第17話

 朝。いつもより早く起きて、学校へ行く。もちろん思原との約束のためだ。途中、店に寄ってから行くことにした。

 学校に着くと、思原は既に来ていた。屋上の鍵も持っている。予定より早く来ていた様だ。

「当番の先生から借りてきた。行くぞ」

「うん、ありがとう」黙々と歩く。


 ガチャ、ギィィ。

 ドアを開く。そして、光が落ちた、というところまで思原に連れられ、近づく。

「ここだ」

 近づいてみても、普通なら乗り越えないだろ、という手すりしか無く、見下ろしてみても、何も残っていやしない。

 だだ、澄んだ空気だけが広がっていて。

「わかっていたつもりだったけど…」これには空しくもなる。

「猫間は、お前を恨んでなどいなかった。笑っていた。そして、『ありがとう』とも言っていた。信じるかはお前次第だ」そう言って思原は薄く笑う。

「うん、わかった」僅かに心が軽くなる。

「じゃあ確かに伝えたぞ」

「教えてくれて、ありがとう。…でも、少し寂しいな。こうやって、みんな忘れていってしまうなんて」

「そうだな」思原は、どこか遠い場所、遠い記憶を見る様に目を細める。

「何か、できないのかな」

「さあな。…ならば、お前が憶えていればいい、猫間の生き方全て」

「…大役だなぁ。でも、そうだね。そうしよう。…ねえ、光はまだ、ここに、居るのかな」

「…いや、居ないだろう」

「そっか。…光。君がどこに居るのか、…居ないのか、僕にはわからない。でも、聞こえているといいな。助けられなくて、ごめんね。苦しかったかもしれないね。…でも僕は。押し付けかもしれないけど僕は、君といられて楽しかった。僕の方こそ、ありがとう。だから、君は幸せになってね。…もしいつか、生まれ変わったとしたら。その時はまた出会って、もう一度友達になろう。約束だ。…じゃあまたね。さようなら」何とかそう言い切って、僕は道すがら買ってきた花を置く。

 勿論返事はない。でも、この一方的だが確かな約束を抱いて、僕はまた歩き出せる。生きたくとももう生きられない光のことを思えば、どうして生を投げ出すことができようか。

「別れは済んだのか」

「うん。付き合ってくれてありがとう。庭にも行っていいかな」

「ああ、わかった」

 僕らは庭へ降りた。光が落ちたのは、花壇だったと聞いていた。

「この花壇だ」思原が教えてくれる。

 僕は袋から花を取り出す。

 すると思原は、表情に戸惑いをにじませた。とても僅かだが。

「お前、ここに植えるつもりなのか」

 そう。思原の言うように、屋上の花は普通の切り花だが、これは花の苗なのだ。

「うん。花壇と聞いていたから。この方が長く咲くでしょ」

「まあ…そうだが」少し呆れているような。

「ほら、スコップも持ってきたし」

「用意がいいな」

 少しして、苗を植え終わる。すると。

「ならば水もやらないとな」足音がする、と思ったら思原が、ジョウロに水を入れて持ってきてくれていた。

「っあ、ありがとう」僕の感傷みたいなものを、理解して肯定してくれるとは思っていなくて、驚いた。

 ジョウロを持ってきた思原は、それをこちらに差し出したまま、動かないでいる。

「早く受け取ってくれないか」

「え、あ、うん。ありがとう」慌てて受け取る僕。

「で、でも、思原がそのまま水をあげてくれてもよかったのに」

「…それは無い。その花は、お前が猫間を思う気持ちがこもったもので、俺なんかが手を出していいものではない」

「…そうなんだ」光はそんなことを気にしない気もするが。でも渡されたからには役目を全うしよう。

「よし、これで大丈夫だね。…このジョウロ、どこにあったの?」

「昇降口の横の掃除用具入れだ。中に戻るついでに返せる」

 思原がそう言ったので、僕らは歩き出した。

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