#4 家族

 そこは首都アルカディオから少し北に行った所に位置する小さな町で、レンガ調の家が連なる町は素朴で何処か温かい雰囲気であった。比較的老人が多いものの、行商や首都からやって来る人間も多く栄えている。町の大通りに建つこの小さな食堂は現在昼時で大変賑わっており、空腹を掻き立てるような香りが外まで漂っていた。

 そんな小さな食堂の片隅に置かれた二人がけ用のテーブルに座っているのは、星の光に照らされた夜空のような黒髪を肩よりも短い位置で切り揃えた少女ミユと、星の光を吸い込んだかのような白髪が顔のラインまで伸びた少年トーヤだった。

 長い夜が明けて一段落ついた二人はこの小さな町に立ち寄って食事を摂る事にしたのだが……。

「君…よくそんなに食べられるね」

 トーヤは目の前に座る小さな少女の前に並べられた胸焼けを起こしそうな程の量の料理に苦笑する。

「だって昨日の夜からクッキーと金平糖しか食べてないしそれに喉もカラカラで…」

 ミユはジョッキに注がれたジュースをストローで勢いよく吸い上げる。

「トーヤの方こそ男の子なのにそれで足りるの?私と同い歳の従兄弟はお肉大好きだったよ?」

 半分ほど飲み干したジョッキをテーブルに置き、ミユは手に持ったフォークでトーヤの前に置かれたチーズリゾットとサラダとスープ…如何にも若い女性が好みそうなチョイスたちを指しながら言う。

