愛が暴力的なのは、進化のせいだとわたしは思う。
辰巳キリエ
第1話
人生ってどうしてこうも面白くないのかなって思う。
田舎で育ったわたしは、田舎特有の空気にうんざりして東京へ出たけれど、都会に出てみたところで結局劇的な変化はなかった。例えばお母さんが大事そうにDVDにダビングしていた『東◯ラブストーリー』みたいな大人の青春なんてどこにも転がっていないし、昔憧れたディ◯ニープリンセスみたいなロマンチックなお姫様にもなれそうにない。
田舎にいた頃は、わたしは「それなりに聡明でそこそこ美人」というキャラだった、と思う。それで、よく近所のおばさんとか親戚のおじさんとかに、「鈴美(すずみ)ちゃんは美人だし気も利くからいいお嫁さんになりそうだねぇ」とか言われて、普通にそういうのだるいなと思いながら、それこそ気を利かせて「そんなに褒めても何にも出てきませんよー」とか笑っていた。
で、そんな地獄から逃げ出すために田舎でもみんなが名前を知っていそうな某東京の大学に進学することにしたわけだけれど(両親がそういう思想に染まっていなかったのが唯一の救いだ)、すると次は「東京でいい男捕まえてきなさいよ」とか言われて、余計なお世話だと心の中で中指を突き立てていた。
もちろん結婚したくないとか、わたしは仕事一筋で生きたいとか、そういうふうに思っていたわけではないけれど、他人からどうこう言われると何故だかイライラしてしまって、わたしはそんな田舎くさいステレオタイプな人生歩みませんからって気持ちで、映画にできそうな劇的な人生や、他人に自慢できるような輝かしい人生を求めていた。
でも残念ながらわたしの人生はしょうもない。
どうしてこんなネガティブ厨二病みたいな感傷に浸っているのかといえば、隣の部屋にこもっている不機嫌な彼氏のせいだ。面倒なこととか、陰鬱な空気感とかに巻き込まれると、人はよくないことばっかり考えてしまうのだ。
友久(ともひさ)はなんだかよくわからないけれど怒っている。いや、怒っているというよりはイラついているというか、むしゃくしゃしているというか、まあとりあえず虫の居所が悪いみたいだ。ここ最近ずっと。ずっと、と言ってももちろん朝から晩まで四六時中というわけではなくて、なんというかこう、調子良く数学の問題を解いていたら途中でふとミスに気付いて全部台無しになってしまったときみたいに、突然ずぅんと澱んだ空気をまといだす。
今日はお昼ご飯を食べながら、昨日の夜に一緒に観たアニメの話をしていた。
「あのアニメはさ、やっぱりキャラがいいからヒットしてるのかな」
どうして人間はヒット作のヒット作たる所以を分析して、偉そうに語りたくなってしまうのだろう、と我ながら思う。
「たしかにね。作者がキャラひとりひとりを愛してやまないって感じがする」
「どのキャラが死ぬにしても、作者が一番悲しんでそうだもんね〜」
「ああ、ありそう」
と友久が笑う。
「俺は俺が作るキャラひとつも好きになれんな〜」
わたしが野菜の量も肉の量も水の量もいい加減に作った焼きそばを飲み込みながら、友久がため息をつく。わたしはそのセリフを聞いて頭にはてなマークが浮かぶ。
「あれ、友久ってなんか創作活動でもしてんの」
「ああ、いや、人生の話」
そっかー、人生の話かー、と言ってから、これは雲行きの怪しい話題になってきたぞとわたしの経験がアラートを発令する。最近の友久が憂鬱の底に堕ちてしまうのは、こんなふうに人生とか幸せとか、なんのために働いているのかとか、物事の価値とか、そういう抽象的な話題が出てきたときが多い。
というか別に経験とか関係なく、真剣に突き詰めて人生の話をして幸せになる人間なんていないだろう。そんなのはしないほうがいい。どう考えたって生まれてくるよりは生まれてこないほうがいいに決まっているわけで、それでもなお不可抗力的に生まれてきてしまったわたしたちは人生についてなんて考えないで生きていくべきだ。
「こんなふうになりたいとか、あんな人生を送りたいとか、そういうこと考えて実践してみても、結局どこかで馬鹿だなぁこいつっていう気持ちが溢れてくるんだよね」
「うーん、そっかぁ」
「なりたいものになれない、生きたいように生きられない、そんな人生ってほんとにしょうもないなって思うわ〜」
「まあねー」
「なんかまじ、世界の勝ち組みたいな人間に生まれ変わりてぇわ。顔とか、金とか、能力とか、そういうの全部において勝ち組みたいな人間が良かったなぁ」
それは理想が高すぎやしませんかね、とつっこみたいのをぐっと我慢して、そうだよねーって頷く。
「ほら、覚えてる? 大学のゼミで一緒だった桑原。あいつとかさぁ、顔もスタイルも抜群で、日本トップクラスの大学に余裕で合格して、両親はそれぞれ外資系コンサルと大手広告代理店のお偉いさんとで、大学時代から自分の口座の一億円を資産運用してたじゃん」
