友人の帰郷
箕田 はる
友人の帰郷
友人が地元に帰る。
寝耳に水な話に、俺は慌てて友人を飲みに誘った。
彼の実家は今住んでいる所から、飛行機でなければ行けない距離にある田舎で、帰るとなれば、もう会えるかどうか分からなかったからだ。
彼とは大学時代からの付き合いで、もう十年以上の仲になる。だからこそ、突然の別れに理解が追いつかないでいた。
居酒屋で待ち合わせをし、先についた俺はソワソワしながら彼を待った。お互い社会人とはいえ、頻繁に飲みに行っていたはずだ。
何一つ相談もなかったことに、寂しさ以上に納得がいかなかった。
友人が現れる。どこか気まずそうに口角を上げて、「よう」と言った。
向かいに座る彼に、早々に質問をしたかったが、さすがに我慢して「ビールでいいか?」と別の事を問う。
おしぼりで手を拭きながら頷くのを確認し、俺はビールと適当なつまみを頼んだ。
早々にビールとお通しが届き、俺たちはジョッキをぶつけ合う。
取りあえず喉を潤し、一心地ついてから俺は本題を口にする。
「実家に帰るって、急にどうしたんだ?」
つい、キツい口調になっていた。彼を止める権限はないと分かっていても、一言ぐらい相談して欲しかったのだ。友人として。
「悪い。急にこんなことになって」
「別に、実家に帰ることを責めてるんじゃないんだ。ただ、急だったものだから、動揺してるだけで……」
彼が心底申し訳なさそうな顔をしていて、俺の方が居たたまれなくなる。言葉尻が弱くなるのを自分でも感じた。
「いや……俺もまさかって感じで――」
そこで彼は気まずそうに、ジョッキに口をつける。
「……親の具合が悪いのか?」
よくある理由を遠慮がちに口にする。
家長が病に倒れて、急遽、跡継ぎが必要になるというのはよくある話だった。
だけど彼は「そうじゃないんだ」と、歯切れ悪く言った。それから言い淀んでいる様子で、視線を落とす。
「……お前だから話すけど」
数分の沈黙の後、やっと彼が口火を切る。
「こんな時代に、あり得ないことだと俺も思ってる。だけど――」
普段の彼らしくない曖昧な態度に、俺は少し緊張していた。この湿っぽい雰囲気から逃れたくて、「だけど、なんだ?」と、俺は促した。
彼は一度口を閉ざし、それから「こんな話……誰にも言うなよ」と声のトーンを落とす。
居酒屋の半個室とはいえ、周囲は騒がしい。
俺は彼の言葉をしっかり聞こうとして、テーブルに両腕をつけて上体を前に出す。
「お前がそういうなら、他言はしない」
ここまで来て、後には引けなかった。こんな心許なさそうな顔をする友人の姿を前に、どんなことでも受け入れてやると思えていた。
彼は一度、重たい溜息を吐いてから「祖父が米寿なんだけど」と切り出した。
「米寿? 八十八歳ってことか。めでたいじゃないか」
俺は何だか拍子抜けしていた。まさか祖父が出てくるのは予想外だったからだ。
「それが……そうでもないんだよ」
それから彼は、残っていた半分ほどのビールを一気に飲み干した。飲まないと話せないといった様子に、俺は首を傾げる。
「俺の地元って、閉鎖的でさぁ。それが嫌で出てきたっていうのもあるんだけど」
確か大学を機に、上京したと聞いていた。
「知ってると思うけど、俺んちって、米農家なんだよ」
そこでまたしても言葉を詰まらせる。明らかに様子がおかしく、俺は店員を呼んでビールを追加で頼んだ。
二つのジョッキが運ばれてきた所で、彼が再び口を開く。
「毎年、豊作なんだ。その村の田は」
「はぁ……別にいいことじゃないか」
話が見えてこず、俺は眉間に皺を寄せる。彼の祖父が今年米寿で家が農家。それで村は豊作。どう繋がるのか、さっぱり分からない。
「その理由だけど……米寿の人間を田に植えてるからなんだ」
一瞬、何を言っているのか理解出来ず、俺は唖然とする。
「……植える?」と、やっと出た声は少し上擦っていた。
「嘘だと思うだろ。俺も実際に見たことないし、話を聞いた時も何かの比喩かと思ってたんだ。それに、そんな風習許されないと思うだろ?」
彼も半信半疑と言った様子に、俺は同意するように頷く。
「だけど、今回、祖父が米寿を迎えて、それが本当だったんだって……米寿って意味は知ってるだろ?」
「確か……八十八が米の形に似てる、とかじゃなかったか?」
回らない頭でも、俺は答える。
「ああ。だけど、俺の地元は意味合いが違う。米に生命を与えるっていう意味で、米寿の人間を田に沈めるそうだ」
「まさか……昔は土葬とかあるから、あり得るとしても、今はダメだろ。法律的にも」
「そう思うのが当然だ。だけど、あの村はそれがまかり通るんだろ」
やけくそのようにして、彼は乱暴にジョッキを煽る。
「でもよ、八十八歳になっても、死んでなきゃダメだろ。さすがに生き埋めに出来るはずがない」
まさか殺すわけにはいかないはずだ。
俺の反論に対して、彼は深刻そうな顔で首を横に振る。
「盛大なお祭りが開かれて、米寿の人間は祭り上げられるんだ。その流れで田に自ら入っていって、横になると住民一同で泥をかけていく……らしい」
らしいというのは、実際に見たことがないのだろう。だけど、今年、それが行われることは間違いないようで、彼は悄然としていた。
「でも、それをお前がやりに帰る必要は無いんじゃないのか? 嫌だって言って、帰らなきゃいい」
その村に帰らなきゃ良いだけの話だと、俺は半ば説得するように訴える。現代の世の中じゃあ、人殺しと呼ばれてもおかしくないのだから。友人が手を染めるのは、俺としても不本意だった。
「俺は長男だから、そういうわけにはいかないんだ。それに逃げたりしたら、俺が田に植えられるかもしれない」
ジョッキを握る手が震えているのを見て、彼が冗談を言っているように思えなかった。
「とにかく……俺は実家に帰るしかない。祭りに参加するかはともかく、顔を見せないといけないんだ」
彼は自分に言い聞かせるようにして、じっと一点を見つめて言った。
そのどこか諦観しているような表情が、俺には恐ろしくて仕方がなかった。
そんな彼を俺は必死で説得した。警察にも相談すべきだとも言った。
だけど、彼は最後まで、首を縦に振ることはなかったのだ。
それから一年程経ち、俺の元に友人から荷物が届く。
そこには、新米とシールが貼られた茶色い米袋が入っていた。
本来であればありがたい。
だけど俺は、口をつけようとは思えなかった。
なぜなら友人とは、あの日を境に連絡が取れなくなっていたのだから――
友人の帰郷 箕田 はる @mita_haru
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