放課後の推理ゲーム

今日の晩御飯は何?(出題編)

 放課後、渡り廊下から長閑に響いてくる吹奏楽部のトランペットを聞きながら、教室で『江戸川乱歩短編集』を読む僕に、声を掛けた女子がいた。


「何を読んでるん?」


 顔を上げると、手を後ろに組んだ前屈みの姿勢で立ち、茶色い瞳で僕をじっと見詰めていたのは、伊田清香さんだった。


 背が低くて、目の大きい、ポニーテールの女子だ。


 母親の仕事の都合で岡山から東京に引っ越してきたのだと、一月前に皆の前で自己紹介したのを憶えている。


 大人しそうな雰囲気の子だったし、まともに会話したこともなかったので、そんな彼女に唐突に話し掛けられたのは、意外だった。


「江戸川乱歩の短編集だよ」


「それは表紙を見て分かっとったんじゃけど……」


「……じゃあどうして聞いたの?」


「……会話の切っ掛けが欲しかったから……」


 呟いて、彼女は目を伏せる。


 もしかして、いや、もしかしなくとも、僕のことが好きなのだろうか。


 好きなのだろう。


 きっとそうに違いない。


 であれば、こちらとしても交際するのはやぶさかではない。


 伊田さんはクラスで一二を争うほど可愛い。


 教室を見渡すと、彼女と僕以外誰もおらず、二人きりだ。


 もしかして愛の告白? 


 高校入学から僅か一月で女子を射止めてしまうなんて、僕も罪深い男だ。


「それで、どんな用件かな?」


 文庫本を閉じて机に置き、伊田さんを見詰めて訊く。

「一目惚れでした。付き合ってください!」といった旨の台詞を聞く準備は万端だ。


 ここから僕の青春が始まるのだ。


 だが、


「推理小説、好きなん?」


 と、伊田さんは本題に入らない。


 勇気を出せずにいるのだろう。


 暫く雑談に興じつつ、告白の好機を窺う魂胆なのだろう。


 いじらしくて可愛いじゃないか。


「詳しくはないけれど、たまに読むよ。東野圭吾とか、岡崎琢磨とか」


「ほんと!? 私も好き!」


 同志の発見に、彼女は身を乗り出して破顔する。キュートなご尊顔が近くに迫ったせいで、僕は照れてしまって、口元がだらしなく弛緩しそうである。


「じゃあさ、推理ゲームしよ!」


 くりくりした目を輝かせて、伊田さんは予想外の発言をした。


 推理ゲーム……?


 告白してくれるんじゃないの……? 


「推理ゲームって、何?」


 動揺を悟られまいと平静を装って聞いたのだが、そんな僕の気持ちなどどこ吹く風で、彼女は推理ゲームのルールを無邪気に淀みなく説明した。


「推理ゲームっていうのは、端的にいえばクイズのこと。でも、知識を問うようなクイズじゃなくて、論理的思考によって正解に辿り着けるクイズなんよ。回答者は出題者に対して、正解を探るのに必要な質問ができる。出題者は、質問には正直に答えるけど、正解に直結する質問には回答を拒む。どう? 簡単じゃろ?」


「なんとなく分かったけど……そのゲームを、これから僕と伊田さんがするの?」


「うん。私はこのゲームが大好きなんじゃけど、女の子の友達は遊びにまで頭を使うのは嫌って言って、全然付き合ってくれんのよ。でも、海藤くんなら江戸川乱歩なんて読んでるくらいじゃから、付き合ってくれるかなって思って……駄目?」


 まるで飼い主に捨てられそうなチワワみたいに不安げに可愛らしく、彼女は首を傾げた。


 そんな顔をされては、断れる筈もない。


「勿論やろう。是非やろう。僕もそういうの大好きだよ」


「ありがとう! じゃあ、このゲームが初めての海藤くんはどんなクイズを出せばいいか分からんじゃろうから、私が出題するね。負けた方がジュースを一本奢るっていうのは、どう?」


