5

「お姉ちゃんお姉ちゃん」と小町がドア越しに呼びかけてくる。「開けて」

 今日はずいぶんと元気だな、と思いながら招き入れた。ノートを持っている。今日は宿題か。

「国語? 算数?」

「どっちでもない。あ、〈コタンこ〉。お姉ちゃん、好きになったの?」

「友達の影響。私も買ってみた」

 コノハは本棚の上の、よく見える位置に飾ってある。他の仲間たちを買い足すことを考え、場所を確保しておいたのである。

「ふうん。ねえお姉ちゃん、最近なんか嬉しそうだよね。よく笑ってるもん」

 思わずどきりとし、「そう? 嬉しそうに見える?」

「お母さんに訊いてみたら、いつもどおりって言ってたけど。でも私はなんとなく分かったよ」

 ただの当て推量なのか、あるいはなんらかの根拠があるのか。家族の前では平静を維持してきたつもりだが、私のことだから隠しきれていない可能性は大いにある。スマートフォンが鳴るたびにやたら動揺するといった光景を、目撃されていたのかもしれない。

「で、国語でも算数でもなかったらなに? 理科?」

 小町はノートを胸元に抱え込むようにして、「絵を描いたから見て」

「絵?」完全に予想外の発言である。「ノートに描いたの?」

 小町は少し照れたように頷き、「力作だよ」

 私は少し笑った。母の口癖なのだ。なにかにつけて力作だよ、と主張する。力作のカレー、力作のハンバーグ、力作のシチュー。実際に見栄えも味もなかなかなので、みな素直に褒め称える。このフレーズを使用するからには、小町にも相応の自信があるのかもしれない。

「どれどれ」

「じゃん」小町はノートを広げた。見開き二頁を使用した大作である。「どう?」

 数多の妖怪たちが、列を成し行進している。進行方向は基本的に右から左のようだが、ときおり逆を向いている者もいる。赤、青、緑と色鉛筆で鮮やかに塗り分けてあり、全体に賑やかな印象だ。妖怪らしく怖ろしげではあるのだが、どことなくユーモラスな雰囲気を湛えてもいる。

 首の長い大入道、傘や七輪といった古道具に顔や手足が付いたようなもの、巨大な蛙、先端に飾りのある長竿を掲げた鬼などが、隅から隅までぎっしりと描き込まれているさまは、確かに力作と言えた。

 私は感心し、「頑張って描いたんだね。凄いじゃん」

「凄いでしょ。でも本物はもっと凄いもんね。これが旅して来るんだから楽しみだなあ」

 なるほど〈夜行〉を描いたものらしい。ただならぬ熱意である。

「後ろの頁に続きを描こうかな、まだたくさんいるから。ねえお姉ちゃん、私の絵、上手い?」

「上手だよ。私の友達に美術部の子がいるんだけど――これ見たらなんて言うかな」

 その場の思い付きで発したにすぎなかったのだが、美術部、という響きが小町を刺激したらしい。このノートを学校に持っていき、感想を聞いてきてほしいと言い出す。

「ちょっとでいいから。お願い」

 うんと言わないと引き下がらない風情だったので、私はやむなく頷いてノートを受け取った。こういうとき、見せたことにして適当な感想をでっち上げごまかす、といったことが私にはできない。どうにか機会を見つけ、頼んでみよう。

 ――そういった次第で翌日の昼休み、購買に向かう最中の来栖さんを呼び止めた。妹がどうしてもって強請るから、と前置きし、事情を伝える。幸いにして彼女は快諾してくれた。

「いいじゃん、妹さんの絵。私も見てみたい」

 パンと飲み物を買い、連れ立って外へと出た。クラスメイトたちのいる教室で小町の絵を広げるのはなんとなく抵抗があったので、適当にひと気のない場所を探した。校庭の隅、木陰の下にあるベンチに並んで腰掛ける。

「食べる前に見せて。汚したら悪いから」

 私は例のノートを取り出し、広げた。来栖さんが僅かに距離を詰めてきて、私の手許を覗き込む。「百鬼夜行だ。面白いね。妹さん、いくつ?」

「九歳。けっこう自信あるみたいで、見せてこいって聞かなくて」

「自信持っていいと思うよ。すごく想像力豊かなんだね。妖怪って言われてぱっと思い付くようなものだけじゃなくて、いろいろ変わったのも混じってる。たとえばこれ。なんだと思う?」

 来栖さんの指が、行列の頭上を舞っている鳥のようなものを指す。全体にずんぐりしており、木肌に少し似た斑模様の羽を広げている。丸く大きな瞳と、二本の角が特徴的である。

「分からない。烏天狗とか? でもあれって、山伏の格好で下駄履いたりしてるよね」

「私も違うと思う。たぶんだけど、これ〈コタンこ〉じゃないかな」

「〈コタンこ〉?」と鸚鵡返しにしてから、まじまじと絵を見つめた。言われてみればそのような気がしてきた。角のあるフクロウ――ミミズク。

「でも、なんで妖怪のなかに〈コタンこ〉がいるのかな」

「異界の住人であるって意味では、まあ混じってても不思議じゃないかもね。身近なものをアレンジして、仲間に入れたんじゃないかと思うんだ」

「そういうのってありなの?」

 来栖さんは笑み、「ありじゃない? 現存する最古の妖怪絵巻って室町時代のものらしいんだけど、江戸時代に模写されたバージョンには、当時の新しい妖怪が追加されてる。妹さんがやってるのも、そういうことなんだって思えば」

 私は腕組みした。「じゃあ、他にも小町が付け足した妖怪が――」

 改めて、端から端まで眺め渡してみた。あ、と思わず声をあげそうになる。

「なにか見つけた?」

「これ――ましろだ。昔、うちで飼ってた犬」

 真っ白で豊かな毛に、熊のような獅子のようなどっしりした体躯。二匹で並んでいるのが不思議だったが、小町の言葉を思い出すと同時に疑問が氷解した。彼女の夢に登場したという、ましろの〈ひいが百回つくおじいちゃん〉だ。

 予鈴が聞こえた。私たちは慌ててパンを口に放り込み、立ち上がった。五限目は生物である。急がねば移動が間に合わない。

「今日の放課後、暇ある?」校舎へと向かう途中、来栖さんに問われた。「美術室に来てほしいんだ、頼みたいことがあって」

「もちろん。小町の絵、見てくれてありがとう。頼みってどんなこと?」

 彼女は微笑し、「ちょっとモデルになってほしくて」

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