今日の晩御飯は何?(回答編)

「最も可能性の高い選択肢は、〈C〉のステーキだ」


 伊田さんは、しかめ面で腕組みをして頷いた。 


「……正解。でも、当てずっぽうでも四分の一の確率で当たるんじゃから、正解までの道筋を説明してくれんと、海藤くんの勝ちとはいえんな」


 彼女はもしかしたら負けず嫌いなのかも知れない。


「じゃ、説明するね。消去法でいくと、まず最も可能性が低いのは、〈B〉のシチューだ」


「どうして?」


「カレーとシチューって、似てるよね。一昨日、昨日と二晩連続でカレーが続いたのに、今日の献立にシチューを選ぶとは、ちょっと考えにくいでしょ」


 伊田さんは、腕組みをしたままにやりと笑う。


「そう言われると、そうじゃな」


「根拠は他にもある。調理時間の長さだ」


「調理時間の長さが、なんの関係があるん?」


「今晩、お母さんは七時半頃に帰宅するんだよね。それから夕飯を作って食べることを考えれば、調理に長時間を要するメニューは可能性が低くなる。シチューなんて作ろうものなら、三十分から一時間くらいは掛かるだろうから、食事は八時半頃になってしまう。美意識の高いお母さんであれば夜遅い食事は避けたいだろうし、もっと手早く完成させられてしかも糖質の少ない〈C〉ステーキや〈D〉肉と野菜の炒め物の方が、可能性は高い」


「成程……調理時間に着目すれば、〈A〉カレーと〈B〉シチューは長く、〈C〉ステーキ〈D〉肉と野菜の炒め物は短い、という分類ができるね。カレーも調理時間が長いから消去したん?」


「いや。カレーは、シチューと同様の理由では消去できない。一昨日、昨日と二晩連続でカレーが続いたのは、一晩では食べきれなかったからだろうけれど、そうであれば、残った分を消費すべく今晩もカレーが続行される可能性は、高いといえる。残り物を温め直して食べるのであれば、調理時間の長さも問題にはならない」


「じゃあ、なんでカレーを消去できたん?」


「昨日の夕飯がカレーであったことを、躊躇しつつも、君が教えてくれたから。このゲームでは正解に直結する質問への回答は拒めるのだから、今晩もカレーなのであれば、昨日と一昨日もカレーだった事実は伏せておくのが普通でしょ」


「私がうっかり口を滑らしちゃっただけかも知れないじゃん」


「たっぷり五秒間は悩んで答えたから、うっかりではないのは一目瞭然だったよ。その五秒間は、『選択肢を削るヒントにはなるが、直接に正解がバレるわけではないから、教えても構わないだろう』と思案する時間だったのだろうと、僕は推察した」


「……見事な推察じゃな。じゃけど、私が海藤くんを撹乱するために敢えて昨日と一昨日のカレーを開示したとは、考えんかったん?」


「それも一応は考えた。だが、『お母さんが七時半に帰宅したあと夕飯を作るから、食べるのは遅い時間帯になってしまうね?』という旨の僕の質問に対して、君は肯定を示した。君は料理が苦手と言ったけれど、残り物を温めるだけであれば母親の帰宅を待つ必要は無いから、この反応と矛盾する」


「確かに、その通りじゃ。ここまでで〈A〉カレー〈B〉シチューの選択肢は消去されて、あとは〈C〉ステーキ〈D〉肉と野菜の炒め物の二択じゃな」


「最後の決め手は、そもそも、君がこのクイズを出題できたことだよ」


「どういうこと?」


「このクイズを出題できるということは、当然ながら、君はこのクイズの正解を知っているということだ」


「……当たり前じゃん」


 伊田さんは、鯉みたいに口を開いてぽかんとしている。


 馬鹿みたいな顔だけれど、少し可愛い。


「この当然の事実こそが最重要なんだ。晩御飯は母親が作るのに、何故、現時点で君が献立を把握しているのか? 考え得る可能性は、大きく分けて二つ。①法則があるから。②教えられていたから」