「僕肉は好きじゃないんだ」

 トーヤはチーズリゾットをスプーンで一すくいすると、糸を引くように伸びるチーズを嬉しそうに見つめながら口へ運ぶ。

 キャンディーチーズを持ち歩いていた事を踏まえてどうやら彼はチーズが好きらしい。

「ふ〜〜〜ん」

 ミユも目の前に置かれた昨晩食べ損ねたハンバーグを一口大に切り分けむしゃむしゃと頬張る。

 おばさんたちは今頃どうしているだろうか。

 ミユはそんな物思いにふけながら一皿、また一皿と料理を平らげていった。

 暫くの間お互い無言で食べていたのだが、トーヤがふと口を開く。

「ねえ、ずっと思ってたんだけど…どうして見ず知らずの僕を信じてるの?No.13を壊す時だって今だって」

 十四歳そこらの少女が見知らぬ自分を信じてついて来るのは少々危険知らずである。あの時だって自分が裏切る可能性もあったかもしれないのに……。

 トーヤはスプーンを皿の脇に置くと星空のような瞳にミユを映す。

 ミユは何を聞かれるのかと思っていたが少しう〜〜ん…と考えるとトーヤに向かって手を差し出す。

「手出して」

「え?」

 トーヤは一瞬何を言われているか訳が分からず困惑したが、言われるがままにミユの小さな手を取る。ミユの手が温かいのかトーヤの手が冷たいのか—————

 二人は互いの体温を感じた。

「ほらね」

 ミユは笑っているがトーヤは何の事かさっぱりだ。

「トーヤ私のこと優しいって言ったけどトーヤもね、優しいからだよ」

「は?」

 トーヤの余計意味が分からないというような顔をよそにミユは続ける。

「ママが言ってたの。手が冷たい人は心が温かいんだって。パパの手もね、冷たかったの」

 トーヤは一瞬瞠目したがパッとミユの手を離すと視線を逸らす。

「なんの、根拠もないじゃんそれ…」

「あるよ!だってトーヤ私を助けてくれたもん。あ!まさか私が手が冷たければ誰でも信用すると思ってる!?私そんな尻軽な女じゃないよ!!」

 ミユは残ったジュースをストローで飲み干しながらトーヤをじっとりと見つめる。

 やはりこういうところは年相応だろう、そんな事を思いながらトーヤの口元は少し緩んだ。

「それで、トーヤはこれからどうするの?」

 全ての料理を平らげたミユの質問にトーヤはスープを飲みながら答える。

「首都の外れにある家に帰るんだ」

「お家!?トーヤの家族がいるの!?」

「うん、まあ…そうなのかな?ミユはこれからどうするの?」

 トーヤの質問にミユは固まる。昨日の様子からして無計画極まりない家出少女であるのは間違いなく、本来なら親御さんの元に届けるのが正しいのだろうが………。

「もし…よければ僕と一緒に来る?」

 同じ目的を持っているのなら行動を共にするのに損はないはずだ。

「いいの!?」

 ミユは目を輝かせながらトーヤを見る。

「それじゃあ決まり」

 二人は荷物と伝票を持って席を立ち上がると会計のため店員に声をかけるのだが………。

「足りない…」

 ミユはなけなしのお小遣いが入った財布を覗いてボソッと呟く。

 あんなに食べていれば当然だろうとトーヤは苦笑するが、かくいう自分の所持金を合わせても少しばかり足りなかった。

 トーヤはやれやれというように首を横に振ると店員に何かメモを渡していた。

「ツケでお願いします。…はい、ヒノワ・ヨシムラの名前で」

 トーヤの渡したメモを受け取った店員はその名前に覚えがあるらしく、一瞬渋ったような顔をしたが承諾した。

「勝手にツケにしてよかったの?」

 ほとんど自分が注文した料理が原因なのだがミユは心配そうに聞く。

「いいんだよ」

 そう言って薄ら笑いを浮かべるトーヤの視線を辿ると、レジの奥の壁に貼られたおそらくツケの数々の中から先程出たヒノワ・ヨシムラの名前を見つける。

 どうやらこの人物既にこの店にツケがあるらしい。

 なんだかよく分からないが、ミユは心の中でその不憫な人物に「ごちそうさまでした」と言った。

 こうして店から出た二人はいよいよ首都アルカディオへ向かって歩き出した。

 


          ☆  ★  ☆

 


 四半時程歩いたのだろうか。天高く光り輝いていた太陽が西へ傾き、空は鮮やかな緋色へと染まっていった。

 やはり春の始めは日中暖かくとも陽が暮れると寒く、ミユはぶかぶかのトーヤのコートを羽織っていた。

「見えてきたよ」

 小さな家が点々と並ぶだけで代わり映えのしなかった道の先に広がったのは、国内で一番の面積を誇る首都アルカディオ。

 多くの人間が行き交い多くの施設が立ち並んでいる街の中央通りの向こうには、まるで城のような建物が街を見下ろすかのように建っていた。おそらくあれがアルカディオ軍本部でありアルカディオ家だろう。

「あ、その刀は隠しておいた方がいいかも。軍に見つかると厄介だし」

 トーヤに言われたようにミユは刀を布でくるみ、コートの中へ見えないように隠した。

 街へ近づくとより一層この街の栄っぷりが分かる。小さな田舎村からあまり出たことのないミユにとってこの街は全てが新鮮であり、どこに目を向けていいか分からない状態であった。

「はぐれないように気をつけて……ってあれ!?」

 トーヤは隣にいたはずの小さな影を探して辺りをキョロキョロと見回す。

「言ってるそばから………」

 こめかみに手を当てながら溜息を吐くと、トーヤはどうしたものかと沈みゆく太陽に目を細めた。

 


          ☆  ★  ☆

 


「………………」

 ミユは行き交う人混みの中一人ぽつんと立ち尽くしていた。

(私、もしかして迷子?)

 助けてもらった上ご飯も奢ってもらった挙句はぐれて迷子など…ほとほと自分が情けない。

 しかもよく見ると、昨日見た兵士たちと同じ軍服を着ている人がちらほらと歩いている。おそらく町の警護であるのだろうが、夕暮れ時のこんな街中で子供が一人でいたら明らかに補導対象である。

「とにかくトーヤを探さなきゃ……」

 ミユは右も左も分からない街中を歩き始める。先程よりも陽が沈み、辺りは夜の闇に飲み込まれるように薄暗くなってくる。それに伴い建ち並ぶ家々には明かりが灯り、道行く人の数は減ってきていた。

「おい、君」

 不意に腕を掴まれミユが振り向くとそこには黒い軍服を着た軍人が立っていた。

(きゃーーーーー)

