よだれがとまらない!

なー

第1話

よだれが止まらない!

  うちの子はとんでもないほどの偏食家で、好きな食べ物を聞けば『フライドポテト』と即答するのが目に浮かぶ。0歳の頃はとにかくバランスのよい食事を心がけ、野菜も肉もフルーツもなんでも食べさせたし、自ら進んで食べていた。

 よく食べて、よく眠る。周りには『びっくりするくらい育てやすい子だね〜』などと羨望のまなざしで見られるほどだった。しかしそれは、しーちゃん(娘)が二歳になるまでに過ぎなかったのだ――。




「ぎゃあああっ!」


 娘が昼食を食べるのを傍で見守っていたわたしは、娘が発した奇声とその光景を受け止めるまでに数秒を要した。


「ちょっ、なにやってるの……⁉︎」


 娘に一切の悪気がないのは分かっている。とはいえ、娘の喜ぶ顔を思い浮かべながら自分なりに頑張って作った昼食は、席に着いてからものの数秒で床にぶちまけられた。

 私のつくる料理がまずいのではないか、もっと工夫をしなければならないのでは――そんな様々な思いが瞬時にこみあげる。しかし夫は『なに食べても美味しい!』と私の作った料理を毎日ぺろりと平らげるのだ。それが、私にとっては唯一の救いだった。




 そして月日は流れて、娘は現在四歳になった。あの頃から二年経った今でも、私は相変わらず料理の腕前に自信を持てないままだ。今日は土曜日で幼稚園が休みのため、ぶらぶらと街を歩きながら娘が食べてくれそうなメニューのおいてある店を探していた。そこでふと目に入ったのが『しあわせ食堂』だった。


 店に入ると割烹着姿の店員さんが『いらっしゃいませ』と明るく出迎えてくれた。一見するとなんの変哲もない食堂なのだが、席に着いてからメニューを開いてみると、『食べてみて! 絶対美味しい絶品スープ』や『この店ならでは!? ふわっふわ卵とたっぷりあんかけの天津飯』など、これでもか! というほど自信に満ちあふれたメニューの数々が目に飛び込んできたのだ。

 この店なら、しーちゃんのお眼鏡にかなう料理を提供してもらえるかもしれない。私は期待に胸を膨らませた。 

 この店は調理スペースが客側から見えるようになっており、他のお客さんが注文した品を作る様子が着く席によっては間近で見られるようだ。今回案内された席はこの調理スペースのすぐそばであるため、今まさに目の前で調理が行われていた。


 シェフと見られる店員が、大きい中華鍋にごま油を引き、そこに溶き卵を入れて大きく円を書くように混ぜていく。炒めた卵を皿に移すと、今度は鍋に刻みネギを入れてほんのり焼き目がつくまで炒めていく。

 湯気が立ちのぼる鍋に、今度はアッツアツのご飯が豪快に投げ入れられる。もうそれだけでもとんでもなく美味しそうに見えてしまい、私はうるさく鳴るお腹を押さえた。

 ジュウウウッ! 炒めたご飯の香ばしいかおりが辺りに充満する。私だって今すぐフライパンに食らいつきたいくらいなのだから、しーちゃんはもう我慢できないだろうな――と子どものほうに目をやると、なんと子の口端からは、たらりとよだれが垂れていたのだ。

 わかる、しーちゃんの気持ちがよくわかる……っ! はやくその熱々のご飯を、口の中の火傷なんて気にも止めずに頬張りたい……っ! 私も娘と同じくこれでもか、というくらいフライパンの中で揺れ動く輝く食材たちを凝視した。

 次に店員は、中華鍋とは別の鍋から大きい唐揚げを取り出した。唐揚げも美味しそうだな頼めばよかったな、などと考えていると、店員はその大きい唐揚げをタレにひとくぐりさせ、ざくりと音を立てて切ってから炒飯の中に放り込んだ。――まさか、焼豚の代わりに唐揚げ!? これには度肝を抜かれた。焼豚のような甘辛な味付けのタレなのだろうか、考えただけで美味しそうだ……! 店員は手際よく混ぜると、大きな皿にほかほかのの炒飯を盛りつけた。


これで『人々を魅了してやまない、超究極級の炒飯』の完成だ。


「お待たせいたしました」


 大皿に乗せられた炒飯が、私達のテーブルに運ばれてきた。炒り卵にはほんのり焼き目がついているが、卵のつやは損なわれずにしっかりと残されている。タレにくぐらせた唐揚げは衣がカラッとしたままで、見ているだけでも噛んだときに口の中に広がるであろうジューシーさが伝わってくる。そして黄金色に輝く焼飯は、飯粒のひとつひとつが良質な油でコーティングされており、もし手で持ったりなんてしたら炊く前の米のように指の間から滑り落ちそうだ。細かく刻まれた万能ねぎも、焦がした醤油がほどよく絡んで香ばしさを引き立てる縁の下の力持ちとなっているのだろう。

 思わずごくりと喉が鳴ったが、今すぐ食らいつきたい衝動をおさえにおさえて、私は小皿にそれぞれの分を取り分けていくが――。


「ママ〜、ねぎ入ってる? しーちゃんねぎ嫌い」


 野菜嫌いの娘がねぎを見るなり駄々をこね始める。これは雲行きが怪しくなってきた。


「いいからいいから。とにかく食べてみよう!」


 私は娘をそう促して「いただきます」と手を合わせた。すると娘も渋々といった感じではあるものの、スプーンを手に取り炒飯を少し掬ったのだ。小さな喜びとともに、心臓が口から飛び出してしまうのではないか、というくらい極度の緊張を感じながら、私は娘がスプーンを口に運ぶ様子を固唾を飲んで見守った。


「っ! おいしい〜!」


 恐る恐るスプーンを口に運んでいた娘が、次々に炒飯を頬張っていく。あのしーちゃんがネギを食べている……! こんなに落ち着いてご飯を食べられたのなんて、いったいいつぶりだろうか。安堵からか、私の目からは大粒の涙がこぼれ落ちた。なんだか最近よく泣いているなあ、となぜか自分を冷静に分析していると、私のお母さんと歳が同じくらいに見える店員さんが、慌ててこちらに駆け寄ってきた。外で泣いてしまうなんて情けないし、忙しいだろうに本当に申し訳ない――。


「ど、どうされましたか?」

「っ、すみません。炒飯があまりに美味しくて……」


 私は少しでも取り繕おうと、そう言って店員さんに微笑んだ。そんなわたしを見てか、娘が「うん、すっごく美味しい!」と言って笑った。



 あの日家に帰ってきてから、私は起こった出来ごとを詳細に夫に話した。夫は目を丸くして驚いていたが、次の休みに三人で一緒に『しあわせ食堂』へと赴いた。そして再び『人々を魅了してやまない、超究極級の炒飯』を注文し、夫も『今まで食べた炒飯で一番美味い!』とこの上なく絶賛していた。今では家族三人、『しあわせ食堂』の大ファンとなったのだ。


(完)

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