「②はさておき、①が意味不明じゃ」


「法則とは、つまり、毎週水曜日の献立は○○だとか、毎月第二水曜日の献立は○○だとかいった具合に、カレンダーによって献立が決定されることだ。僕のある友人の母親は、献立に悩む負担を軽減すべく毎週水曜日はカレーと決めているらしいんだけど、そういう法則が伊田さんの家庭にも存在するのであれば、君が献立を把握している事実にも納得がいく」


 伊田さんは、目を見開いて手を打った。


「先週、二週間前、三週間前、四週間前の夕飯を質問したのは、法則の有無を確認するためか!」


 僕は親指を立ててみせる。


「ご明察。法則が存在するのであれば、質問したうちのどれかの献立は憶えていて然るべきだろう? だが、全ての質問に対して記憶にないとの回答を得られたことから、法則が存在しないこと、すなわち、君がこのクイズの正解を知っている理由は、母親に教えられていたからに他ならないことが判明した。では、どういった状況で、君は今晩の献立を知ったのか? 真っ先に浮かぶのは、『今日の夕飯は○○だよ』といった感じで朝に予告されるというシチュエーションだ」


「その通りじゃ。今朝、セーラー服に着替えとる最中に、『今日の夕飯はステーキよ』と知らされたんよ」


 僕は頷く。


「だろうね。最も自然なのは、そういう状況だ。今朝以前に予告されていた可能性も勿論あったけれど、兎も角ここで重要なのは、『献立を予告されていた』という点だ。これさえ分かれば、〈D〉肉と野菜の炒め物はあり得ないのは自明だ」


「よく分からんな。『今日の夕飯は肉と野菜の炒め物よ』と予告されていた可能性もあるよね?」


「その可能性は限りなく低い。朝に予告される献立は、わざわざ予告されるほどに特別なものである可能性が高い。〈C〉ステーキに比べて〈D〉肉と野菜の炒め物は、特別ではないと言わざるを得ない」


 伊田さんは、首を傾げた。

 

「そう言われたらそうかも知れんけど……根拠としては微妙に弱い気もするな……」


「もっと決定的なのは、君は野菜が苦手で、嫌いな野菜もいっぱいあるのに、母親は野菜が好きで、娘にも食べさせようとするという情報だ。つまり、仮に『今日の夕飯は肉と野菜の炒め物よ』と予告されていたとしたら、君はほぼ間違いなく、『野菜って、具体的には何?』と問う筈であって、抽象的に『肉と野菜の炒め物』なのだと納得するとは考えづらい。にも拘らず、具体的な具材は不明だとさっき君は言った。よって、〈D〉肉と野菜の炒め物が予告されていた可能性は皆無だ」


 伊田さんは目を爛々と輝かせて、頻りに頷いている。


 頭の冴え渡った知的な僕に惚れているに違いない。


「以上より、君の今日の晩御飯は、〈C〉ステーキだ。ステーキは焼くだけの料理だから、『お母さんの帰宅が遅いから、夕飯を食べるのも遅くなる』旨の情報と矛盾するようにも一見思えるけれど、高級食材だから焼き加減を絶対失敗したくないのだと考えれば、一応の筋は通る」


「……ん? ちょっと待った!」


 伊田さんは掌を突き出して、僕の結論に疑問を呈した。


「献立の予告が口頭でなされたと断定する根拠は無いんじゃない? 例えばスマホを使ってLINEでやり取りしたり、書き置きで予告された可能性は考えんかったん?」


「お母さんは多忙な弁護士なのだから、仕事中に『今日の夕飯は肉と野菜の炒め物です』なんてLINEする可能性は低い。仮にLINEがあったとしたら、『野菜って、具体的には何?』と君は返信して聞くだろうから、やはりLINEはなかったと見るのが妥当だ。書き置きで『今日の夕飯は肉と野菜の炒め物です』と予告されたと仮定すると、君が具体的な具材を知らなかったこととは辻褄が合うけれど、朝はお母さんより君の方が先に家を出るのだから、そもそも書き置きはあり得ない。畢竟、予告は口頭でなされたと考えるのが自然だし、であれば、正解は〈C〉ステーキに絞られる」