 思った側から心配事が現実となりミユは心の中で自身の不運さを嘆いた。

「君ここで何をしている。その荷物はなんだ。見せてみなさい」

 軍人はミユの鞄を無理矢理取り上げると中身を確認する。

「これは…家出か?家は何処だ?」

「…………………」

 返事をしようとしないミユに少々苛々する様に軍人は溜息を吐く。

「……まあいい、本部でゆっくり事情を聞く。君ついてきなさ…………」

 そう言ってミユの腕を引っ張った拍子に、トーヤの長い上着の中に隠していた刀が落ちる。

「!?…何だそれは!?」

(あ……やばい……)

 軍人が気を取られているうちにミユは刀を拾い上げると路地裏へ逃げ込む。

「待て!!」

 狭い路地裏に兵士の怒号が響く。人一人が通れる程の路地だが、大通りでさえ通行人が少ないのだ。こんな路地裏誰も歩いてないからぶつからない—————

 ドンッッ

 ミユは突如誰かにぶつかり尻餅をついてしまった。

 背後から先程の軍人の声が迫ってくる。

「ごめんなさいっ」

 ミユは立ち上がりぶつかった相手の脇を抜け走り去ろうとすると、着ていた上着のフードを掴まれ再び転びそうになる。

「!?」

 ミユはじたばたしながら首を捻ると自身を掴んでいる人物を見る。それは無造作に伸ばされた藁箒のような髪の毛を一つで結んだ男で、まるで右眼を隠すかのように伸ばした長い前髪に目が行く。

「なんだ貴様はっ……」

 追いついた軍人はミユを掴んだ不審な男を睨みつける。

「俺はこのガキの連れだ」

(!?)

 ミユは思いもよらぬ発言に男の顔を見る。

「丁度はぐれて探してたんだ。いや〜よかったよかった。ご苦労だったな、帰っていいぞ」

 男は軍人に向かってしっしっというように手を振る。

「待て、その娘は剣らしき物を所持している。連れなら貴様も一緒に………」

 軍人に肩を掴まれた男はその手を払い除けると一本の棒切れを投げ渡す。

「剣ってこれのことか?」

「これは……刀…木!?」

 男に投げ渡された棒切れを見て軍人は驚愕する。

「知ってんだろ?東の地に伝わる剣術。俺それ極めてんの。まあ、お国勤めなお前らはそんなもの知らねえか」

 さあ寄越した、というように男は軍人から木刀を受け取ると、ミユに渡し頭を鷲掴んで無理矢理お辞儀をさせる。

「連れが迷惑かけてすまんかったな」

「父親なら娘から目を離すんじゃない」

 軍人は決まりが悪そうに男を一瞥するとその場を去っていった。

「はあ!?冗談だろ。俺がこんなでかいガキの父親に見えるのか?まだ二十八だぞ!!!」

 男は不服というように去って行く軍人の背中を睨みつけている。

 ミユは何がなんだか分からなかったがとりあえず男から渡された木刀を再び返す。

 男は着流しを着ており、木刀を持つと様になっていた。元々刀とはアルカディオ建国以前に東の地より伝わったもので、その東の地の民はこの男のような着流しを着ていたという。今も母の出身地であるアルカディオ東部で同じ雰囲気の服を着ているのを見たことはあるが、こんな街中で着ている人間は見たことがない。いや、首都だからこそ色んな人間がいるのだろうか。

「あの、助けてくれてありがとうございました」

 ミユはお礼を言ってそそくさとその場を去ろうと思うと、再び男に呼び止められる。

「おい、お前」

「?」

 一体この男は何者なのだろうか。まさかこれが噂に聞く不審者?泥棒?誘拐魔?流石首都である。

「お金ならないです!」

 自身の鞄を抱えながら叫ぶミユを見ると、男は瞠目しあ〜〜〜!!っと頭を掻きながらミユに向かって指を差す。

「お前のそれ!その着てる上着!!それトーヤのだろ」

「は?」

 ミユは出されたその名に固まる。

「あなたトーヤの知り合い?」

 先程の態度とは一変して自身の袖にしがみ付いてくる小さな子供を舌打ちしながら引き離すと、男は垂れ気味の目を引きつらせこう言った。

「お前らだろ、俺の名前で勝手にツケたの!!聞いたんだぞ、白髪の男と黒髪のちんちくりんな子供の二人組がツケて行ったって。今までのツケもまとめて払わされたおかげで今日の昼飯抜きだ!!ついでに飲み代もパァだ!!」

