義兄【オーキッド】

人魚姫マーメイドはどうして身を投げたのでしょうか」


 手を止め、あくびをする。窓から射す光が体をポカポカと暖めてくれて心地良かった。


「えーと……オレが知っているのは、お姫様が王子様と結ばれて幸せに暮らしたーっていうエンドだよー?」


 柔らかな笑顔で尋ねてきた男性もウトウトとしている。彼の左手には騎士ナイトの駒が握られており、それをテーブルに広げた地図上へ置いた。


「絵本で読んだ時はそっちだったの。あと義兄にいちゃん強すぎ」

「そうなんだー! あとねー、これについては手を抜くつもりないからー」


 言われつつも歩兵ポーンを相手陣地に向けて前進させる。しかし、忘れていた相手の戦車ルークが敗走中のキングの前に現れた。


「はーい、大人しく投降してねー」

「あーーーっっまた負けた!! もうなんなのこの軍師!!」


 これはチェスの駒を兵士に見立てた模擬戦争だ。リアリティの無い遊びと言われてはそれまでだが、これが案外難しい。


 そしてこのゲームの世界王者こそが、目の前の男。ホワイトの義兄【オーキッド】。ちなみに彼も攻略対象外で炎上しかけた。


「でもこれ普通にチェスじゃ駄目なん? あれって確か戦争モチーフなんだよね?」

「そうなんだけどー、あれは状況とか地形とかを考慮してないでしょー? オレはこっちの方が勉強になるんだー」

「まあそうなんだけどさ、現役軍師に新人が勝てるわけが無かろうて」

「んー? でもホワイト、ミストに負けたことあったよねー? 年齢を言い訳にするのは良くないよー」

「腐っても兄弟だなって今メッチャ思った」


 弟はまだ良いのだ。しっかり煽るつもりで煽って罵倒するつもりで罵倒してくるから。

 より悪質なのはこの兄の方。無自覚に人の逆鱗に触れる、というよりも地雷だと思わないでブレイクダンスするタイプの人間。


「オレもミストも、まだ生きてるから腐らないよー」

「そういうことではなくてよ。つか私はまだ半年程度しかやっていないし、ミストは一歳の頃からの経験者でしょ? 無理ぽよ」

「そうかなー? ホワイトはテンプレートに当てはまらない奇策が得意みたいだしー、他の人に挑んでみたら分からないよー?」

「このゲーム義兄ちゃんとミストと私しか知らないじゃん」

「ルール説明頑張れー」

「しくしく」


 事前に決めていた罰の通りに机上を片付け始める。意識を半分ほど夢の世界へ飛ばしている義兄をジトッと見てしまった。

 しかしまあ例に漏れず顔が良い。左目に前髪がかかる様子は絵画さながらで羨ましい。


「そろそろメイドさんたちが毛布取り込んでくる時間だよね? ダイブさせてもらいに行こーよ!」

「んー……贅沢だねー。行くー」


 日の光をたっぷり浴びた毛布は贅沢品だ。欧米のダブルベッドも素敵だが、自分は王道が大好物である。


「あ、でもー。先にコーヒー飲みたいなー」

「目ぇ覚めるやん……良いけどさ。自分で淹れなよ?」

「え? なんで? オレが勝ったのに?」

「アンタもうホントに性格悪いな!!」


 プリプリと怒りながら部屋に常備してあるコーヒーメーカーに近寄った。あのナチュラルな傲慢さは本当に貴族らしい。



 彼はミストと違って本当に清廉潔白な人物だ。少なくとも害意を持って他者と接することがなくて、空気が和む。

 しかし見方によっては作中トップのおぞましい無邪気さを持つキャラだった。


 それをファンが把握したのは【シグナル編:虚飾の太陽】が多い。シグナルレッドを主軸とした陽キャとのルートの一つ。

 隣国との戦争が発生する数少ない道で、軍師としてオーキッドが活躍する。まだ学生のシグナルを抜擢して、高温化魔法で氷山から雪崩を発生させたのだ。

 敵兵からすると日差しが強くなったと思う程度だったために逃げ遅れ、相手陣営に大ダメージを与えた。


 その功績を讃えられて貴族の位が上がったものの、シグナルには強いトラウマが植え付けられる。それを打破出来るのかどうかはヒロインにかかっていた。

 そう。そこで戦死者の幻影に悩むシグナルの地雷でブレイクダンスしやがったこの男。


『学生時代に参加出来て良かったねー!』


