#5 エトワールシリーズ

「No.13を破壊されていただと?」

 灯りがゆらゆらと揺れる部屋には二人の影があった。

 一人はアルカディオ軍総司令官ドーヴェ・ソフォス・アルカディオ。そしてドーヴェよりも遥かに歳をいった老人だった。九十も過ぎたほどの老人は身体全体に包帯が巻かれており、もはやミイラと呼んだ方が正しい気すらした。

「はい。鎮火を終えた頃には既に」

 ドーヴェはいつも通り眉間に皺を寄せながら淡々と報告をする。

「何か不審なものを目撃した者は?」

「いません。二人の兵士が発見し私に伝達を送っている際に動き始めたようです」

 老人は苛ついたように包帯の隙間から僅かに見える目を細める。

「例の科学者の件はどうだ」

「ミノル・カンザキの義姉であるケイナ・アマシロは彼に関する事柄は一切知らない、と」

 老人はボソッと「役立たずめ」と呟くとドーヴェに向かって手を差し出す。

「例のものは?」

 一拍置いた後、ドーヴェは懐から小さな巾着を取り出すと鉤のように指先が曲がった手に置く。

「何故"それ"を欲しがるのです?」

 ドーヴェは巾着の中身を確認しながら皺くちゃの顔に不気味な笑みを浮かべている老人に問う。

「貴様はただアルカディオ軍総司令官としての務めを果たせばいいのだ」

 つまり何も知らなくてもいい、と。

 老人にあしらわれたドーヴェは少し眉を引きつらせたが、自身が報告をし終えたことを思い出すと、老人に対して一礼し部屋から出て行った。

「あとはあれを手に入れるだけだ」

 部屋に一人になった老人は不敵に笑いながら窓の向こうの丘を見つめる。

「私を裏切るとお前の大切な弟が消えることになるぞ」



          ☆  ★  ☆



 新しい家族に迎えられ一夜明けた。

 ミユは一人目が覚めてしまいベッドの中でこれからの生活に思いを馳せていたのだが、ふと外から空を切るような音が聞こえてきて、隣で寝ているソニアを起こさないようにベッドから抜け出し窓辺へ行く。

(あれは……)

 見ると、昨日散々悪態をついてきたヒノワが木刀で素振りしていた。

(まだ六時前だよ?)

 ミユはまだ僅かに夜が明けきれていない空を見る。春の始めの早朝は寒くベッドに戻ろうか迷ったが、ソニアから借りたぶかぶかもいいところな寝巻きを脱いで一張羅のセーラー調のワンピースに着替えると、刀を持って外へ出る。しかし先程ヒノワが素振りをしていたソニアの部屋の窓下へ行くと、そこに彼の姿はなかった。

「あれ、たしかこの辺……」

「ガキはまだ寝てる時間だぞ」

 背後からの声に思わず声を上げそうになってしまうのを手で押さえながらミユは振り向く。そこには木刀を肩で担ぎながらタオルで汗を拭くヒノワが立っていた。肌寒いというのに額には汗が滲んでおり、彼がどれだけの時間素振りをしていたかが見て取れた。

「何しに来た」

 早朝の空気よりも冷たいヒノワの声が突き刺さるように痛い。名は体を表さないとはこのことを言うのだ。

「素振りしてるの見えたから…」

 ヒノワは刀をぎゅっと握りしめるミユを見て何が言いたいのか察する。

「言っておくが俺はじいさんの言うことに従ってるだけだ」

 ヒノワは汗を拭いたタオルを近くの木に引っ掛けると再び素振りを始める。

『根は良い人なのよ』

 昨日のソニアの言葉が全く信じられない。引き続き素振りを続けるヒノワを見ながら溜息を吐く。

 ミユはとぼとぼと少し離れたとこへ行くと自身も刀を抜き素振りをしてみる。真剣というだけあって重みがあるため、一振りするだけでミユの小さな身体は重心を持っていかれる。対するヒノワは一切軸がぶれない。それは彼が使っているのが木刀だからだろうが。

