オバウテ

碓氷果実

オバウテ

「あー遊んでるー!」

 ノートパソコンの画面に集中していたので、突然耳元で弾けるような声がして、僕は小さく飛び上がってしまった。

「いや休憩中だから。別に遊んでないし」

 恥ずかしさをごまかしたくて、わざと不機嫌そうに振り向いた先には声の主――無邪気な笑顔をたたえた滝山がいた。

「いいんですかあ、会社のパソコンで私用の調べ物なんかして」

「休憩時間には私的利用OKって服務規程にも書いてあるだろ」

 そうでしたっけ? と大げさに首を傾げる滝山は、一見するとまだ女子大生のようだが、こう見えて入社三年目になる僕の後輩だ。元教育担当としてはもう少し社会人らしくちゃんとしてほしいのだが、その人懐っこい性格をうまく仕事に活かせているようなのであまりとやかく言わないことにしている。だが、最近僕のことを若干ナメてるような気がする。

「ふたりともお疲れ」

「お疲れ様でーす」

「お疲れ様です」

「なに、遊んでんの?」

 マグカップ片手に声をかけてきた笹井さんは、僕らの直属の上司だ(弊社では役職に関係なくさん付けで呼ぶ文化が浸透している)。さっきの滝山の頓狂とんきょうな声を聞いていたんだろう。からかうように僕のパソコンをのぞき込んだ。

「違いますって。もうすぐ祖父が米寿なので、プレゼントどうしようかなと思って調べてたんですよ」

 僕は二人にモニターを見せる。「米寿 お祝い」の検索画面には、通販のページや長寿祝いの基礎知識と銘打ったECサイトの特集ページなどのリンクが並んでいる。

「へえ、お祖父さんが! すごいね、お元気なんだね」

「まあ結構ボケが来ちゃってるんですけどね」

 俺八十代まで生きられる自信ないなあ、僕もです、なんて雑談をして笑い合っていたが、ふと滝山が言った。

「でも私、米寿のお祝いはしちゃいけないって聞いたことありますよ」

「え? なにそれ」

「あ、ほらここにも出てるじゃないですか」

 滝山が指差したのは、検索画面の下の方に出ている関連する検索キーワードのひとつだった。


「米寿 祝ってはいけない」


 と、書いてあった。

「ほんとだ。こんなの聞いたことないな」

 よく見るとその下には「米寿祝い 早死に」なんて文言まで表示されている。

「なんか、お祝いをしたら次の日に亡くなっちゃったみたいな話聞きましたよお」

「ええ、まさかあ。高齢だからたまたまじゃないか?」

 物騒なことを軽く言う滝山を胡散うさん臭く見上げていたら、それまで笑っていた笹井さんが何かを思い出したように声を上げた。

「ああ、でもそういや俺も聞いたことあるな。俺の田舎の方だけにある言い伝えみたいなもんだと思ってたけど」

 ある田舎だけに伝わる言い伝え。趣味で怖い話を収集している僕にとって、非常に興味をかれるワードだった。

「どんな話なんですか?」

 食い気味に聞く僕を手で制し、笹井さんは隣の椅子を引いて腰掛けた。



「オバウテ、だったかな?」

「オバウテ?」

「いや、アバウテだったかもしれない。とにかくそんな感じの名前の……化け物なのか神様なのか、そういう言い伝えがあったんだよ」

 聞いたことのない名前だ。

「そのオバウテっていうのは、年寄りを連れてっちゃうんだよね。それがちょうど八十八歳、米寿なんだよ。八十八になるとオバウテが来るみたいな」

「子供をさらう妖怪ならなんとなくイメージ付きますけど、年寄りをさらうって珍しいですね」

「たしかにそうだよな。それで、オバウテに連れ去られないように、俺の田舎だと、八十八歳以降は一歳ずつ若返った歳として誕生日を祝う、って風習があったらしいんだ。八十八なら八十七、八十九なら八十六って感じに」