 これが地獄の職場体験。無自覚の盤外戦術がえげつない。


 悪意を持たずにありのままで他者に接する。それは美徳とも思えるが、これを見たファンは本音と建前と嘘と真実の重要性に気付けただろう。



「えー? オレ、優しい人でいたいって思っているのにー」

「まあそこは認めるよ? タチ悪いサイコってとこ以外はちゃんと出来てるよ? 要所要所でヤバいことになるけど」


 何も考えずに喋っている訳ではないことが更なるマイナスポイント。例のセリフも本人は励ましのつもりだと表情で分かる。

 言葉選びと状況がマッチしていないだけ。それだけで思いやりの心はあるのだ。なんせ、自分の転生カミングアウトを信じてくれている数少ない理解者なのだから。


「怒られることは時々あるかなー。去年学園を卒業したばっかりの新人が、生意気だって言われているよー」

「生意気なんじゃなくて地雷ダンサーなんすよアンタがよ」


 コーヒーが二つ出来た。それを持ってテーブルへと戻る。


「ダンサーと言えばー、今の学園パーティーってどうなってるのー?」


 ゴールドとのイベント以来、エスコートのお誘い案件は誰とも発生していなかった。


「男装で女子釣りの予定だけど」

「バレるんじゃないかなー? 前に男の子が女装して参加してたことあるけどー、先生たちに見つかって下着一丁にされてたよー」

「めっちゃ見たかったそれぇ!!」

「『先生のエッチィ!!』って言ってたー」

「狸型ロボットアニメのヒロインやん……」


 目の前のイケメンは心配になるレベルでミルクを入れまくっている。自分はそれを横目にブラックコーヒーを飲んでいた。苦い。


「それでー、パーティーってオレが行っても良いかなー?」

「ブラック様の反応が気になるからむしろおいで!!」

「エサに食いつく魚さんみたいだねー」


 思わぬ要求にヘドバンで返事してしまった。慣れているが前動作無しでやると痛い。


「ちなみにさっきの話ねー。男装してた女の子は、反省文を百枚書いてたよー。だから、男装やめときなよー」

「や! 反省文も男装停止も、や!!」

「えー? でもオレは普段の服で行くから、両方男の振り付けのダンスをすることになるよー?」

「え? 義兄ちゃんが義姉ねえちゃんになるのではなく? 例の事件みたく」

「やだー」

「チッ」

義妹いもうとが怖いよー」


 誰かと共にパーティーに参加するのは、エスコートの申し出を受けたということ。それゆえに一度は踊らねばならず、互いに譲れない戦が始まろうとしていた。


「パーティー終わったらー、城下町のアイス買ってあげるからさー」

「ワタクシはオシトヤカなレイジョウでございましてよぉっ!!」


 盤外戦術によりオーキッドの不戦勝が決まった。



 名家の長男としての苦労もあったはず。けれどそれを意識させない笑顔がチャームポイント、なんて。周囲からのありえない評判に失笑せざるを得ない。


 彼は苦痛を自覚できないだけなのだから。


 キャラ設定を思い返した訳ではなく、見ていて気付いたこと。他人への思いやりがズレている原因もそれにあるのだろう。


 普通なら矯正してあげたくなるような大きすぎる欠落。けれど、おあいにく様。自分は天上天下唯我独尊ゴーイングマイウェイ我欲至上主義のオタクだ。


 自分が思う幸せの形に、相手を強制的に付き合わせるのは反対しているから。そのままで幸せそうならそれでいいと、思っている。



「コーヒー、美味しいよー」

「そりゃ可愛い義妹が入れましたからね? まあ実質コーヒー入りミルクだけど」

「それも美味しそうー! そういえば、前にミストがコーヒーに挑戦しててねー? 一口飲んでから、誰も見てないうちに角砂糖を一つ加えてたんだよー」

「あら可愛い。まあでもアニキより味覚は大人っぽいな」

「えー? なんでー? オレはもう成人だからー、味覚もオトナだよー!」

「思いきり砂糖追加してコーヒー風味の砂糖ミルクにしてる奴が何をほざくのやら」

「大人が甘いもの好きじゃダメなのー?」

「ウッ正論」

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