 男は空の財布をミユに見せ付けながらまるで子供のように嘆いている。

 ミユは「ちんちくりん」という不本意な言葉に一瞬顔をしかめていたが、あ!というように口に手を当てる。

 目の前に立つこの人物こそ自身の知らぬ間に勝手にツケを増やされた不憫な男、ヒノワ・ヨシムラであった。

「その節はごちそうさまでした」

 空の財布を見つめぶつぶつと呟くヒノワに対してミユは深々とお辞儀する。

「こんのクソガキぃ………で?トーヤはどこだ?そんでお前は何者なんだ?」

 ヒノワはワナワナと震える拳を押さえながらミユをじろりと見る。

「それは………」

「ツケが完済できてよかったじゃない」

 ヒノワの質問にどもるミユの声に覆い被さるように第三の声が割り込んでくる。ミユが振り返るとそこにはトーヤが立っていた。

「トーヤ!」

「軍人の声が聞こえてもしかしたら…って後をつけてたんだけど…まさか君がいたとはね、ヒノワ」

 トーヤは自身の傍に隠れるようにくっついてきたミユの無事を確認するとヒノワへ視線を向ける。

「あまり飲み歩いてるとまたソニアに怒られるよ」

「人に勝手にツケておいてそれかよ!」

 トーヤは苦笑しながら先程のミユと同じく両手を合わせると「ごちそうさまでした」とお辞儀をする。

 ヒノワは肩を落とすと、トーヤの傍に立つちんまりとした少女を見る。

「で、そのクソガキはどこで拾ってきたんだ」

 ミユはクソガキと呼ばれたことが不服でむっとした顔でヒノワを睨みつけるが、ヒノワはそんなことには目もくれず続ける。

「お前が見ず知らずの他人と行動を共にするなんてどういう風の吹き回しだ?」

「彼女はミユ。昨日森の中で出会ったんだ。No.13を壊すのを手伝ってもらった。家出みたいだけど理由はよく知らない」

 疑問点だらけのとても簡潔な紹介の中で一際重大な部分を聞きヒノワは細く切長の目をいっぱいに見開く。

「おまっ……No.13をって…正気かよこんなガキに!」

「仕方なかったんだよ、それにミユにも事情があるみたいで…」

 ヒノワはチラッとミユを見る。このちんまりとした少女、刀を所持していたりとたしかに普通ではない。

「どうすんだよ?こいつ」

「一緒に連れてく。軍に見つかるのも厄介だし…エトワールシリーズについても知ってるみたいだし。とにかくここで話してても仕方ない。帰ろう」

 トーヤは、さあ!と言ってパンパンと手を叩くと帰るように促す。

 ヒノワは少々納得いっていなさそうだったがトーヤに背中を押されながら三人で帰路を辿る。

「あ、そうそう。街で警護してる軍人は特に不審なものに敏感だから気をつけてね」

 トーヤはつい先刻迷子にもなったにもかかわらず辺りをキョロキョロ見渡しながら歩くミユを見下ろしながら釘を刺すように言う。

「ごめんなさい……」

 ミユはしゅん、としながら謝るが気持ちとは裏腹に元気に鳴る腹の虫に顔を赤くする。

「このガキあれだけ食べておいてまだ腹が減るのかよ」

 ヒノワは未だツケのことを根に持っているようでミユを呆れた目で見る。

「今度街を案内するよ」

「いいの!?」

 大きな目をキラキラ輝かせながら自身を見つめる瞳にトーヤもまた長い睫毛を覆いかぶせるように微笑み返す。

 闇夜に星が瞬き始めた頃、三人の賑やかな声が誰もいなくなった路地裏に響いていた。



          ☆  ★  ☆

 


 首都アルカディオの街外れにある丘に聳え立つ、今は使われていない古い天文台。

 円柱型で天井はガラス張りのドーム状になったその建物は明かりが灯っており、外には三人の影があった。

「あ〜やっと帰ってきた。誰かさんたちのおかげで腹がペコペコだぜ」

 ヒノワはわざとらしく腹を押さえながら言う。

「お、お腹が空いてるのは私もだもん!」

 ミユも負けじとヒノワを睨みつけながら言う。

(そこ張り合うとこなのかな………)

