二〇一六年八月二一日 2016/08/21(日)夜
薄闇が広がり、ステージはライトアップされて、にわかに幻想的な風景に変わった。徐々に観客が増える中、澄子は右側の一番前でその時を待った。
考えてみれば、こうした大きな催しのステージ、しかも夜の時間帯で柿坂の演奏を見るのは初めてかもしれない。澄子は持っていたカメラを取り出した。
開演五分前、司会者によりコボックが紹介された。『昼間は真面目に働くお兄さんたち』というあたり、どうやら公務員という職業は伏せているらしい。
相当な実力集団にも関わらず、どうしてプロを目指さなかったのか、開演前にステージ控えで澄子がそんな質問をすると、柿坂を始め全員が『安定していたい』と答え、澄子も笑ってしまった。
一度、ステージの照明が落とされ、再び点灯した時、拍手が鳴り響いた。両サイドから現れたメンバーの格好に、思わず澄子は声を上げそうになる。全員が、アロハシャツ、しかもサングラスをかけていた。柿坂も例外ではない。
澄子が小さく手を振ると、それに気づいた柿坂が困惑したように肩をすくめた。
――きっと、イヤイヤ着たんだろうな。
それがおかしく、つい笑ってしまいながらも、拍手を送った。愛しい人は二胡を持ち上げてそれに応えた。
激しいリズムで担ぎ太鼓が鳴り響くと、会場から拍手が響いた。もっと盛り上がるようにと、メンバーが観客を煽る。
例のギターの青年がマイクを握り、相変わらず顔を赤らめながら頭を下げた。
「き、今日はこの『すずみね祭り』を大いに盛り上げに来ました!どうぞ楽しんでいってください!あと、アロハの格好ですけど、すみません!ハワイアンの曲はありません!」
笑いが起こる中、太鼓に篠笛の祭囃子が加わり、次にコントラバスと柿坂の二胡が低音の伴奏を始める。次いでギター、アコーディオンなど、メンバーの楽器が次々と加わるたびに、会場のテンションも跳ね上がっていく。和風のメロディーがいつの間にかロック調に変わり、自然と手拍子が起こった。
この祭りの夜にふさわしいハイスピードの曲目が次々と演奏され、あっという間に三十分が過ぎていった。
――。
曲の合間、楽器の解説が始まった時だった。
澄子は誰かの視線を感じ、少しだけ首を左に向けた。
一列後ろ、少し離れた場所から、髪を高く結い上げた女性が、こちらをチラチラと様子見しているのが目に入る。
――あれは。
背中が一瞬ざわつく。
四月。花見の日、澄子に会釈をしてきた人物――柿坂に、二胡を教えて欲しいと執拗に近づいている女だった。
正直、その執着心に辟易する。
――今日も、柿坂さんにお願いするのかな。
柿坂は駆け引きや小細工、おもねりを心底嫌う。澄子自身それがわかっているから、どんな些細なことも柿坂には真っ直ぐな気持ちを伝えてきた。
――でも、やめた方が良いとか言えるわけないし。
そもそも、こちらを見てくる理由は何だ。せっかくのステージ、気が散ってしょうがない。
その時――。
女の隣にもう一人、五十代前後と思しき女性がいることに気づいた。
肩より少し長い髪の毛に埋もれた顔は、痩せ気味でどこか生気が抜けた印象だ。
その年配の女は、ステージと澄子とを、まるで交互に見るような不自然な動きをしてみせた。そして、じっと値踏みをするような眼差しを澄子に向けてくる。しかし、それも束の間、すぐにステージの方へ完全に向き直ってしまった。
――イヤだ、何なの。
そこへ、再び大きな音が鳴り響く。疾走感のあるギターに合わせて、二胡が細かい音を鳴らした。柿坂の見せ場にも関わらず、澄子は気持ちがふさぎ込んできた。
すると、まるでその想いが通じたかのように、ふいに柿坂がこちらに目を向けた。そして、アドリブで馬のいななきを鳴らす。
澄子は不思議な安堵感に包まれながら、愛しい人に手を振った。
ステージが終わり、メンバー全員が礼をして舞台そでに引き上げていく。それを見届けると、澄子は急いで席を立ち、柿坂との待ち合わせ場所に向かった。
先ほどの二人組の女と遭遇したらどうしようなどと心配になったが、結局あれから女たちの姿を見ることはなかった。気にならないと言ったら嘘になるが、今は余計な不安や心配材料を抱えたくない。
――柿坂さんと、初めての花火。
大事な時間を無駄にしたくない。澄子は時計を確認した。
――きっと、楽器の片付けとか色々あるだろうから、ギリギリかな。
花火見物の秘密の場所は、ここから歩いて十分はかかる。もしかしたら、地元の住民に知られて、先に場所取りがされているかもしれないと思うと、澄子の気持ちは焦り始めた。
――ビールも買わなきゃ。
澄子は、携帯を取り出した。秘密の場所である河畔公園の裏小道の場所、そして先に行っているとのメッセージを柿坂へ送ると、人で賑わう広場を後にした。
川沿いに並んだ屋台の色鮮やかな明かりが、小さな鈴峰町を彩る。
徐々に見物客が川岸に集まり始め、祭りのクライマックスを待ちわびていた。途中、ビールを買い込んだ澄子の足も自然と速くなり、河畔公園の裏小道をひたすら目指した。
そこへ、柿坂からの着信があった。
「もしもし、和泉です」
すると、柿坂のため息まじりの声が聞こえた。
「待ちなさいって。そんなに慌てて、スッ転んでも知りませんよ」
「だって穴場なんですよ。本当に、一番静かで、一番きれいに見えるんですから」
すると困ったように、柿坂が答えた。
「とにかく、そっちに向かいますから、あまり動き回らないでください。危ないですよ」
「平気ですよ。わたし、この辺は詳しいんです」
柿坂との電話を切り、澄子は河畔公園までやって来た。裏小道までは、遊歩道の低木の間を抜けると早いのだが――。
――さすがに、夜は怖いかな。
澄子は遊歩道のベンチに腰を掛け、柿坂が来るのを待った。
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