 長い沈黙の中素振りを続けていると陽が昇った頃にトーヤが背を伸ばしながら外へ出てきた。

「おはよう二人とも。朝ご飯できてるよ」

「あ、おはよう」

 気まずい雰囲気から抜け出すチャンスだというようにミユは刀を鞘に収めるとそそくさと家の中に入った。

「ヒノワ…ミユに冷たくない?」

「それ言うか?俺がここへ来た時一切口聞こうとしなかったくせに」

 ヒノワの質問にトーヤは「そうだっけ」と苦笑しながら視線を先程ミユが入って行った扉へ向ける。

「お前あのガキをどうするつもりだ」

 ヒノワの言葉にトーヤは少し睫毛を伏せ星空のような瞳に影を作る。

「僕だってエトワールシリーズを壊さなきゃいけないんだよ」

 トーヤはこぼれ落ちるような声でぽつりと呟いた。

 ヒノワは用心棒としてオリヴァーに雇われここにいる。エトワールシリーズを壊したいという目的もない。だから必要な時にトーヤに手を貸しているだけで何故エトワールシリーズを壊したいと思っているかも知らない。それに彼はエトワールシリーズが関わるといつも表情が曇る。それはきっと触れてはいけないものなのだろう。

(かれこれ五年一緒にいるが時々こいつの事分からんくなるんだよな〜……)

 出会った頃より幾分も良好な関係になったとはいえ、それでもふと一線を引くような歳下の友人を見て苦笑する。いや、友人と思っているのは自分だけだろうか。だからこそ得体の知れない子供と行動を共にしているのを見て心底驚いたのだ。トーヤが他人を寄せ付けるなんて。

「あ〜腹減った。さ、飯にしようぜ」

 ヒノワはそれ以上追求することはせず立ち尽くすトーヤの背中を押すように共に家の中へと入った。



          ☆  ★  ☆



 朝食を終えたミユとトーヤはオリヴァーの部屋にいた。

 オリヴァーは自室の棚からティーセットを取り出し、三人分の茶葉をすくうとティーポットへ入れる。熱々のお湯を注ぐと室内に心地良いお茶の香りが漂った。

「昨日の話の続きですがミユさん、あなたは一体どこまでエトワールシリーズというものを知っているのですか?ああ、もちろん答えられる範囲で構いません」

 ミユは質問に対しう〜ん…と首を傾げる。

「核を壊したら壊れるってことしか知らない…です。私も昨日初めて見たから。あ、核の壊し方はトーヤに教えてもらいました」

 答えられる範囲以前にそもそも何も知らないに等しい。寧ろこっちが聞きたいくらいだ。

「なるほど、では我々が知っているエトワールシリーズについての全てをお話ししましょう」

 オリヴァーはティーポットを軽くゆすりながら三つのカップへと注いでいく。ミユは目の前に差し出されたカップをそっと受け取る。ゆらゆらと揺らめく濃い赤茶色の液体に浮かぶ自身は不思議と不気味に見えた。しかし香りは良い。ミユは恐る恐る一すすりした。

(ん…!!?)

 瞬間口の中いっぱいに例えようのない味が広がる。ミユは涙目になりながらチラリと隣にいるトーヤを見ると、トーヤもミユの視線に気づき少しだけ首を横に振る。トーヤのカップを見ると既に飲み干しており、口元に手を当てていた。なるほど、そういうことか、とミユも小さく頷いた。

 オリヴァーは目の前のカップの中身が一向に減らないことなど気にせず美味しそうに自身の入れたお茶を飲みながら話を続ける。

「エトワールシリーズがどうやって生まれたかはご存知ですか?」

 その質問にミユは首を横に振る。


 "遥か昔この大地に降り注いだ星から生まれし兵器"


というのは伯母宅で発見した研究資料に書いてあったが、まさか本当にそんなことあるのだろうか。たしかにあのような人知を超えた兵器などそれくらい突拍子なくないと説明がつかないのだが。

「あの核は星から造られています。この国アルカディオが星を象徴している所以でもありますね」

 ミユは目を丸くする。まさかとは思っていたが本当に空から降ってきた星から造られたとは。そう言われると水晶に閉じ込められた星空のような核の姿に納得がいく気もする。

「何故アルカディオが星を象徴せし国なのか、何故エトワールシリーズが生み出されたのか、全ては闇に葬り去られた過去にあります。おや、トーヤ君お茶のおかわりはどうですか?」