 トーヤは心の中で突っ込んでいたが自身の腹も人知れず鳴っていることに気づき苦笑する。たしかにここまで色々ありすぎてお腹が空くのは当然だろう。ましてや育ち盛りの少女なら尚更。

 そんな外の賑やかな様子を聞きつけたのか、木製の古びた扉が重たい音を立てながら開く。

「あらあら、随分と賑やかだと思ったら…おかえりなさい」

 中から現れたのは鮮やかな金髪を二つで結った女性だった。

 女性は穏やかな微笑みを浮かべながら三人を家の中へと入れる。歳はおそらく二十歳あたりなのであろうが、彼女の温かい表情と声音は誰もが心を許してしまう程優しかった。

 天文台の中へ入ると、ガラス張りの天井には空に瞬く星が見えており、まるでプラネタリウムのようでミユは口を開けながら上を見上げていた。

「ただいま、ソニア」

「ソニア今日の飯はなんだ?」

「シチューよ。さあ荷物を置いたら席について」

 まるで子供と母親のようなやり取りを見てミユは伯母の家に引き取られたばかりの頃を思い出す。

 目の前の家族の輪に自分は決して入ることはできない—————

 そんな事を考えていたミユの元に先程ソニアと呼ばれた女性が近寄ってくる。

「可愛らしいお嬢さんね。あなた名前はなんていうの?」

「あ…ミユって言います」

「トーヤが昨日森で拾った家出少女だとよ。なんか訳ありみたいだから後でじいさんの前で説明させる。おいガキ、さっきまでの威勢の良さはどうした」

 ミユがおどおどしながら答えていたのを見たヒノワは揶揄する。

「もう、ヒノワったら。ごめんなさいね。あんな言い方してるけど根は良い人なのよ。お酒の癖以外は」

「一言余計だぞ!」

 ソニアは後でわーわーと喚くヒノワを見てフフッと笑いながらミユに視線を戻す。

「さあミユ、お腹空いたでしょ?ご飯にしましょう。トーヤ、父様を呼んできて」

 ミユの背中をぽんぽんと押すと中央に大きな鍋が置かれたテーブルへと促す。既に席に着いているヒノワの隣に座ると鍋の中のシチューの香りがより一層空腹を掻き立てた。もう一人分の器を用意したソニアは順にシチューをよそっていく。

 全ての器にシチューをよそい終えた頃、奥の部屋からトーヤと共に六十半ばほどの老人がやって来た。

「やあ、あなたがミユさんですね」

 老人が顔を綻ばせながら微笑むと顔の皺が寄る。その姿はソニアの表情によく似ておりさすが親子だと思った。が、別の誰かの面影も見たような気がした。しかしミユはそれが誰なのかは思い出せなかった。

「トーヤ君から大方の事情は聞きました。後の事は食後にゆっくり話しましょう」

 老人が着席すると各々が「いただきます」と口にし、熱々のシチューを口へ運び始める。

 ミユもスプーンで一すくいしたシチューをふーふーと冷ましながら口にする。

(!!)

