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 場所を移して作戦会議、と莉央が言い出したので大人しくついていってみれば、辿り着いたのはアパートの一室だった。「ここは?」

 彼女は平然と、「私の部屋だけど」

 危うくその場で昏倒するかと思った。莉央はすでに鞄を開け、鍵を取り出している。心の準備さえできないまま、なかへと導かれた。

 アースカラーを基調とした、穏やかな空間だった。部屋の両端の壁は、本とCDが詰まった棚に占拠されている。その上には〈コタンこ〉のグッズがずらりと並んでいた。

 私はあたりを見回してから、今更のように、「独り暮らしだったの?」

「両親が離婚調停中。私を相手の手許に置きたくないって双方譲らなくて、あいだを取ったってことになるのかな」

「余計なこと訊いちゃったね」

「いいよ。ぴりぴりしてる人たちと一緒にいるより、ずっと気楽」彼女は二人掛けのソファに腰を下ろしながら、「隣、座って」

 一瞬だけ躊躇ったのち、従った。乱れ打つ心音が相手に伝わりはしないかと冷や冷やする。 

 当てもなく視線を彷徨わせていると、テーブルの上にあった、無造作に開かれた状態のスケッチブックに気が付いた。鉛筆による下描きがなされている。私の手がモデルを務めている、あのポスターの原型らしい。

「ああ」と莉央は立ち上がり、頁を閉じた。「この絵――正直なところ、どう?」

「コンクール向きのいい絵じゃないかな、と」

「面白い?」

 言葉を探していると、正直に、と念押しされた。私は観念して、

「技術的にはすごく上手い。でも題材は、わりと普通だと思う」

 莉央は頷き、勢い込んで、「そう言ってもらえてすっきりした。紬にモデルになってもらえば確変するんじゃないかって期待してたけど、やっぱり元のアイディアが駄目すぎた。潔く諦める。せっかく手伝ってもらったのに、ごめんね」

「気にしないで。でも訊きたい。最初からいいと思ってない題材を、どうして?」

 彼女は短く吐息した。「顧問の案。ありきたりすぎる気はしたけど、断れなかった」

「描かされてるってこと?」

 返答までに少し間が開いた。

「絵を描きはじめたばっかりの頃、賞を獲ると一時的に両親の機嫌がよくなるって気付いた。たいして実力はないけど、自分がなにを望まれてるのかは小賢しく察知できるんだ。そうやって立ち回っておけば得できる。打算的な感覚が染みついてるの。格好悪いでしょう」

 格好悪いなんて、と言いかけて、私は口を噤んだ。代わり、「ありのままの自分に向き合えるの、素敵だよ」

「素敵なんて――」と莉央ははにかんだ。それから私に向き直り、「でも嬉しいよ」

 複雑な色味を湛えた瞳に見据えられ、呼吸が切迫した。そんなあなたが好きだと伝えられたならと夢想し、泣き出しそうになる。私は本当に意気地がない。

「生れて初めて言われた。この瞬間の記憶があれば、勇敢に世界に対峙できるんじゃないかって気がする。思い込みかもしれないけど、別にいい」

「莉央は勇敢だよ。私より、ずっと」

 彼女は唇を湾曲させて、「もしそう思ってくれるなら、いつか必要なとき、紬も勇気を出して。私にできるなら、きっと紬にもできる」

 掌を重ねられた。本当にやっとのことで私は頷き、

「約束する。そろそろ作戦を考えようか。一緒なら、きっといい案が浮かぶよ」

 きっと真っ赤であろう顔を見せつづけるのに忍びなく、私は体を捻って床に置き放していた自分の鞄に手を伸ばした。とりあえず筆記用具を取り出そうとして、はっとした。

「――これだ」

「どうしたの?」

 ノートを抜き出し、広げて差し出した。小町の描いた〈夜行〉の絵の頁だ。返しそびれて、鞄に入れっぱなしになっていたのだ。

「私たちで新しい妖怪を――そういうキャラクターを作るの。〈コタンこ〉みたいにうまくネットで広まれば、大勢に見てもらえるかもしれない。それ目当てにでも人が集まってくれば、信仰が甦ったことにならないかな」

 莉央はだんだん笑顔になった。「いいかも。妖怪は人間の想像力の化身なんだから。キャラクターで観光地化ってのも、わりと現実味があるし」

「行けるかな、この作戦」

「きっと。なにより私もやってみたい。〈コタンこ〉みたいなキャラを自分で生み出してみたい。私たちのプロジェクトだって思ったら、昂奮する。名前付ける?」

「作戦の? プロジェクト夜行とか?」

「カタカナで統一するのは? プロジェクト・ワイルドハント」

 童心が甦るのを意識した。盛大な悪戯には、大仰な名前が付いていたほうがいい。ワイルドハントすなわち、ヨーロッパ版の百鬼夜行だ。その名のとおり、狩人や猟犬がメンバーに含まれる。フクロウが先導する、という説もあるという。

 莉央がスケッチブックを取り上げた。ポスターの素描の頁を飛ばし、次なる真っ新な頁を開く。「絵は私が描く。まずはアイディア出しを」

「うん」

 小町の絵を改めて眺め直した。妹が見たがっているもの、会いたがっているものが、ここには描かれている。私たちで、それを現実にしてやるのだ。

 やがて、目が画用紙の一点に吸い寄せられた。もしも本当に会えるなら、なんらかの奇蹟が、不思議な出来事が、雛守の街に訪れるというのなら――私の答えはひとつしかない。

「ましろ」

 独り言のように名前を呟いたにすぎなかったが、それだけで莉央には伝わったらしく、

「真っ白いサモエド。だよね?」

 私は強く頷いた。ましろ。こればかりは自信をもって断言できる。「そう。世界でいちばんの名犬」

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