第3話
イーライが言うには、数日間走り続けていたとの事だった。あのギャップと呼ばれる霧同士の間隙を後にしてから直ぐに、襲撃を受けエイハブは後頭部を強く打ったのだと。
「全く。人間同士で争ってる場合じゃないだろうにさ」
相手が悪かったのは山賊の方だったのだろう。荷物を見れば判った。荷物を吊るす鞍袋が二回りほど大きくなっているのだ。
食料が大半だが、武器も入っている。握り手の柄巻が焦げている物ばかりだった。握っていた場所が判る程にくっきりと手形が確認できた。
本人たちがどのように死んだのか、正直想像もしたくなかった。
「あんまり動くなよ。縛り紐が緩む。」
「……股が痛い」
「はは。頭の方はどうだ?」
後頭部を触ると、熱を持った箇所があった。ぶっくりと膨れ、湿った縫い糸の感触が伝わってくる。
「災難続きだな」
「……あぁ。こっちのほうが痛んできたよ。」
「……こっちで合ってる?」
「え。イーライ。迷ったの?」
「ん?いやいや。こっちの話だよ」
何も無いところに話しかけているように見えたが、そこに誰かがいたのだろうか。
「あ~。はいはい。ここまで来たら覚えてる。エイハブ。もうすぐ着くよ。……まずは傷を洗って、それから風呂かな。あと服と装備……飯に」
「何から何まで。申し訳ない」
「じゃあ、次は同じ境遇の人に施してくれ。それでチャラだよ。さて。おーい。下ろしてくれ」
指を鳴らすと共に火花を散らせた。それが合図だったのだろう。眼前の石垣の上からロープをくくりつけた木製の足場が降りてくる。
エレベーターに乗りこみ、数メートル高さの石垣を超える。人為的に切り出された石が美しく積まれ、道具なしでは登るのは難しそうだった。
「……あれ?」
巻取り用の石柱には誰の姿も見えない。 数人でロープを巻き取っていると思っていたが、そうではないようだ。
「もう1人。魔術師がいてね。ここのボスだから、礼儀正しくね」
「了解です」
「さ。霧が晴れてきた。ようこそ。祝福の地へ。前に休んだ所とは違って、すぐには霧に飲まれない場所だ。とは言えど、狭い場所だがね」
分厚い霧から抜けると半壊した民家が見えた。晴れ間から覗く光の柱が降り注ぐその風体。ものは言いようだが、侘び寂びを感じさせるというか神々しいというか。
「おぉーー。そのマスクは……帰ったか、イーライ!」
3本鍬を肩にかけ、皮膚が硬くなった大きな手のひらを振る男が見える。大きな体躯に豪快な声。イーライによれば、彼こそがここのリーダー。アルフレッドその人だという。
「いやぁ~。よう帰った! ったく、帰りが遅いってもんで心配したぞ。えぇ?」
「悪いね。座礁地帯まで探しものをね」
「あんな墓場まで何を……っは! オメェ、その後ろの男は……新しい労働……じゃなくーーおお〜よう来たなぁ! 名前は?」
「エイハブです。初めまして」
「アルフレッドだ。ーーってことは、コイツも魔術師かぁ。うん。だよな。畑イジりも程々に、新歓パーティだ!」
「傷の手当てしたいから薬品貰うね」
「持ってけ。持ってけ。どーせ使う相手いねぇんだ。俺ぁ、宴の準備だな。この間、良いワインを拾ってなぁ……」
「アルフレッド」
「あっ。つい、しゃべくっちまうなぁ。なにハブだっけか。風呂の前に髪を切れ。シラミが湧いてそうだ」
それから、しばらく後。髪も短く整え、風呂上がりに薬を塗った直後、死んだように眠ってしまった。
ピリピリと頭の奥で音が鳴っている。地鳴りのような音が鳴り響くと共に、映像が映し出された。
夢だと頭で理解出来た。長く続く砂浜を歩いている。足に当たる海水が程よく暖かく心地が良い。それに月が驚くほどに近くにある。紅く大きく景色を支配するその星の中央の黒点に気が付き、食い入るように見つめ続ける。
(何を見ているんだ?)
