『私の』思い出の味と『未来への希望』

犬鳴つかさ

『私の』思い出の味と『未来への希望』

「私はね、ウニが食べたいのよ」


 米寿のお祝いに、ひいおばあちゃん家に行った時のことだ。軽い気持ちで「欲しい物とかある?」と聞いたらニコニコ顔でそう言われてしまって私は困った。当時は小学四年生で、そんなもの食べたことがない。回転寿司屋に行ってもマグロやサーモンを頼んでばかりだった。


「ウニ、あるー?」


 台所でお昼ご飯を作っている母にそう言うと、びっくりされてしまった。ウニなんて一般家庭の冷蔵庫にはなかなか入っていないし、私の口からウニなんて言葉を聞いたのも初めてだっただろうから母が驚くのも無理からぬ話だった。


 だが事情を話すと、どこかホッとしながらも母は優しく微笑んだ。


「ああ、おばあちゃんの『ウニ』は、あれよ」


「あれ?」


「知らない? プリンにお醤油かけるとウニの味になるって話」


 世代のせいか、たまたま聞いたことがなかったのかはわからないが、私はそんな話を知らなかった。


「ホントに?」


 ウニこそ食べたことは無いものの、お高いものだと言うことはなんとなく知っていた。それがプリンと醤油という庶民的な組み合わせで再現できるのか? 子どもながらに疑問だった。


「いいのいいの。あれがおばあちゃんの思い出の味だから」


 母は背の低い古い冷蔵庫からプリンを一つ取り出した。母がフタをめくったのと同時に、私は軽く机の上に乗り出してそれをスンと嗅ぐ。お昼ご飯前でお腹が減っていたこともあって、何となく匂いが気になったのだ。


「ああ、ダメダメ。これは、おばあちゃんの。冷蔵庫の中の最後の一個だったからね。あかりの分は、また帰りに買ってあげるよ」


 私は急いでプリンから離れた。食べようとまでは考えていなかったのに、食い意地張っていると思われたのが悔しかったし恥ずかしかった。


 プイとそっぽ向いて、母からもプリンからも目を逸らす。すねた私は意地を張って、しばらくどちらにも目を向けなかった。


 それあと少しして、家族で食卓を囲んでお昼を食べた。ひいおばあちゃんのご飯の上にだけ薄黒いプルプルしたものが乗っている。あれが、もしかして……。


「灯ちゃんも食べる?」


 ひいおばあちゃんが一言尋ねてくる。私は、彼女と一緒になって妙に微笑ましい視線を向けてくるお母さんが気になり、チラチラと様子をうかがっていたが、やがて好奇心のほうが勝って一口もらった。


 その不思議な味は、曖昧ながらも妙に私の舌の片隅に残っていた。




「ああ、そういうこともあったわねぇ」


 電話越しで母が、そんなことを言う。きっとあの時のような生温かい目をしているんだろうな、と思うと何だかムッとしてしまう。


「……で、どうしたの? 急に思い出して、気になっちゃって、レシピを聞きにきたの?」


「ち……そう」


 あまりにも図星だったのが悔しくて反射的に『違う』と言いそうになったが、なんとかこらえた。


 一応、プリンに醤油をかけるだけでしょ、とタカをくくって自分で一回試してみたのだが、正直言ってマズかった。だからちょうどいい分量や隠し味があるのかもしれないと思い、恥を忍んで母に電話をしたわけだ。


「でも、そんなに美味しくないかもよ?」


「……どういうこと?」


「あれは『おばあちゃんにとっての』思い出の味だから」


 私も昔食べてみたけど、あんまり美味しく無かったしね、と母は笑った。


 何でも例の品は、ひいおばあちゃん夫婦が貧乏だった時に、ひいおじいちゃんと一緒によく食べていたのだそうだ。いつかは本物を食べよう、と言いながら。だが、本物のウニを食べられるようになってからは、その代替品だったはずのほうがかえって愛おしく感じるようになってしまった……というのが真実らしい。