「いいね。望むところだ」


 どんと来いと胸を拳で叩きながら、伊田さんが話し掛けてきた動機について、二つの可能性を考えていた。


 一つ目は、彼女の発言通り、推理ゲームをしたいがために、純粋に僕をゲームの相手として選んだ可能性であり、二つ目は、やはり彼女が僕に思いを寄せているという可能性だ。


 後者である場合、僕と仲を深めるためにゲームを持ち掛けたとも考えられるが、僕を見定めるためであるとも考えられる。


 すなわち、推理小説ファンである彼女としては、僕に一目惚れしつつも、最低限の論理的思考能力すら持ち合わせていない男との交際なんてノーセンキュー、だから告白の前に試しておこう、というわけだ。


 伊田さんと付き合いたい僕は、このゲームには絶対に勝たなければならない。


 伊田さんは、僕の前の席の椅子を後ろ向きにして座り、僕と向き合った。


 僕の緊張とは無関係に、吹奏楽部は呑気にトランペットを響かせている。


 クリーム色のカーテンは迷うように風に揺れ、傾いた陽射しが窓から差し込み、白い床に平行四辺形を作っている。


「では、出題します。私の今日の晩御飯は、何でしょう? 次の四択から回答してください。〈A〉カレー、〈B〉シチュー、〈C〉ステーキ、〈D〉肉と野菜の炒め物」


 知識で回答できる問題ではない。


 質問をして絞っていくしかない。


「〈D〉の選択肢について質問します。肉と野菜の具体的な種類は決まってるのかな?」


「うーん……決まってない。抽象的に『肉と野菜』と捉えてくれて構わんよ」


「伊田さんは、野菜は好き?」


「あんまり好きじゃないなぁ。嫌いな野菜もいっぱいあるよ。茄子とか、ピーマンとか、いんげん豆とか、他にも色々……お母さんは美意識が高いから野菜をたくさん食べるし、私にも好き嫌いなく食べさせようとしてくるんじゃけどなぁ」


「晩御飯を作るのは、お母さん?」


「うん。うちは母子家庭で、私とお母さんの二人暮らしなんよ。お母さんの帰りが遅い日には、自分で作って先に食べることもあるけど、基本はお母さんが作ってくれる。今日もお母さんが作ってくれる予定。私、料理が苦手で……」


 伊田さんは、恥ずかしそうにこめかみを指で掻いた。


「今晩は、お母さんの帰宅は何時頃になりそう?」


「七時半頃って言っとった」


「そうすると、今晩の食事は、そこそこ遅い時間帯になってしまいそうだね」


「その通りじゃな」


「お母さんの仕事は、忙しいのかな。朝、家を出たのは何時頃?」


「私のお母さんは弁護士で、結構多忙なんよ。でも、朝は遅めで、家を出るのは私よりも後で、九時頃かな。私は八時までには出る」


「昨日の夕飯は何だった?」


 たっぷり五秒間は言い淀んでから、


「……カレー」


 と回答があった。


「一昨日の夕飯は?」


「一昨日も、カレーじゃった」


「三日前は?」


「ん~……思い出せんのじゃけど、カレーではなかった」


「じゃあ、一週間前の夕飯は?」


 彼女は眉をしかめて、


「三日前を思い出せんのに、一週間前を思い出せるわけないじゃん」


 とぼやいた。


「ということは、二週間前も、三週間前も、四週間前も分からない?」


「そりゃそうじゃろう」


「おっけー。伊田さんの今日の晩御飯、分かったよ」


「え、嘘。もう!?」


 彼女は身体を仰け反らせて、目を白黒させている。


「確実に正解とは断言できないけれど、最も可能性の高い選択肢は明白だよ。それは──」


(次回の冒頭で、正解は明らかになります。合理的に正解を導くための情報は出揃っているので、皆も一緒に考えてね!)


〈情報の整理〉

・炒め物の具材は不明。

・伊田さんは嫌いな野菜が多い。

・お母さんは美意識が高く、野菜が好きで、娘にも食べさせようとする。

・晩御飯は母親が作る。

・伊田さんは料理が苦手。

・母親は多忙。

・今晩の母親の帰宅は七時半頃だから、夕飯を食べるのは遅い時間帯になってしまう。

・朝、伊田さんは、母親よりも早く家を出る。

・昨日と一昨日の夕飯はカレーだった。このことを回答するのに、彼女はたっぷり五秒間は躊躇した。

・三日前、一週間前、二週間前、三週間前、四週間前の夕飯は思い出せない。


〈スペシャルヒント〉

 晩御飯はお母さんが作るのに、伊田さんはどうして献立を把握しているのだろう?

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