「大丈夫です」

 オリヴァーは空になっているトーヤのカップを見てティーポットに手をかけるとトーヤが即答したため、不気味な液体はそのままオリヴァーのカップへと注がれる。本当香りだけなら今まで飲んだどんなお茶より良いのだが………。とは言えミユ自身お茶というものはあまり飲んだことはなかった。伯母宅でよく出ていたのはアルカディオ東方で流通している煎茶というもの。優しい緑色のそのお茶は子供にとっては苦く、ミユもセンリも飲もうとはしなかった。父が飲んでいたあのドス黒い飲物(今思うとあれはコーヒーであろう)も一口飲んだことはあるがものすごく苦かったのを覚えている。オリヴァーが煎れたこのお茶はおそらく紅茶と呼ばれる類だろうがそれはこんなに美味しくないものなのだろうか。過去に飲んだどんな飲物よりも上を行く不味さだ。

「それではアルカディオ家の者しか知らない昔話をしましょう」

 ティーポットをテーブルの片隅に置くとオリヴァーは目を閉じ遠い過去の過ちを語り始める。


 遥か昔、世界に星が降り注いだ。

 世界は荒地と化し人々は嘆いた。

 ある日、一人の科学者が空から降り注いだ星の欠片に秘められし力を発見した。その力により世界は復興し、国を築き人々の生活は前よりも豊かになった。

 しかし次第に強大な力を持った星の欠片、"星片"を我がものにしようとする人間が増え、世界は戦争になった。

 星片の力を発見した科学者は自らの大切な人を守るため、既存の兵器に星片を埋め込むことに成功した。

 結果その新しい兵器は人知を超えた力で他国の星片を根絶やしにし、国に勝利と、絶望を与えた。

 やっと平和を手にした人間に天は制裁を与えたのだ。


「これが闇に葬り去られたこの国の歴史になります。現在この事実を知っているのは私と現当主のドーヴェ、ここに住む皆さんと…私の父だけです」

 何故か最後だけ躊躇うようにオリヴァーは溜息混じりで言った。

「どうしてその歴史を隠しちゃったのに星が象徴なの?」

 ミユはまだ中身の入ったカップを口へ持って行くわけでもなく両手で持ち、きょとんと首を傾げる。

「過去の過ちから星片の存在を秘匿したかったからでしょう。文明も星片に頼らずともここまで元通りになったので。星を象徴しているのは当時この国が度々天災に見舞われたため星を祀ることにしたのが所以です。もっとも数百年前から内乱抑制のため信仰というものが禁止されているので星を神と崇め大々的に祀るような事はしていませんが」

 そう、この国は信仰を禁じているため神を崇めるという概念が存在しない。他国には特定のものを神と定め、祀り信仰する文化というのか、よく分からないがそういう習慣があるのは聞いたことがあった。しかし信仰を禁じられた国で育ってきた人々にとっては、不確かな存在に崇高な想いを抱くことはにわかに信じられない。神に願うという行為は猫の手も借りたいに近しい話であった。

「じゃあ星の制裁もカミサマが人間に怒ったせい?」

「そう…ですね。軍の間ではエトワールシリーズのせいとも言われていますが…それが正しいのかもしれません。人間は醜いですから純粋な神様には愚かに見えたのでしょう」

 ミユは少しだけカップを持つ手を強張らせる。

 星の制裁を起こしたのは間違いなく父が造ったエトワールシリーズ。その事実も正体も未だ誰も知らないようだがもし知られたら………。

(やっぱり言った方がいいのかな…パパのこと…)

 オリヴァーは自身のカップに残ったお茶を飲み干すと、言おうか言うまいかと一人うんうん唸っているミユへ目を向ける。

「我々がエトワールシリーズについて知っているのはその起源と壊し方、そして残りのエトワールシリーズの数のみです」

 その言葉にミユはふと顔を上げる。

「残りって…エトワールシリーズって一体いくつあるの?」

「軍が手に入れた情報ではエトワールシリーズの成功体は全部で七体。先日のNo.13含む内二体は既にこちら側で破壊済みですが、天才の集う科学者たちによって永久凍結された研究…偽物も多く中々手がかりを見つけることができなくてですね。色んな情報を得るために我々は人の集まるこの首都で何でも屋、"オリーブ堂"で生計を立ててるわけです」