そう疑問に思った瞬間に夢が終わりを告げた。さざ波の音が、肉をこんがりと焼く音へと変わった。
「おー。起きたか新入り。手伝ってくれるか?補助魔術だけじゃ、手が足りなくてね」
薪コンロの上でひとりでに鍋を混ぜる木ヘラ、勝手にスライスされるベーコンを横目に彼のそばに立った
「手伝いが必要には見えないですが」
「いいや。魔力操作は苦手でね。鍋が焦げ付かないようにしてくれないか」
根菜類のスープのようだ。とろみのついたスープを混ぜるには力が足りずに上手く撹拌できていない様だった。
「嫌いな食べ物は?」
「あ〜。自分の事は覚えていなくて。……料理は全部美味しそうな匂いがしてる……苦手な匂いは無いので、大丈夫そうです」
「そいつはいい。イーライはトマトが苦手でな。スープに入れると機嫌が悪くなるんだよ」
「へぇ。……あのマスク、食事中に邪魔だと思うんですが、何か理由が?」
「あぁ。男の前では外さないな。基本は」
「男の前……でも、なんで? 彼は……」
「あいつ、女だよ? 声でわかるっしょ?」
面喰らった表情を見てアルフレッドは広角を上げて首を左右に振った
「……エイハブ。ふふふ。まぁ、彼女を怒らせるなよ?」
「気をつけます。ところで座礁地帯ってなんですか?」
「ん〜。なぁ、エイハブ。あの死の柱の中心には何があると思う?」
「……想像もつきません」
「……だよな。永久に霧に覆われない大地があるだとか、この霧を生み出す原因があるだとか。そー言われてる」
「へぇ。それはまた、眉唾話ですな」
「その中心に挑もうとした連中の墓場の総称を座礁地帯って呼んでるのさ。どれだけ優れた装備をつけて向かったとて、絶対に越えられない場所でな。そんな所には人間の死体と、質のいい武具だとかが転がってる」
「それを集めて、生計を立ててると?」
「まぁ、それもそうだが。その中でも特上の武器があってだな。核穿ち呼ばれる金属の塊があってな。それの回収で金を得てるのさ。あとは、霧に覆われた廃墟から物品を集めて売ってる。こんな霧の中入りたがるやつなんて珍しいからな」
「核穿ち?」
「ソレがなけりゃ殺せない生き物が多くいてな。柱に近い場所では特に……もうちょい塩足したほうがいいか。お得意様のコロニーとも取引できるし、コネクションも出来る。エイハブも魔術師なら、いずれは自分のコロニーを持てるかもな。金の稼ぎ方は後で教えてやるよ」
「……」
「どした。働きたくないって顔してるが」
「いや、純粋に霧の中でカニバルをまた目にするのは気が引けるなと思っただけで」
「直ぐ慣れるさ。……そのくらいで良いだろう。火から外してくれ。あと、イーライ呼んできて。来ないなら……お前にその分食わせてやるよ」
見計らったかのように扉をくぐったイーライが目に入る。ゆったりできる薄着に霧の中を進む際につけていたマスクがなんともイロモノ感を醸し出している
「お〜。うまそ。はよ食おうぜ」
「霧の中ってマスクしたほうが良いのかな?」
「場所によるね〜」
「変異してるなら、ある程度抗体はあるはずだから気にするほどでも無いと……」
「おぉ! マスクに興味があるか。これとかどうだ。東のコロニーで買ったマスク!人食いバッタの顔面をモチーフに……」
「仕舞えよ。気持ち悪ぃ」
「はぁ? カッコイイだろ。このバッタマスク」
「キメェよ」
「……ぐぬぬ。エイハブならわかるだろ」
「……あ〜。もっとプレーンというか。ノーマルというか、スタンダードな方が好みかも」
それからイーライはスープにパンを千切っては口に運び続けている
「カッコイイもん。霧イナゴマスク。……キモくないし」
「……で、イーライよ。お前さんどういった類の魔術が使えるんだ」
「どう言う感じで出せるんですかね。すみません。出し方のコツというか、そういうのありますかね?」
「……うーん。出そうと思えば出るもんだけど。荒療治で他人の魔力を無理矢理流し込むだとか……他所の魔力を流すとしばらく使えない状態に陥る場合もあるし。一回やったことあるけど」
「けど……?」
「量を間違えて殺しかけたんだよねぇ。はっはっは!」
「……」
