と軽口の応酬をするに違いない。わたしはそれらを、どうしたいのだろう。もう繰り返したくない、見たくないものとして、捨て去りたいのだろうか?

 沖名の告白を、受け入れてみようか。そんなことをぼんやり考えながら、秋絵は倫子と共に校門を潜る。

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