 既に一体は破壊済み、ということはトーヤが壊したのだろうか。あんな人知を超えた存在を一人で壊すとは出会った時から思っていたがトーヤ自身も人間離れしているところがある。

「ところでミユさんは刀を持っていらっしゃいましたが剣術の方はどれくらい?」

 まるで矢の如く飛んできたオリヴァーの言葉はミユの心にクリティカルヒットし、思わず顔を引きつらせながら不気味な笑みを浮かべてしまった。

「ふふふ、なるほど。ではヒノワに稽古をお願いしましょう。エトワールシリーズを壊すのなら戦う術は身につけておかなければなりません」

「ええ!?」

 まるで百面相のように今度は打って変わって「嫌!」という感情を前面に出した表情に全てを察したオリヴァーは穏やかな笑みを浮かべる。

「ヒノワは育ての親に似てちょっと意地っ張りなだけです。本当に優しい子なんですよ」

 そういえば彼はアルカディオ東方でよく見られる着流しを着ていたり刀を扱っている。刀はさびれた風習とされ、今や一部の刀鍛冶たちしか住んでいないような土地らしいのだがそこの生まれなのだろうか。育ての親とは一体………。

「トーヤ君、あなたからもヒノワに言っといてやってください」

「え…あ、はい」

 先程から沈黙していたトーヤは突然オリヴァーに呼ばれハッと我に返ったように顔を上げる。その頬には一筋の汗が流れ、白い肌は一層血の気がないように見えた。

「それではお話はこれまでです」

 カチャカチャとティーセットを片付け始めるオリヴァーを見て、ミユは自身がまだ手に持っているカップに残った禍々しいお茶を飲むか飲ままいか迷ったが意を決して一口で飲み干す。

「お茶ごちそうさまでした…!!」



 二人が部屋を出て行った後、空になった二つのカップを見つめオリヴァーはその口元をそっと緩める。

「ふふ…本当に優しい子ですね…」

 いつもとは少し違う眉を寄せたような悲しげな笑みを浮かべ、そうぽつりと呟いた。



          ☆  ★  ☆



「まさかあのお茶を飲み干すなんて…ミユはすごいね」

 オリヴァーの部屋を後にしたミユとトーヤは大広間で立ち話をしていた。

「そうかな?私はエトワールシリーズを一人で壊したトーヤの方がすごいと思うけど」

 先程から顔色が悪いトーヤを元気付けようと思って言ったのだが逆効果だったらしい。トーヤは軽く苦笑しただけだった。

「ところでヒノワは?」

 見たところ大広間にも外にいる気配もない。

「ヒノワなら依頼を受けて街へ出たわよ」

 ヒノワを探して室内をキョロキョロしている二人を見てソニアがやって来る。

「それだと今日は夕方まで戻ってこないね…それじゃあ僕と街を見てまわる?」

「いいの?トーヤ体調悪そうだけど…」

 突然の提案にミユは目を輝かせるが先程からのトーヤの様子を見て心配そうに言う。

「ああ、オリヴァーさんのお茶を飲んだから少し気分悪かっただけだよ。外の空気吸えば良くなると思うし」

 どさくさに紛れてオリヴァーの入れたお茶を貶しながらトーヤは先程とは違う緩んだ笑みを浮かべた。

「そうだわ、ミユ。外へ行くならこれを着て。昨日から寒そうだったから……」

 奥の部屋から何かゴソゴソと取り出してきたソニアは、早速外へ出かけようとしていた二人、もといミユに声をかける。

「これは?」

「私の昔の服じゃ少し大きすぎたみたいだからトーヤが着てたものの方がぴったりかなって。新しいの買うまではこれしかないんだけど…」

「わ…それまだあったんだ」

 ソニアから手渡されたのは黒いVネックのセーターだった。どうやらトーヤのお下がりらしい。ソニアのお下がりが自分にぴったりではないというのはきっと身長の問題だけではないだろう、とミユはソニアの豊満な胸を見て思った。

 ミユは早速セーターを頭から被って着てみる。袖部分が少しダボつくがぴったりである。そして何よりニットだけあって温かった。

「どうかしら?」

「すごくぴったり!」

 ミユはダボついた袖を上下に振りながら嬉しそうに答える。何より"トーヤの着ていたもの"というのが嬉しいのかもしれないが、まだ小さな少女はその嬉しいの正体に気づくことはなかった。