 説明は終わった。


 吹奏楽部が練習する音はいつの間にか聞こえなくなっていて、夕方の教室には二人きりの静けさがあった。


 クリーム色のカーテンは波のように風に揺れ、柔らかいオレンジ色の夕日は、黒板や、整然と並んだ机たちや、伊田さんの頬を淡く染めた。


 彼女は、静寂を優しく宥めるような控え目な拍手を送りながら、僕を称賛した。


「正直言って、期待以上じゃったわ。海藤くん、やるじゃん」


「どうも」


 嬉しさで口が弛むのを必死に堪えつつ、クールに応えてみせた。


 冴え渡った推理を披露できたので、彼女のハートを射止めてしまったに違いない。


 ……来るか?


 告白、来るか……?


「約束通り、ジュースを一本奢るよ」

 

「そんなのいいのに。ゲームを盛り上げるための方便でしょ」


「いいや、約束は守る。そうじゃないとゲームがつまらんくなっちゃう」


 伊田さんはスクールバッグを肩に掛けて、僕はリュックサックを背負って、体育館脇に設置された自動販売機まで移動した。


 中庭に沿って廊下を歩きながら、彼女は小さくくちゅんとくしゃみをして、花粉が多いと嘆いていた。


 空はまだ明るかったが、白い半月が何かの印みたいに浮いていた。


 きっとバスケ部とバド部だろう、シューズが体育館の床と擦れる音が聞こえていた。


 向かいから歩いてきた生徒とすれ違うために伊田さんが僕の前に出て一列になったとき、僕は彼女のポニーテールや、ひらひら揺れるスカートや、白く滑らかな膝裏に見とれてしまって、得したような、裏切ったような気持ちになった。


 ヘアゴムには小ぶりな青いリボンがついていて、その華美でない可憐さが素敵だと思った。

 

 自販機まで辿り着き、彼女は百円玉を二枚投入し、僕は無糖のアイス珈琲のボタンを押した。


「ありがとう。いただきます」


 プルタブに爪を掛けて開きながら、礼を述べる。


「負けたから仕方ない。それ、無糖? 大人じゃなあ」


「そうかな。伊田さんは無糖は苦手?」


「中学二年生のときに一度だけ飲んだことがあるんじゃけど、苦すぎて吐いちゃった」


 僕は一口飲み、慣れた苦味を味わってから、缶を彼女の方に差し出した。


「ちょびっと飲んでみる? 二年も経てば、味覚が変わってるかもよ」

  

 会話の流れからしてそれほど突飛な提案ではなかった筈だが、伊田さんは、


「ええ!?」


 と驚愕した。


 他人に飲料をお裾分けするのが、そんなに奇妙な行為だろうか。


 そもそも彼女に奢ってもらったのだし、僕としては何ら抵抗はないのだけれど。


「勿論、強制はしないよ。飲む? 飲まない?」


「……飲む」


 伊田さんは両手で缶を受け取り、僕の顔と飲み口を交互に眺めて随分長い間躊躇ってから、恐る恐る口をつけた。


「意外とイケる……かも」


「大人の階段を登ったね」


「でも、やっぱり加糖の方が好きかな」


 彼女ははにかみながら缶を返した。


 僕はごくごくと一気に飲み干した。


 伊田さんは何故か顔をトマトみたいに真っ赤にしていて、


「海藤くん、意外と男らしいね」


 と呟いた。


 豪快に喉仏を鳴らす姿に、惚れちゃったのかも知れない。


 いつかきっと、告白してくれるに違いない。

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放課後の推理ゲーム @mame3184

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