 それから母に、昔ひいおばあちゃんから聞いたというレシピ(というほど、ちゃんとしたものではないが)を教えてもらった。醤油の量は意外と少なめでプリンの色が全体的に薄黒くなるまで混ぜるのがコツらしい。もちろん、カラメル部分は使わない。私は母に礼を言ってから電話を切った。


 とりあえず少しだけご飯をよそい、プリンも一口分だけお皿に取り分けてから研究を始める。自分で試してるくせに『不味かったら捨てる』は倫理的にも経済的にも許せない。


 醤油を教えてもらった通り、ちょっぴりだけ垂らす。その色がうっすらと全体に行き渡るまで混ぜる。そして、ご飯にかけた。


 甘い匂いを放つプルプルとしたものが、少量の白米の上に乗る。あの時と同じで薄黒い輝きがあった。今見ると少しきついビジュアルだが、思い切って、一口。


「美味しくない……」


 それはそうだ。本当に味を再現できるならば、みんな本物のウニを食べずにこっちで済ませているはずだ。子どものころ抱いた私の直感は正しい。


 ──あれは『おばあちゃんにとっての』思い出の味だから。


 さっき耳にしたばかりの母の言葉を反芻はんすうし、本当の意味を理解した。


「この料理は『思い出』が、決め手だったわけだ……」


 若かりしころのひいおばあちゃん夫婦を思い描く。私にとっては遠すぎるその世界にひとしきり思いを馳せてから、ため息を一つ吐いて、振り切った。


「それなら、私は……!」


 素人の持論だが、料理の本質とは◯◯ナイズすることだと思う。


 確かにチェーン店のような万人向けの料理を作るのも、素晴らしいことだと思う。多くの人が同じものを食べてもそれなり以上に感じられるのは、企業努力の賜物だろう。きっとそういった料理も誰かにとっては、かけがえのない味になっているに違いない。


 でも、食べてもらう相手が決まっているのなら、その人に、その家に、合わせて思いやって作る。隠し味などの凝ったことをしなくとも、ちょっとした分量の調整でも良い。それが料理というコミュニケーションのあり方ではないだろうか。


 もちろん、自分に振る舞う料理は自分に合わせる。


 さて、私はどんな味が好きだろう?


「私は『私の』思い出の味を作るぞー! 」


 ウニと考えるからダメなのかもしれない。あくまで、ウニ風味の別物として割り切るのはどうだろう。『ご飯にかける』というのも固定観念の一つのような気がする。なんならパンでも……。


「トーストッ……!」


 閃きが走る。食パンにウニ風味のそれを塗って焼く。それならプリンの甘みも、醤油の辛みも上手く活かせるかもしれない。スイカに塩、と言ったような互いの味を引き立てる相乗効果は私好みでもある。


 香ばしさを追求するなら海苔もいいだろう。上からプリンを塗るならトーストに上手く貼りつく。そして私は調理を開始して……。


「できたッ! 『私好みの和風ウニ風トースト』ッ!」


『風』が二つ付いているのは、ご愛嬌。だって風味だのみなんだもの。


 まずは、匂いから楽しむ。プリンの甘い香りと、醤油と海苔の香ばしさが期待以上にマッチしていた。


 そして、トーストの四隅の一角を一口。


「おいっ、しい〜……!」


 プリンの柔らかさと海苔のパリパリ感……それぞれが融合しながらも決して自己を見失っていない。醤油ベースの味もちょうどいい甘辛さを引き出していた。


 私がひいおばあちゃんと同じ八十八歳になった時、この味は思い出になるのだろうか。


 それとも、この場面を上回る素敵な味に、人に──特にひいおばあちゃんにとっての、ひいおじいちゃんのように──出会えるのだろうか。


 そう考えると、今食べているものがより美味しく感じる。


 『思い出』と同じように『未来への希望』もスパイスになるんだなと、些細な気づきを得てから私はもう一口トーストを頬張った。


「──あなたは、どんな味が好きですか?」


 未来への誰かに向けて、問いかける。私は、その人を思いやる料理を作りたい。

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『私の』思い出の味と『未来への希望』 犬鳴つかさ @wanwano_shiba

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