「それじゃあいってらっしゃい」

「行ってきます!!」

 ソニアに見送られ二人は街へと出かけて行った。



          ☆  ★  ☆



 オリヴァー堂を出た二人は多くの店が立ち並ぶ街の大通りに来ていた。昨日同様人が行き交いものすごく賑やかだ。ミユは昨日みたいにはぐれまいとトーヤにしっかりついて行く。

「もう分かってると思うけどあの大きなお城みたいなのがアルカディオ軍本部ね。基本的に近づかないことをおすすめするよ」

 トーヤはまるで見下ろすかのように街の中央に聳え立つ大きな要塞のような城を指差す。

「あとは…服屋とか見なくてもいい?」

「うん!私これがいいの!」

 トーヤはミユがオリヴァーのお茶の時と同様気を遣っているのではないかと思っていたが、ミユがぶかぶかのセーターを抱きしめるように答えるのを見てそれ以上言うのはやめた。

(僕あんなに小さかったんだ……)

 トーヤから見てミユは大分小さいのだが、自身が着ていたものがほぼほぼぴったりということは自分もあれくらいだったのだろう。昔の記憶というものは正直あまり思い出したくないのだが、トーヤは少しだけあのセーターを着ていた時の頃を思い出して懐かしい気持ちになった。

 大方大通りを含め人が賑わっている所をまわりきった二人は、昼食用にと買ったサンドウィッチを片手に歩いていた。ミユが食べるのはパンと彩りのレタスに挟まれた、こんがり炙られたベーコンが食欲をそそるサンドウィッチ。対するトーヤはチーズとレタスとトマト。BLTならぬTLTだった。

「他に行きたい場所とかあったら言ってね」

 四方八方新鮮だらけで行きたい場所と言われてもぱっと頭に浮かばないのだが……。

 歩きながらミユがう〜ん…と考えていると昨日今日で聞き慣れた声がしてくる。

 二人はいつのまにか大通りから住宅地へ来ていたらしく、その声の主に目を向ける。

「その板を取ってくれ。…それじゃねえって!そう、そっちそっち」

 見ると、はしごに乗って民家の壁を修理するヒノワと隣には老人が立っていた。なるほど、依頼とはこの老人の家の壁を直すことだったのか。

「精が出るね、ヒノワ」

 サンドウィッチを食べ終え二人が近づいて行くと、ヒノワは手を止めて額の汗を拭う。

「何してんだ?お前ら」

「ヒノワにミユの稽古をしてもらおうと思ったんだけどいなかったから街を案内してたんだ」

 トーヤの言葉にヒノワは眉をぴくっと動かし溜息を吐く。

「じいさんの野郎……」

 ミユはトーヤの陰に隠れるようにしながらそっとヒノワにお辞儀をする。

「ほれ若いの!手が止まっとるぞ!まだまだ直す家はいっぱいあるんじゃ!!」

 横から飛んできたのは隣に立っていた老人の声。ぷるぷると震えている見た目に反してとても元気な声だった。

 直す家はいっぱいある、と言う言葉にミユとトーヤは周りを見渡す。よく見ると建ち並ぶ家々の壁や屋根は穴ぼこだらけだ。

「だあー!分かってるって!なんならそこの二人も使ってくれていいんだぜ?」

「このご時世三人分の報酬なんか出せんわい!お主の取り分が減ってもいいなら雇ってやってもよいが」

 パワフルな老人に気圧されるヒノワは渋々作業に戻る。

「どうしてこんなにお家に穴が開いちゃったの?」

 特に自然災害などなかったと思うのだが……。ミユは周りの家を見ながら不思議そうに老人に尋ねる。

「軍じゃよ。あの山で軍が兵器の実用試験をしていてその流れ弾が飛んできたんじゃ。年寄りばかりのこの地区のことなど考えておらん。金だけ渡されてそれで終わりじゃ」

 老人は軍本部を睨みつけながら言う。戦地に近くなくともこんなところで影響が出ているとは。ミユにとって今まで戦争とは物語の世界のような話であったが、ここ数日でそこにある人々の想いというものを少しだけ知った。そして戦争が結果的に生むのは少なくとも悲しみだけであるということも。

(軍がエトワールシリーズを手に入れちゃったら…余計悲しむ人が増えるよ…)

