楽器対決

増田朋美

楽器対決

暖かくて、朝は雨が降っていたけれど、九時頃にはやんで、のんびりした日であった。その日、公民館で竹村さんのクリスタルボウルの演奏が行われると言うので、杉ちゃんとジョチさんは、公民館へ行ってみた。演奏会と言っても、コンサートではなくて、グループセッションのようなもの。聞きに来た客も五人程度しかいない。其の中でも、こういう特殊なヒーリング楽器であるから、やっぱりどこか病んでいるなという感じの人がとても多かった。

お客さん全員が椅子に座ると、竹村さんはマレットを持って、

「では、これから始めさせていただきます。眠ってしまっても構いません。ごゆっくりお聞きください。」

竹村さんは、そう言って、クリスタルボウルをゴーン、ガーン、ギーンと叩き始めた。それはとても幻想的で、まるで中東のアラベスク模様のあるモスクにいるような気分にさせてくれた。雲にのっているようでいい気持ちになるという人もいる。どこか、こころのそこに、響く楽器なのであった。演奏時間は、45分であるが、それもあっと言う間だった。杉ちゃんたちは、竹村さんが、マレットを置くと、大きな拍手をした。

「ありがとうございます。クリスタルボウルの演奏は、お楽しみいただけましたでしょうか?」

と、竹村さんが言うと、お客さんは、拍手してそれに答えた。その後は、解散ということになって、お客さんたちは、竹村さんに話しかけたりして、それぞれの時間を過ごしていたが、一人だけ、不服そうな顔をしている人がいた。其の人は、中年の女性で、いわゆるロリータと言われるような白のブラウスに、エプロンドレスを着用していて、いかにも訳ありというような感じの女性である。

「おい、お前さんは、クリスタルボウルを聞いて、面白くなかったのか?」

と、杉ちゃんが、其の人に聞くが、其の人は何も言わなかった。

「変な人だねえ。」

杉ちゃんは、そう言って、帰ろうとしたが、ちょうど、その時竹村さんが、

「丸野さんっておっしゃいましたよね。丸野由紀代さん。参加者名簿によれば。今日は、お楽しみになれませんでしたか。」

と、竹村さんがその女性に言った。それで杉ちゃんたちは、その女性が、丸野由紀代という名前だとわかった。

「いえ、そういうことでは無いんです。」

と、丸野由紀代さんは、小さい声で言った。

「はあ、それでは、竹村さんになにか嫌なことでもあったのか?」

杉ちゃんが彼女に聞いた。杉ちゃんという人は、なんでも思ってしまうことを、口にしてしまうくせがある。それに、曖昧な答えでは、納得しないでいくらでも聞いてしまう。そういうところは、杉ちゃんならではであった。

「いえ、そういうことじゃないんですけどね。あたしも以前は、こういうヒーリングみたいなことを、短時間だけですがやっていました。竹村さんのような楽器ではありませんが、あたしも人のことを、癒やしてあげたかったから。」

丸野由紀代さんと言われた女性はそう答えた。

「竹村さんと、他のヒーリングはターゲットが違うぞ。クライエントを取られたとか、そういうことを考えるのはいけないことだぜ。」

杉ちゃんがそう言うと、由紀代さんは、そうですねとだけ言った。

「まあ、お前さんの言うことが、本当なら、たしかに、竹村さんは、いろんな人が聞きに来てくれて、羨ましいかもしれないけどさ。でも、相手には、何も罪もないんだし、勝手に批判しちゃいけないよ。」

杉ちゃんにそう言われて、由紀代さんは、はいとだけ言った。

「一体何をしていたんですか。ヒーリングと言っても、カウンセリングのようなものから、レイキみたいな、直接的な治療まで、色々ありますよね?」

と、ジョチさんがそうきくと、

「はい、竹村さんと同じようなことをやっていました。クリスタルボウルではなく、チベットの、シンギングボウルという物をやってきました。」

と、由紀代さんは答えた。

「はあそうか。それは、クリスタルボウルとはぜんぜん違うよ。同じ鍵盤楽器でも、ピアノとチェンバロは全然違うでしょ。それと同じだよ。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「でも、同じ癒やしの楽器として使われていることは、違いありませんね。それに、効果が、クリスタルボウルとどう違うのか、はっきりしないので、クライエントさんは、迷うことになります。」

