隣の家族
佐藤ムニエル
1−1
長女(7回目)
やはり、門を出た所で声を掛けられた。
「おはようございます、
振り向くと、隣の家の兄妹がランドセルを背負って立っていた。
「おはよう、二人とも」秋絵は笑みを作った。「今日から新学期ね」
当たり障りのないやり取りをし、二人と別れる。去っていく赤と黒のランドセルを見送ると、早くも体の芯に疲れを感じた。あの二人、というより、隣家の住人と接する時はいつも、妙な緊張を覚える。緊張の正体を上手く表すことはできない。だが、強いて言うなら衆人環視に晒されるているような居心地の悪さに似ているかもしれない。
初日の朝からこんなことじゃ駄目だ。秋絵は頬をぴしゃぴしゃと二度叩き、己を鼓舞して歩き出す。もはやこれも、〈毎年〉の恒例となっている。
入学式の朝だというのに、秋絵の胸には希望も高揚も存在しなかった。あるのは〈また同じ一年が始まるのだ〉という無味乾燥な感情だけだ。
飽きるぐらいに通った通学路は、もう目を瞑ってでも歩くことが出来そうだ。〈どこ〉に〈何〉があるのかだけでなく、〈どこ〉で〈何〉が〈いつ〉起こるのかまで彼女にはわかる。事実、信号を無視して道路へ出たサラリーマンはトラックに轢かれそうになったし、歩道橋の下ではお婆さんが荷物を手にしたまま立ち往生していた。ここから三つ目の十字路では
予感が的中するのではない。必ず起こることだと、確信を持っているのだ。
自分は、同じ時間の中をぐるぐる回っている。
異変にはすぐに気が付いた。誰であれ、二度も高校の入学式に出席させられればおかしく思うものである。
名前を呼ばれ、立ち止まる。声の方を向くと、駆けて来る倫子の姿があった。
「おはよう。一緒に行こ」
どこかホッとしたような友人の言葉に、秋絵は「うん」と頷く。胸の内では「やっぱり」と呟く自分がいる。
倫子は中学からの同級生で、秋絵にとっては〈親友〉と感じられる唯一の存在である。三年間を通して同じクラス、席もほとんど隣同士で、共に吹奏楽部に在籍していた。勉強の出来も大体一緒で、高校は同じ所を受験した。敢えて違う所を探すとすれば性格で、秋絵が男女隔てず気さくに接するのに対し、倫子は同じクラスの女子であっても相手によっては言葉を詰まらせた。そもそも秋絵と喋るようになったのも、彼女がたまたま隣の席になった倫子に声を掛けたからだった。休み時間も一人で本を読む倫子に、何を読んでいるのか訊ねたのが始まりだった。
「よかった、途中で会えて。一人で校門潜るの怖かったから」
「大袈裟だな。受験の時も合格発表の時も行ってるじゃん」
「あの時は秋絵が一緒だったから」と言ってから、倫子は俯いた。「もし、秋絵と違うクラスだったらどうしよう」
「それなら大丈夫。心配いらない」
え、と顔を上げる倫子を見て、秋絵はしまった、と胸の内で口に手を充てる。だが、一度外に出した言葉は引っ込めようがない。
「ほら、あたしと倫子は固い友情で結ばれてるからさ」苦しい言い訳だと我ながら思ったが、倫子は納得したようで、そればかりか表情が幾分晴れやかになった。結果オーライ、と秋絵は密かに冷や汗を拭った。
クラス分けの結果も他の事象と同様、過去六回は全て同じである。
と、いうことは——
「
胸の内を見透かされたような言葉にも、秋絵は驚かない。これも過去六回と同じ台詞である。
「沖名君も朝校だよね。もし同じクラスになったら、何年連続?」
「小三からだから、八年」実際は十五年目を迎えようとしている。
沖名とは、ほぼ〈腐れ縁〉というべき糸で繋がれていた。小学三年生でクラスメイトとなって以来、互いに軽口を叩き合う仲で、男女を意識せぬその関係は中学三年間を経ても変わることはなかった。少なくとも、秋絵の方では。
しかし沖名は違ったようで、彼はこの年の文化祭で告白をしてくることになっている。こちらもやはり過去六回全てで起こったことなので、今回も避けることは不可能だろう。初めは面食らって返事をすることができなかった。二度目にははっきりと断ったが、恋愛経験が皆無である秋絵は、その後半年間、彼と目が合う度に気不味い思いをさせられた。三度目以降は〈保留〉という形をとって有耶無耶にしている。答えを迫られる度にはぐらかすのは面倒だが、十年も付き合いのある人間が突然疎遠になることの寂しさと比べれば、費やす労力も惜しくはなかった。
それにもう一つ、沖名の申し入れを受けられない理由がある。むしろこちらの方が大きな理由となっていると言っても過言ではないのだが、その中心にいるのが隣を歩く倫子なのである。
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