あー、そんな奴いたな、とわたしは桑原禎一の顔を思い出そうとしてみる。残念ながらはっきりとは思い出せないので、多分言うほどイケメンではなかったのではないだろうか。桑原という男に関してはっきりと覚えているのは、とてつもなく性格が悪くて人間として終わっていたことくらいだ。
「でもあいつは性格終わってたからそれで相殺」
「いやいや、でもあいつは勝ち組だって」
世界は金だ、顔だ、才能だ、と友久がぼやく。わたしはというと段々とそのうんざりムードに流されて鬱々とした気分になってくる。はぁぁぁぁぁという友久のため息に、わたしは鼻息で対抗する。
「ほら、食べ終わったんなら片付けるから。早くお茶飲んじゃって」
とわたしはこの悪い流れを断ち切ろうと立ち上がり、食器を流しへと持っていく。
「今日洗い物俺の番」
どんなに機嫌が悪くてもこういうところはすっぽかさない。まあそれが友久のいいところその壱。
「あーあ、ほんと生きてるのってなんでこんなしょうもないんだろうなぁ、うんざりだなぁ」
かちゃかちゃと食器を洗いながら友久はそう呟く。
「もう、じゃああと死ぬしかないじゃん」
と投げやりになったわたしがリビングのソファから適当な返しをすると、
「ね、光のない人生だわ」
とまたため息をつかれる。
友久と付き合っている(なんなら半同棲までしている)わたしは、彼にとって希望の「き」の字にすらなれていないらしいという事実に気づいて、ちょっと虚しい気持ちと、一発キックをかましてやりたいという気持ちとが胸に溢れて、これが恋とか愛とかいうやつなのだと自分に言い聞かせた。
そんなわけで陰鬱ムードメーカーと化した友久が、隣の部屋にこもっているわけだ。そして彼の生み出す汚染物質が扉の隙間からこちらへと漏れ出てくるので、わたしももれなく憂鬱な気分に感染しているのだ。残念ながらこの病には、マスクも換気も効果がない。
人生ってどうしてこうも面白くないのかなって思う。
本当にうんざりだ。
彼氏はお城に閉じこもって、田舎でとはいえそれなりに聡明でそれなりに美人だと言われてきた、そして大学でだってちょっとくらいモテていたわたしがいるというのに、光のない人生だとか言いやがる。野獣の姿にでもなってさっさと薔薇が枯れちまえ、一生そこに閉じこもってろ、とわたしは悪態をつく。
人生は不幸に感じるようにできているのだと思う。だって考えてみてほしい。どんなにいいことがあったって、嫌なことがひとつやふたつあるだけで不幸な気持ちになる。
わたしたちは大人になるにつれてたくさんのことを知り、たくさんのものに出会う。子供の頃は、外の世界へ、広い世界へ行けば、まだわたしの知らないたくさんの幸せが待っているのだと思っていた。でも実際には、広い世界で暮らそうが狭い世界で暮らそうが、快と不快の割合はさして変わらなくて、ただ多くのことを知れば知るほど、その母数が大きくなっていくだけなんじゃないかと思う。
そして、人生の善し悪しはいいことの数にはあまり関係がなくて、大抵の場合悪いことの数で決まるから、わたしたちは成長すればするほど不幸を感じるようになるのだろう。
多分この世で最も幸せな人生ってのは最も不幸なことが少ない人生で、それはすなわち、生まれてこないことなのだ。
でも、きっとか弱い人類が生き延びるにはそれは重要な能力なのだ、とわたしは突如として悟りを啓く。だって厳しい世界で生き延びるためには、徹底的に不幸を察知しながら生きていかなければならない。だからよくないこと、嫌なことの方にきちんと目がいくようにできているのだ。天才だと後世まで語り継がれるダーウィンだってきっと、自分の人生にはうんざりしていたに違いない。
だから、どんなに勝ち組要素を満載している桑原禎一も、結局のところ性格の悪さで全てが台無しになるのだ。顔の良さは忘れられても、性格の悪さは記憶されているのだ。ざまあみろとわたしは最低な気持ちで嗤う。いや、あいつ自身はそれに気づかないで生きるのかも知れないけれど(なぜなら進化論とは必然ではなく偶然についての話なのでありたまたま能天気に生きてきたやつが襲われることなく生き延びる可能性もあってあいつがそういう類の人類である可能性も否定はできず云々……)。
顔も覚えていない桑原のことをこき下ろしているうちに少しだけ気分がマシになったわたしは、友久のこもっている部屋の扉に背を預けて座り、彼の名前を呼ぶ。
「友久〜、昨日デパ地下で買ってきたプリン食べよ〜。もう3時、おやつの時間」
んん、とまだちょっと暗い声が扉越しに聞こえて、頼むぜまったくという気持ちになる。
「ねぇわたし気づいたんだけどさ」
とわたしはそのままの向きで虚空に向かって話し出す。