ジョチさんは、そう付け加えた。

「まあ、竹村さんと混同しないでさ。自分は自分でやれば、それでいいんじゃないの?誰だって、人と自分とは、やることは違うんだしさ。名前は似てるけど、内容は違うと思うよ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「誰と、誰を比べるなんて、そんな大したことありませんよ。他人と比べるなんて、日本人の一番悪いところですよ。」

ジョチさんも杉ちゃんの話に賛同した。

「だから、自分のことなんだから、比べる必要も無いんだよ。そういうヒーリングをやるんだったら、自分は、こういう人をやっていくって、決めちゃえばいい。それでいいの。」

杉ちゃんは、いつまでも明るかった。どんなときでも明るさを失わないのが杉ちゃんなのである。明るいのは良いことなのかもしれないが、逆に相手を傷つけてしまう事もありえる。

「じゃあ、まもなく、この部屋を撤収しなければなりません。午後は別の団体様が借りているようですから。皆さん部屋から出てください。」

竹村さんがそういうと、お客さんたちは、ありがとうございましたといって、次々帰っていった。

「それじゃあ、お前さんも頑張りや。竹村さんに刺激されて、良い方へ向かうといいね。くれぐれも、変なセカには入らないことも重要だ。それまでのことが全部だめになっちまうからな。それに気をつけて、これからも頑張ってくれ。」

杉ちゃんがにこやかにそう言うと、彼女は、少し考えるような顔をしたが、すぐ表情を変えて、

「ありがとうございます。今回、お二人にお会いして、すごく感動しました。クリスタルボウルも、感動的だったし、あたしは、どうしようもないと思ったけど、なんか今日は、嬉しかったです。本当にありがとうございました。」

と、嬉しそうに言った。

「おう、これからも頑張れよ。力を入れすぎず、変なものには手を出さずにな。」

杉ちゃんと、ジョチさんは、彼女に軽く手を振って、とりあえず、公民館を出ていった。

その、数日後のことだった。なんだか春というより、初夏のような陽気がして、もうこんなに暑くなってしまって、いいのかなと思われるほど暑い日であった。今日は、あわせの長襦袢では少し暑いなあ、なんて、杉ちゃんは、つぶやきながら、水穂さんのご飯を作っていた。

「こんにちは。竹村です。クリスタルボウルのセッションに参りました。」

玄関先で聞こえてきたのは、竹村さんの声だった。

「あ、そういえばそうだった。」

と、杉ちゃんは、玄関の方を振り向いて、

「おう、ありがとう。上がってきてくれる?」

と、竹村さんに言った。竹村優紀さんは、クリスタルボウルを乗せた台車を押しながら、製鉄所の中に入ってきた。製鉄所の玄関は上がり框が無いことで、台車を押しながらでも入ってしまうことができるのであった。杉ちゃんも、急いで、パスタを皿に盛つけ、車いす用のトレーに乗せて、急いで水穂さんのいる四畳半にいった。

「ああ、竹村さんありがとう。いつもいつも来てくれてありがとうね。」

杉ちゃんは、ご飯のお皿をサイドテーブルにおきながら、竹村さんに言った。ちなみに、今回竹村さんが持ってきたクリスタルボウルは、クラシックフロステッドボウルと呼ばれる、白くて、風呂桶のような形をしたものだった。これは、持つととても重いので、台車に乗せて運ばなければならない。竹村さんは、一苦労しながら、クリスタルボウルを、水穂さんの前に置いた。

「今回は、アルケミーでは無いんだね。人によって使い分けるって言ってたな。」

と、杉ちゃんが言うと、竹村さんは、

「ええ。最も重症な方には、やっぱり昔ながらのクラシックフロステッドが一番いいんですよ。アルケミーは、ビジュアル的には綺麗かもしれませんが、症状を緩和する作用は、比較的弱いんです。ウルトラライトはその中間。だから、クライエントさんの重症度によって、使い分けなければ行けないんです。」

と、にこやかに笑って説明した。確かに、竹村さんの言う通り、クリスタルボウルは、全て同じ人に使用できるわけではなかった。

「じゃあ、水穂さん、眠ってしまってもいいので、聞いてください。」

と、竹村さんがそう言うと、水穂さんは、

「すみません、今日は疲れているので、寝たままでも構いませんか?」

と、聞いた。

「申し訳ありませんね。昨日、安静にしていなければだめだと言われたばかりなのでね。」

杉ちゃんが、補足すると、

「ええ、一向に構いませんよ。先程もいいましたが、眠ってしまっても結構です。むしろそうなってくれたほうが、嬉しいです。じゃあ行きますよ。」

と、竹村さんは、ゴーン、ガーン、ギーン、とクリスタルボウルをマレットで叩き始めた。クラシックフロステッドボウルと言われるだけあって、音は、重厚であった。この前聞いたアルケミークリスタルボウルは、クリスタルボウルの入門といえるような感じだった。クラシックフロステッドボウルは、より、治療のための道具という感じがする。長時間聞くと辛くなる人も出るというが、それもよく分かる音でもあった。クリスタルボウルは叩くだけではない。楽器の縁をマレットでこすり、長い音を伸ばすような事もする。それをすると、何とも言えない、中東的な響きになって、不思議な世界にいざなってくれる。