 ミユは胸の底に渦巻くような感情に歯をぎゅっと食いしばった。

 ふと、建ち並ぶ家々から花束を持って出かけて行く人々が目についてミユは顔を上げる。

「みんなお花持ってどこへ行くの?」

「献花じゃよ。この道をまっすぐ行った丘に慰霊碑があるんじゃ」

 老人はよく見ると何か石碑のようなものが建っている丘を指差す。

「眠りの丘、そこには星の神の怒りに触れて命を落とした者たち…星の制裁の犠牲者たちの名が刻まれた慰霊碑があって皆定期的に花を供えに行くんじゃ」

 星の制裁の犠牲者。父の名前もそこに刻まれているのだろうか。

 ミユは丘に建つ慰霊碑を見つめる。トーヤもつられて同じ方角を見るが、その表情は恐らく死者を偲ぶものではなかった。

「何にせよ今の軍はいかん。前の当主も酷かったが当主が変わってからやる事成す事国のためと正当化する。そこに生きる者のことをまるで考えとらんな」

 老人のぼやきに先程からテンポ良くトントントンと鳴っていた金槌の音が一瞬だけ止むが、またすぐにトントントンと一定のリズムを刻み始める。

 たしかに昨日ミユが迷子になった際遭遇した軍人も無理矢理荷物を取り上げて確認するなど、少し行き過ぎたところがあった。当主であるドーヴェのことはよく分からないが、そんなに人の心を持たないような人間には見えなかった気もする。なんて言ったって仮にもあのオリヴァーの弟でもあるのだ。

 長い事立話してしまったミユとトーヤは、老人と黙々と作業を続けるヒノワに別れを告げ街巡りを再開した。



          ☆  ★  ☆



 街中歩き回ったミユは夕食後、新しく用意された自身の部屋で今日買ったものたちを並べて一人ニコニコしていた。あの後トーヤと共に駄菓子屋で金平糖、雑貨屋で掌サイズの桜の模型を買った。春なので本物の桜が良かったのだが、どうやら首都付近では桜は自生していないらしい。それでも模型が買えてよかった、とミユはモサモサしている桜の模型を指で突っつく。

(明日眠りの丘へ行ってみよう…バレたらまずいし一人で…)

 そんなことを考えながらミユはベッドに潜り込み深い眠りへと落ちていった。



 翌朝、ミユは朝食を食べ終わると出かける準備をした。ヒノワは昨日に引き続き家の修理、トーヤも今日は何か依頼が入っているらしく、二人とも既に出かけて行ったため、一人で行動するには都合が良かった。

 鞄に昨日買った金平糖と桜の模型を入れるとミユは部屋を出る。

「あら、ミユ。今日もお出かけかしら?」

「うん!昨日行きそびれたとこがあるの」

 外で洗濯物を干していたソニアに呼び止められミユは咄嗟にそう答え出かけて行く。

 ミユは昨日と同じようにヒノワが修理している家々が建ち並ぶ道を抜けると、眠りの丘へ向かって歩いていく。

(ん…?あいつ一人でどこ行くんだ…?)

 修理のため屋根に乗っていたヒノワは、ちょこちょこと歩いていく小さな影を見つけ訝しげに見る。

「おーい!手を止めるんじゃない!」

「へいへい……」

 相変わらず元気な老人の声にヒノワは視線を屋根に戻すと再び釘を打ち始める。



 眠りの丘に辿り着くとそこには自身の背の何十倍も大きな石碑が聳え立ち、数人程の人がいた。皆一様に花や故人の好きであろうものを供え、静かな祈りを捧げている。

 高台のようになっているその場所からはアルカディオの街全体が一望でき、真正面の丘は小さな天文台が見えた。ここはオリヴァー堂から真反対の丘にあるらしい。こうして丘の上から見てみると、首都アルカディオは山々に囲まれた盆地になっているのが分かった。

 石碑に刻まれている名はざっと数百人程で、戦場での無差別殺戮だったこともあり、他国の犠牲者を合わせると倍以上だろう。

 ミユは石碑に刻まれた名を延々と追っていく。

 数百人分の名を追っているうちにいつの間にか人はいなくなっており、春の風が流れるその丘にミユは一人になった。

「あった…」

 ミユはミノル・カンザキの文字を見つけるとその前によいしょ、と座る。

 星の制裁で亡くなった者たちの遺体は身元が特定された後、遺品のみ遺族の元へ届けられ全て各々の国によって処理された。アルカディオの犠牲者たちは全てこの慰霊碑の下に眠っているらしい。