「人生ってやっぱりしょうもないわ」
「ああ、うん」
扉の反対側から何言ってんだこいつみたいな雰囲気がうっすら漂ってきて、そもそもきっかけはあんたじゃんと心の中で文句を言う。
「嫌なことひとつあったら、いいことが100個あっても不幸になるようにできてるんだよ、きっと」
「いや、そこまでは言ってないけど……」
「でね、つまるところ、どんな人生が一番幸せかっていうと、」
「……」
「生まれてこないことなんだよ」
取手が回るけれど、わたしが体重をかけているので扉は開かない。
「でね、」
「ちょ、すーちゃん、死なないで」
「人の話は最後まで聞けよ」
「え、あ、うん、ごめん」
大体プリン食べよって言ってんじゃん、一個500円もしたプリンを冷蔵庫に残したまま死ねるわけないじゃん。あんたがふたつ食べるとか、わたしの葬式でバタバタしているうちに腐らせるとか、そんなの絶対許さない。
「で、じゃあ死ねばいいっていうのはアホのテンプレートみたいな回答で、」
「……ごめん」
あれ、これブーメランな気がするとも思ったけれど友久は気づいていなさそうなので黙っておく。
「生まれてから死ぬことと、生まれてこないことは根本的に違うの。生まれてきてしまった時点で、生まれてこないという選択肢はないわけ」
タイムマシンがあればできるね、と扉の向こうで呟いてひとりでふふっとウケている友久に、やっぱりこいつには一発蹴りをお見舞いするしかないと決意する。
「じゃあ生まれてきてしまったわたしたちはどうしたらいいのかって話なんだけど」
「うん」
友久は扉を開けることを諦めて、どうやら反対側でわたしと同じように床に座ったみたいだった。
不幸な気持ちになることは仕方のないことだと思う。人間は大抵、自分はとてもツイていないと感じるし、自分より不幸そうな人を見たところで、でもやっぱり自分だって不幸なんだとか自分の方が不幸なんだとか思ってしまうし、自分よりたくさんのものを手に入れてそうな人を見たら、どうして自分はとか自分は負け組だとか悲しい気持ちになってしまうのだ。田舎にいたって都会にいたって結局色々なことにうんざりするし、うんざりすることがひとつでもある世界はもう最悪な世界なのだ。
ただその一方で、程度の差はあれ何かちょっといいことがあったり、不幸がほんのわずかにでも薄れていくことがあったりして、それで人生全体が幸せになるかというとそうではないのだけれど、でもまあきっとないよりはあった方がいいし、その時に感じる救いが嘘になるわけでもない。
だけど、人は時々全てを拒絶してしまいたくなる。不幸ラッシュのなかで時々気まぐれに現れる幸せすらも拒絶してしまいたくなる。一生吹雪に閉ざされたお城で不幸に浸っていようと思ってしまう。愛とか、希望とか、幸福とか、あとまあお金とか、そういうのも全部どうでもよくなって、というかむしろ煩わしくなってしまう時がある。もうそうなってしまったら、「トータルで不幸に感じる人生」だったものが、「不幸なだけの人生」になってしまう。友久がそうなってしまったら、わたしは多分胸が締め付けられるような気持ちになる。馬鹿野郎って、友久を蹴り飛ばしたくなる。誰かを愛するってことは、少なくともわたしにとってはそういうことだ。
だから、
「わたしは友久のそばにずっといるね」
もう全部を放り投げて雪に閉ざされたお城に籠城してしまったとしても、こうやってすぐそばに座っていればいい。全てが嫌になって、自分だけの凝り固まった世界に閉じこもってしまったとしても、ふと油断した瞬間にわたしが蹴破ってやろう。馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿って罵りながら、そんな厨二病みたいな寒々しい世界をめちゃくちゃにぶち壊してやろう。何度でも何度でもそうしてやる。田舎の大自然で育ったわたしは、それなりに聡明でそれなりに美人で、ついでにそれなりに強い。
「あれ、今人類一般の話してなかったっけ」
という友久の揚げ足取りに、わたしは無言でスッと立ち上がり扉を正面に距離を取る。
わたしが立ち上がったことを扉越しに察知した友久が取手に手をかけて扉を開く。
ガチャリ。
扉が開き、その間抜けづらがあらわになったその瞬間、わたしの左足が大気を切り裂く。
顎に炸裂したとてつもない愛で、友久は部屋の後方へと吹っ飛んでいく。
「愛してるよ、ともくん♡」
滅多に使うことのない「ともくん」呼びまで大サービス。わたしの狙い通りきちんとベッドに着地して呆然としている友久に、わたしは優しくキスをした。
愛が暴力的なのは、進化のせいだとわたしは思う。 辰巳キリエ @kirie_usagi
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