やはり、竹村さんの45分の演奏は、すぐに終わってしまった。竹村さんは、マレットを置いて、

「ありがとうございました。」

と、軽く頭を下げた。水穂さんは、少し咳こんでしまった様子であったが、竹村さんは、気にしなかった。

「クリスタルボウルを聞くと、体の動きも敏感になりますから、咳が出るだけではなく、食事もしたくなってくるはずですよ。クライエントさんの中には、体が鳴ってしまうことだってあるんですからね。それは、クリスタルボウルが、効いた証拠です。」

竹村さんは、そう解説した。杉ちゃんはすぐに、

「よし!食べようぜ。今日は暑いから、トマトの冷製パスタだよ。」

と、杉ちゃんは急いでサイドテーブルを顎で示した。

「へえ、冷製パスタですか。杉ちゃん、本当にパスタの種類をよく知ってるんですね。」

と、竹村さんは、にこやかに笑った。水穂さんは、起き上がることはできない状態であったので、杉ちゃんが、食べさせてやるということになり、箸に絡まったパスタをなんとか口にしてくれた。

「よし、これでちゃんと食べてくれたら最高だ。今日は、暑いし、クリスタルボウルを聞いて、ご飯も食べられるだろ。」

杉ちゃんが、そう言うと、水穂さんははいとしか言わなかった。

「まあ、いつも、そばとパスタしか食べられないから、できるだけ飽きないように、アイデアを出すのも大変だよ。」

「そうですか。そうなると、杉ちゃんも大変なんですね。それでは、パスタのネタ探しも大変でしょう。それなのに、よく、嫌な顔を一つせずやれるのは、すごいと思いますよ。」

竹村さんが、一般的な意見を言ったが、

「いや、誰かが世話してやらないとさ。困るだろ。」

杉ちゃんは、カラカラと笑った。

ちょうどそのとき。

「あの、失礼いたします。影山杉三さんという車椅子の方は、こちらにいらっしゃいますよね。」

と、中年の女性の声がして、杉ちゃんと竹村さんは、顔を見合わせた。

「あのときの、女性だよな。ほら、クリスタルボウルに、クライエントを取られたとか言ってた。名前、何だったっけ?」

杉ちゃんがそう言うと、

「確か、彼女の名前は、丸野由紀代さんだったと思います。」

と、竹村さんも答えた。

「おう、今さあ、手が離せないから、上がってきてくれるか?」

と、杉ちゃんがでかい声でそう言うと、正しくやってきたのは、丸野由紀代だった。彼女は、右肩に、なにか大きな箱のようなものをぶら下げていた。服装は、この間と変わらない、ロリータである。でも、その顔はなにか、決断したような、強そうな顔である。

「ここにいたんですね。影山杉三さん。隣の家の方から、こちらに行ったと聞きましたので、それでこさせていただきました。」

と、丸野由紀代さんは、そういった。

「一体どうして、僕達のところに来たの?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「はい、杉三さんに、私の演奏を聞いていただきたいんです。私の、シンギングボウルの演奏。ちょうど、竹村さんもいて、良かったですよ。私の演奏を聞いてくれて、なにか感想をお話してくれれば、今作っているウェブサイトに乗せることもできますし。」

と、由紀代さんは、急いで答えた。

「こちらにいらっしゃる皆さん全員にできれば聞いていただきたいです。皆さんから、感想がいただければ。」

由紀代さんは、急いでケースを開けて、7つのシンギングボウルを取り出した。クリスタルボウルとは違い、昔の給食の茶碗のような、金属製のお椀型の楽器である。マレットも、クリスタルボウルのものとは形が違うものになっている。

