濃茶

深川夏眠

濃茶(こいちゃ)


 吾輩は路傍で保護された白猫である。この家での呼び名はパイタン。かつてこれほど軽侮の念が籠もった名を授かったことはない。飼い主一家には敬意が感じられないので、早々に次の行き場を探す所存である。

 ここには人間以外の先住者がいた。名前はこいちゃ。リクガメなる面妖な生き物だ。世帯主の母であるゆきに愛玩され、日がな一日、野菜の切れ端を貪っている。曰く「濃茶はあたしと同い年なんよ。あたしが生まれた年に貰われてきたんだから、間違いない。二人して八十八歳だ」。亀は長命の動物だから高齢でも不思議はないが、本当に米寿かどうか疑わしい。

 第一、こちらの方が余程長く生きているし、皆には黙っているけれど、実はホレこのとおり、人語を解すのだ。スマートデバイスの一つもあれば、肉球でタッチしてチョチョイのチョイで文章を綴るのも朝飯前。のそのそ鈍重に動き回るだけの、ずんぐりむっくりしたヤツと一緒にされては困るね。

 そう思っていたある日、衝撃の場面を目撃した。おばば所有のタブレットを濃茶パイセンが爪の先を駆使して操作していたのだ! 吾輩が驚愕に見開いたまなこで注視しているのに気づいた彼は、動きを止めて口の端をほんのり上げ、薄く笑った。

 我々は思うところを文字で表示し合ってコミュニケートに成功した。誤字・脱字・衍字、余計なスペースが多発するのはご愛敬。結果、おばばの話は真実で、濃茶さんは御年八十八歳に間違いないと判明した。いや、それにしたって吾輩の方がずっと年上なのだが……ここは一つ、敬意を表してパイセンと持ち上げさせていただこう。

 濃茶さんは先日おばばとツーショット撮影された画像を探していて、おかしなフォルダを開いてしまったと相談してきた。

「これ詐欺と違うか」

「ぬぬ?」

 日本語に訳すと「ラヴリー、マイハニー・ユキコ、オカネガタリマセン、タスケテクダサイ」――って、おいおい、何をやっているんだ八十八歳のおばば! 相手が顔や身分を偽るのは常套、しかし、にされた側も三十歳以上を読んで、どこぞの美魔女に扮しているとは……。

 呆れた我々は、しばし目を見交わして溜め息をついたのち、気を取り直して作戦を練った。おばばがネットバンクで詐欺師の口座に送金するのを阻止したのだ。いざという瞬間、濃茶先輩がモニターに、食べたばかりで未消化の野菜をと吐き出して――。

 おばばはギャァァァッと悲鳴を上げた。そりゃそうだ。しかし、汚れたタブレットや床の拭き掃除をしている間に犯人が逮捕された模様。おばばが再度ブラウザを開いたところへニュースが流れてきたのだ。間一髪。未遂に終わってよかったな。世界最高齢の国際ロマンス詐欺被害者になるところだったのだぞ、千子さんよ。

 まあ、長生きしてくれ。未亡人だから、新しい恋に落ちるのも結構だけれど、金の話が出たら即、疑ってかかれ。じゃあな。

 ……おっと。濃茶先輩も、お身体に気をつけて。野菜はよく噛んで食べなされ。




                濃茶【了】




*2022年3月 書き下ろし。

*縦書き版は

 Romancer『掌編 -Short Short Stories-』にて無料でお読みいただけます。

 https://romancer.voyager.co.jp/?p=116877&post_type=rmcposts

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濃茶 深川夏眠 @fukagawanatsumi

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