「パパ、来たよ」

 ミユはまず慰霊碑の前で手を合わせると、鞄の中からゴソゴソと何かを取り出す。

「金平糖持ってきたの!あとは……じゃーん!!」

 ミユは昨日買った桜の模型を見せびらかすように出すと慰霊碑の前に供える。母を桜のようだと言っていた父は、毎年桜が咲くのを楽しみにしていた。

「ここは桜咲かないって聞いたから。パパ見たいかなって」

 街から少し離れ人が立ち寄らないせいか、静寂に包まれたこの場所は、まるで別世界のようだった。

(今日は本当春だな〜………)

 つい先日まで春と言ってもまだ肌寒かったのだが今日は小春日和である。ぽかぽかと暖かい春の陽だまりは眠気を誘うのに十分で、少女は夢の世界へと誘われて行った。



          ☆  ★  ☆



「ただいま〜」

 トーヤが帰ってくると既に夕食の準備ができており、食卓にはヒノワとオリヴァーも席についていた。しかし一人足りない。

「あれ、ミユは?」

「あら、てっきりあなたと一緒だと思ったたのだけど…今朝出かけたっきりよ」

 ソニアは少し心配そうに眉を下げながら皿を並べ始めるが、また迷子になっているのではないか、という意見に一同は満場一致で賛同した。

「俺、屋根の修理してる時見たぞ。でもあの方角は……」

 ヒノワがそういえば、と手を挙げながら言う。

「まさか…」

 トーヤは昨日のミユの買い物を思い出す。やたら金平糖を買っていたのは自分のためかと思っていた。「桜は咲くか」と聞かれて何の気無しに答えたのだが、彼女の刀にあしらわれているあの花は、桜—————

「僕、探してくる」

「トーヤ君」

 ミユを探しに行こうと扉に手をかけた瞬間、後ろからオリヴァーの声が呼び止める。

「大丈夫ですか?」

 突然の意図が読めない質問にヒノワとソニアは目を見合わせていたが、トーヤは一拍置いた後、振り返ることなく「大丈夫です」とだけ答え重たい扉を押し開けた。



 陽が沈んだ眠りの丘は昼間とはまた違った静寂に包まれており、心無しか肌寒い空気が漂っている気がした。

 麓から見上げると、まるで慰霊碑が自身を見下ろしているかのようで不気味に感じる。

(大丈夫……)

 トーヤは何かを言い聞かせるように胸に手を当て大きく深呼吸すると、丘へ続く階段を踏み出す。

 長い階段を上った先は外界から切り離されたような雰囲気に包まれ、頬を撫でる生温い風にトーヤは少しだけ眉を潜める。いや、眉を潜めたのは決して風なんかのせいではないのだろう。