「じゃあ百まで生きたら七十五ですね。すごい、四分の一も若返ってる!」

 滝山がなぜかキャッキャとはしゃいでいる。どうでもいいし、無駄に計算が早い。

「実際にその、オバウテがお年寄りをさらった、なんて話はあったんですか?」

 僕が滝山を無視して本題に戻すと、笹井さんはいつもの柔和な表情をすこしだけ硬くして、

「あったよ、一回だけ」

 と言った。

「俺が小学校低学年のころ、近所に高齢の母親と中年の息子の二人暮らしって家があったんだ。息子の方は働いてないわけじゃないんだろうけど、生活は苦しそうな……失礼だけど、言葉を選ばずに言えばちょっとみすぼらしい家って感じだった。周りとも没交渉とは言わないけど、あんまり積極的に関わろうって人はいなかったんじゃないかな。まあ俺も子供だったから、あんまり詳しい事情は知らないんだけどさ」

 大体三十年くらい前の話だろうか。すでに平成か、古くても昭和の終わりだろうからあまり昔の話という気がしない。

「そこのおばあちゃん、母親だね。その人が米寿を迎えてすぐに、行方不明になったんだよ。ボケてもなくて、どっちかっていうと母親が息子の世話を焼いてるくらいのかなりしっかりした人だったから、徘徊ってこともなさそうだし」

「そのおばあちゃん、結局見つかったんですか?」

「いやあ、どうだったかなあ。最初は結構な騒ぎになったけど、親もあんまり教えてくれなくてね。でも帰ってきたってことはなかったと思う。行方不明のままだったのか、どこかで亡くなったりしてたのか……」

 たしかに、まだ十歳にもならない子供にはあまり聞かせたくない話かもしれない。

「ただ、行方不明だって騒ぎになったとき、心配して集まったみんなの前でさ、息子のほうがしきりに言うんだ」


 オバウテのせいだ、オバウテがかあさんを連れてったんだ。


「ずっと言うんだよ。そうだ、俺、そのとき初めてオバウテのことを知ったんだ。それで自分のばあちゃんにオバウテって何? って聞いて、さっき話したようなことを教えてもらったんだった」



 そこまで話すと、笹井さんはマスクを下げてマグカップのコーヒーを一口飲んだ。

「でもばあちゃんも、そういう言い伝えがあったんだ、って過去形で話してた気がするな。俺より若い人は多分知らないんじゃないかな。その件がなければ俺も知らなかったと思うし」

「じゃあ例の、一つずつ若い歳で祝うってやつもやらないんですか?」

「やらないねえ。というか俺、普通にばあちゃんの米寿祝ったもん。まあ、そもそも祖父母はだいぶ前に叔父の家に同居してて、田舎の家自体がもうないんだけどね」

 だから祝ったらダメってのはやっぱ迷信だよ、と笹井さんは言い切った。

「せっかくだしプレゼントより直接顔を見せに行ったら良いんじゃないか?」

「でもこんなご時世ですしねえ」

「ああ、まあそれもそうか」

「あの」

 僕たちの会話を遮って、途中から黙りこくっていた滝山が急に声を発した。

「オバウテって、なんか聞いたことある気がするなーって考えてたんですけど、ちょっとっぽいですね」

 僕と笹井さんは顔を見合わせる。

「……言われてみればそうだな。言われるまで気づかなかった」

 オバウテ――うばすて。姥捨山うばすてやま棄老きろう伝説。その言葉が呼び水となって、僕の頭にある考えが浮かぶ。


 まさか、その息子はオバウテののではあるまいか?


「なあ滝山、なんか、そういう、嫌なことを言うなよ……」

 えっ、なんでですかあ? ととぼける滝山を横目に見ながら、僕は頭を振って考えるのをやめた。

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オバウテ 碓氷果実 @usuikami

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