「僕は、すみませんが、観客から外していただけませんか。」

不意に、水穂さんが、静かに言った。

「いえ、悪いようにはしません。ここで聞いていただきたいんです。それに、あなたのような、障害のある方であれば、より率直な感想がいただけるのではないかと思います。」

と、由紀代さんは、すぐ水穂さんに対抗した。水穂さんは、本当のことを話したほうがいいと思ったのか、

「申し訳ありませんが、銘仙の着物を着るような身分の人間が、そういうものに、感想を書く資格はありません。」

と申し訳無さそうに言った。たちまち、由紀代さんの顔がすぐに変わる。そんな事、ありえることなの!という顔をしている。

「まあ、まあ確かにさ、人なんて、見た目じゃわからないから、水穂さんが、同和地区から来た人であると知って、たしかにショックでもあるよねえ。」

杉ちゃんが、彼女の気持ちを代弁するように言った。

「それに、同和地区の人から、感想ももらいたくないよね。それでは、おかしくなっちまうから。お前さんだって、したくないだろ。同和地区の人の前で、演奏するなんて。」

「申し訳ありません。」

と、由紀代さんは、小さい声で言った。

「でも、ここへ来たからには、ちゃんと演奏してもらうぜ。だって、お前さんはここへ来たんだから。それに、きっと一番、ヒーリングの効果が出るのは、水穂さんだろうからね。」

と、杉ちゃんは、でかい声でそういった。

「悪いけどね、水穂さんは、ちょっと今動けないんだ。だから、寝たままでいいが、水穂さんにも聞いてもらう。じゃあ、やってみてくれ。クリスタルボウルとは、また違う、ヒーリング音楽が楽しめるなんて、いいことじゃないか。良かったぜ。ははは。」

「杉ちゃんは、どこへいっても、どんなときでも明るいんですね。」

と、竹村さんは、はあとため息を着いた。

「確かに、ヒーリング音楽というと、どうしても自分が一番というところもあるし、クライエントさんを選べない側面も持ってますよね。」

「そうそう。竹村さんの言うとおりだ。まあ、練習のつもりでやってみてくれよ。」

杉ちゃんにそう言われて、由紀代さんは、涙を拭いて、マレットを取った。クリスタルボウルのマレットは棒状のものであるが、シンギングボウルのマレットは、バスドラムのバチのような形をしている。そして、シンギングボウルを叩き始めた。クリスタルボウルが、幻想的で、アラベスク模様を連想させるような音色であるのに対し、シンギングボウルというのは、なんだか厳しい修行に花を添えるような、そんな音色である。ゴーン、ガーン、ギーン、というクリスタルボウルの音ととまた違う、ガーンというような、明朗な音質でもあった。

「なんだかシンギングボウルって、癒やしというより、治療のためにあるような楽器だな。」

と、杉ちゃんがつぶやいたとおりだった。

彼女の演奏も、45分であった。彼女が、マレットを置くと、水穂さんも、杉ちゃんも、竹村さんも、拍手をした。

「おう、なかなかいい音色だったよ。こっちは、みんなで癒やすというより、一人の人間が孤独に耐えていて、その渦中で聞いている、癒やしの音楽って言うような感じがある。感想はこれでいいかな?」

杉ちゃんがそう言うと、

「僕もそう思いましたね。もともとチベットの楽器で、それを聞くのが、お坊さんにとっては立派な修行だったようですから、確かに、杉ちゃんの言う通りの音色だと思いますよ。」

と、竹村さんも相次いで言った。杉ちゃんが、水穂さんに、なにか、感想を言ってやってくれよ、と言うと、水穂さんは、僕は言わないほうがといった。

「いや、それはまずい。ちゃんと、聞いてやったんだから、感想くらい言わないと困ると思う。」

と、杉ちゃんが言うと、水穂さんは、

「そうですね。西洋音楽というのは、他人のために弾きますが、東洋の音楽は、自分のために弾きますからね。その違いが顕著に出てますね。でも、今は、日本人の誰もが癒やしてほしいという気持ちは持っていると思いますから、それでいいのではないでしょうか?」

と、感想を言ってくれた。

「ほら、そう言ってくれてるじゃないか。良かったな、感想いってもらえてさ。それをちゃんと、心の中に刻み込んで、お前さんの演奏を作ってくれ。よろしく頼むな。」

と、杉ちゃんは、カラカラと笑った。

「本当にありがとうございました。私の、演奏を聞いてくださって嬉しいです。」

と、彼女はとても嬉しそうだった。

「あと、一つだけ訂正させていただけませんか。」

彼女の質問に、皆はあという顔をする。

「あの、先程私、同和地区の人から感想はもらいたくないとか、言ってしまいましたけど、あれ、撤回してもいいですよね?」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

楽器対決 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る