 頭を埋め尽くそうとする思念を払拭するように首を一振りし、辺りを見渡す。すると、慰霊碑の前で小さな何かが蹲っているのを見つけた。

「ミユ!」

 トーヤは小走りで駆け寄ると倒れている少女を抱き起こす。

「ん〜……?」

 見たところ怪我などはなく、ただ寝ていただけのようだった。トーヤは安堵の溜息を吐くとミユの肩を軽くゆする。

「ミユ、起きて。風邪引いちゃうよ」

 トーヤに起こされたミユは目を擦りながら辺りを見ると、自分が知る先程までの青空が薄紫色になっており眠そうだった目は一気に覚醒する。

「もしかして私寝ちゃってた!?」

 慌てふためくミユを見てトーヤは苦笑しながらこくりと頷く。

「よくここにいるって分かったね」

「ヒノワが見かけたって言ってたから。ミユこそどうして…」

 そこまで言いかけてトーヤは口をつぐむ。眠りの丘に来る理由なんてただ一つなのだが、一人で来たという事はきっとミユにとって触れられたくない事なのだろう。

 帰ろうか、と促そうとした瞬間ミユが口を開く。

「あのねっ」

 ミユは少し間を空けると、慰霊碑に刻まれた自身の父の名にそっと触れる。

「私のパパね、星の制裁で死んじゃったの」

「え………」

 目の前の少女が語り出した事実にトーヤは瞠目する。

「パパは科学者だったの。エトワールシリーズの研究もしてたんだって。まあそれを知ったのはつい最近だったんだけど…」

 遠くの空はまだ僅かに赤いが、闇が広がりつつある空には微かに星が瞬き始めていた。

「それって……」

「星の制裁が起こったあの日ね、私最後に見たパパの顔今でもはっきり覚えてるの」

 何故か少しだけ後退りしたトーヤに向き合うように一歩踏み出したミユは今、全てを語る—————

「パパはね、あの日すごく悲しそうな顔をしてたの。あれは、そう…後悔、なのかな」

 ミユは瞬き始めた星たちを大きな瞳に捉えながら続ける。父の顔が印象に残っているというのもあるが、あの日は幼いながらに記憶に残る程すごく星が綺麗だった。

「パパはエトワールシリーズが戦場で使われるのを止めようとしてたんだ…って思う」

 戦場で亡くなったのは兵士ばかりだが一人だけ科学者がいた、というのは有名な話であった。ただ何故その場に科学者が居合わせたのかはずっと不明であった。大方自分が造った兵器の性能を確かめようとしていたと思われていたのだが。

「私のパパ、ママの家族に良く思われてないからさ、エトワールシリーズの存在が広まったらまた悪く言われちゃう。そう思ってエトワールシリーズを壊さなきゃって思ってたけど………」

 まるで少女の強い決意を表すかのように風が二人の間をサァっと通り抜け、対極な色の髪を靡かせる。

「おじいちゃんが言ってた昔話。一番初めにエトワールシリーズを造った人は大切な人を守るためだったんだよね?誰かを守りたいって想いが、願いが悲しみに繋がるのなら私はそれを断ちたい」

 小さな少女の大きな覚悟にトーヤは空を見上げながら瞑目する。その瞼の裏に写るのは幾千もの星々—————

(悲しみを断つ、か…………)

 ミユに気づかれぬよう小さく深呼吸すると、トーヤはそっと目を開ける。白く長い睫毛に縁取られたその瞳は、きっとあの星の綺麗な夜と同じくらい美しかった。

 既に陽は沈み、頭上には星空が広がっている。

(今あの星たちは僕をどう見てるんだろうか……)

 トーヤはそんな事を考えながらミユに右手を差し出す。

「僕一人じゃ全部のエトワールシリーズは壊せない。だからミユ、君に出会えて良かった。これからよろしくね」

「うんっ…!!」

 ミユは差し出された手を迷わず取る。

 小さな両手で包み込んだその手は手袋越しだというのに相変わらず冷たかった。



          ☆  ★  ☆



 無事帰宅し夕食を終えた後、オリヴァーの部屋にはトーヤの姿があった。

「オリヴァーさんは、知ってたんですか。ミユのこと…」

「ええ、彼女の持っていた刀には桜の家紋がありました。あれはサクラネ派のものです。しかしサクラネは現在当主不在。とある科学者と当主が駆け落ちしたのは有名な話なので」

 眉を潜めながら言うトーヤに対し、オリヴァーはまるで固めたような笑顔で淡々と言う。

「それで?あなたはどうするんですか?」

 オリヴァーは細めた目の隙間に血の繋がらない息子を映す。

「エトワールシリーズは……壊さなきゃいけないんです」

 トーヤは俯きながらぽつりと呟く。その表情はオリヴァーには見えなかったが十年も家族をしているのだ。大方予想はつく。

「………失礼します」

 暫くの沈黙の後、トーヤは踵を返す。

「おやすみなさい」

「……おやすみなさい」

 トーヤが部屋を出て行くとオリヴァーはティーセットを取り出し一人お茶の用意をする。

 カップに注がれた赤茶色の不気味な液体に浮かぶ自身を見て少し悲しそうに笑ってみた。

「私は愚か者ですねえ………」

 眉を潜めながら自身の入れたお茶を一すすりする。

「ふふふ…とても不味いです」

 オリヴァーはそう言ってカップに残るお茶を夜の闇が広がる窓の外へと投げ捨てた。

 

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Etoile~星空を君と~ @sousaku_Etoile

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