 クリーミーな舌触りと共に口の中いっぱいに濃厚なミルクと野菜の味が広がる。

 ミユはもう一すくい、もう一すくいとシチューを口に運んでいく。伯母の料理も美味しいのだがソニアの料理はその上をいった。

「お口に合うかしら」

 向かいに座っていたソニアはせっせとスプーンを動かすミユを見て微笑みながら問う。

「ふほふほいひいへふ!!」

「このガキ食うかしゃべるかどっちかにしろ」

 両頬にシチューを含んだまま目を輝かせて答えるミユをヒノワは呆れたように見る。

「うふふ、まだまだ沢山あるからよかったらおかわりしてね」

 皆のお腹がいっぱいになりソニアが食事の片付けで席を外した頃、老人は立ち上がると自己紹介を始める。

「改めまして私はオリヴァー。オリヴァー・ヴラカス・アルカディオといいます」

 一聞ただ名乗っただけのように聞こえるが、ミユはここでようやく先程この老人オリヴァーに見た面影を思い出した。

「ヴラカス?アルカディオって………」

「ええ、あのカタブツ組織の総司令官であるドーヴェは私の実弟です」

 ミユの疑問を察しオリヴァーはにこやかに説明する。面影こそあるものの、ドーヴェという男を昨晩から少しだけ見ていたがとても兄弟とは思えない。

「でもお兄さんならどうして………」

「見ての通り私はこんな性格です。軍人など務まるはずがないのでもう何十年も前に家を飛び出してきました。あそこは鳥籠ですから……」

 そう言いながらオリヴァーは窓の向こうに小さく見えるアルカディオ軍本部を見つめる。

「ソフォスは賢者の意。私が名乗るような名ではありません。なので改名したんですよ」

 視線を戻しながら微笑むとオリヴァーは話を続ける。

「そうして家を出た私はこの古い天文台を拠点にし、ソニア、トーヤ君、ヒノワと共に何でも屋"オリーブ堂"を営んでいます。さて……」

 オリヴァーは一息吐くとミユを見る。

「ミユさん、エトワールシリーズの存在を知っているというのは本当ですか?」

 核心を突かれ、たじろぐミユをオリヴァーは咎めるわけでもなく優しい瞳で見つめる。それはソニアやトーヤによく似ており、この親にしてこの子ありとは正にこの事だとミユは思った。

「エトワールシリーズを、壊したい理由は…言えません…でも私はエトワールシリーズを壊さなきゃいけないんです」

「そんなあやふやなっ……!」

 隣で聞いていたヒノワが横槍を入れようとするのをオリヴァーは手を挙げて静止する。ヒノワの態度からして彼はオリヴァーの事を敬っているのだろう。

「人間詮索されたくないことの一つや二つ持っているものです。話したくなったら話せばいいのですよ。トーヤ君」

 オリヴァーは続けて先程から黙って話を聞いていたトーヤを見る。

「どうです?目的は一致しているのですから二人行動を共にしてみては?昨晩のような事もあるでしょうし」

「そう…ですね」

 トーヤは睫毛を伏せ少しだけ迷ったような素振りをしたがオリヴァーの意見に賛同した。それに対してヒノワも意見を指し示した張本人であるオリヴァーも少し驚いたような表情をした。

「それでは決まりですね。その他諸々の話は明日するのでトーヤ君と共に私の部屋に来てください。あ、そうそう、ミユさんの部屋を用意せねばなりませんね。すみませんが今日はソニアの部屋で寝てください」

 そこへ丁度食事の片付けを終えたソニアが戻ってくると、オリヴァーは事の成り行きを説明する。

「構いませんね?」

「もちろん私は大歓迎よ」

 ソニアはミユの手を取る。彼女が近づくと心なしか良い香りがするせいか、ミユは思わず抱きついてしまいたくなるのを必死で我慢した。

「ミユさん、今日からあなたもここの家族です。遠慮なんていらないんですよ」

 オリヴァーは優しい声でそう言うと皺くちゃな手でミユの頭を撫でる。


『今日からあなたも家族なのよ』


 ミユは十年前、伯母に引き取られた日のことを思い出した。伯母が何故自分のことを引き取ったのか未だに意図は分からないがおそらく体裁のためだろうと思っていた。天涯孤独になった悲しみから顔を伏せていたためあの日の伯母の顔は見ていない。しかし声は—————

 ミユの目からぽろぽろと大粒の涙がつたう。

 伯母はもしかしたら自分と本当の家族になろうとしていたのかもしれない。今更になって気づく自分が不甲斐ない。だからといってあの家に戻ることはもうできない。

「よろ…しくお願い、します……」

 ミユは嗚咽混じりの声で深々とお辞儀した。

「言ったはずですよ。ここはあなたの家です」

 オリヴァーはミユの目線にしゃがむとその顔に皺を寄せる。瞬間ミユは自分の中にあった黒い蟠りのようなものが消え去り、喉に熱いものが込み上げてくるのを感じた。

「ただいま……!」

 顔を上げ頬を紅らめながら笑みを浮かべる少女につられて一同も顔を見合わせると一斉に口を開く。

「おかえり」

 ガラス張りの天井の外に輝く星々。その中でまるで少女を見守るように一際輝いていた二つの星が弧を描きながら流れていく。

 人生において三つめの家族と出会った日。幸福と温かさに満ちたこの日をミユは一生忘れることはないだろう。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る