「んな顔するな。俺のが向いてないだけだよ。物質に干渉する系列の影響か、体内に結晶を作っちまうのさ。魔力の癖ってやつかな。同じ系列でも上手く結晶を作らずにこなせるやつはいるが、イーライならそれよりも安全にやれるとは思う」
「やったことないんだけど」
「まぁ、せいぜい皮膚の下で酷い大火傷を負う程度だろうな。全身結晶まみれか、内側から焼かれるか」
「どっちも死ぬ可能性ありません?」
「ま。断られると思ってるから、こうやって話の種にしてるのさ。皿空いてるじゃねぇか。もっと食え」
「ありがとうございます」
「堅苦しいのはよせよ。そういうのは苦手なんだ」
イーライの方をチラッと見るとマスクの奥で少し笑っているような感じがした。礼儀正しくするように言われたが冗談だったようだ。お硬いイメージとは真逆でフランクな人である。最初に会った時も薄々感じていた事ではあるが。
「長いから、アルって呼んでいいぞ。むしろ呼べ」
「了解」
「おーし。ワイン開けるぞ〜。荷馬車の中から拾ってきたー」
歓迎会も程々時間が過ぎて、アルは酔いがいい感じに入ったと言って自室へと姿を消した。酒の嗜み方を知っている男だ。もう一人の方はというと……。
「へへへ。っふ。ふへへ。あ〜」
酒癖が悪い訳では無い。現状の話だが。あと2杯程度酒を注いだ場合は、悪い酔い方になってしまうという直感があった。
(なんか、結構印象変わってきたな。家だから気が緩んでるのか)
「へへへ。もういっぱい。注いでよ。エーハブ」
「これで最後ですからね。つまみも無いですし」
「わ~ってるよぅ」
「じゃ、自分は先に寝ますね」
布をかけた藁山に倒れ込み、瞼を下ろす。意識を失うまで時間はかからなかった。
イーライは盃を飲み干し、それでは飽き足らずにワイン樽の側に座り込み、何度も注いでは盃を飲み干した。
物静かになった部屋でイーライの興味を引くものはこれと言ってない。その中でただ寝息を立てるエイハブが目に入った。マスクの趣味を理解しなかった彼にイタズラをしてやろうかと思い立ったのだ。
「……へっへ。魔力を流し込むだっけか?」
エイハブの右肩を掴み魔力を流し込む。彼の腕には既に彼自身の魔力で満ちており、少量では体内には流れず、表皮を伝い流れ落ちるだけだった。
「……ふっ!」
表皮から一度内側に染み込んだように見えた。一度染み込んだ魔力は直ぐに吐き出され、手のひらに炙られたかのような熱を感じ、咄嗟に手を引いた。
「……結構強くしたが……すぅ〜。んぅ……!」
巨大な炎を自在に操るほどの魔力と同等の放出した瞬間だった。彼の腕に赤熱した筋が浮かび上がると湯気が立ち上った。
「うぁ……っ! あっぁ……! うゔぅう!」
「あ。ヤッバ。ごめんごめん……つい出来心で……」
痛みで歪んだ表情を浮かべるエイハブが事態を飲み込めずにイーライを睨みつけた。理性的な反応ではなく動物的な生き物として当然な防衛反応だ。
エイハブがうつぶせ寝の姿勢から体を起こし藁山から転げ落ちた。片腕を軸に体を支えようとしたのだが、押さえつけた場所が悪く、支えが効かなかった
熱せられた串を通されたかの様な痛みが少しの間続き、酷い鈍痛と共に吐き気を催した
「……アルが向いてるかもって言ってたからさ〜。早いうちに使えるようになっておいた方が良いかなと……思いまして」
「……そいつは……どうも。」
脂汗を垂らしながら膝をついた時だ。床に違和感を覚えた。藁上に置かれたシーツの切れ端が何枚か落ち、同様に切られた藁の房が付近に落ちている
右腕から半透明の管状のモノが3本垂れて地面に倒れていることに気が付く。
右腕から石畳の窪へ。テーブルの上へと乗った管の先端がイーライの背後に迫っている。そり立った毒蛇の様な体制でイーライの背中を狙っているような素振りをする先端に血の気が引いた。
頭の中で何度制しても、その管は同じようにイーライを睨んでいる。これが魔術であることは根本にいるエイハブには直感で理解出来た。そして、これらを制する事が出来ないことも同時に理解した。
「や……」
止めろと叫びそうになった瞬間に魔術の管がイーライに背後から襲いかかる。
自身の心音がゆっくりと聴こえる。さっきまでの吐き気も消え、部屋に舞うホコリの動きをすら正確に視ることが出来た。
動きが遅くなった世界の中で、イーライに駆け寄り、左手で払うように突き飛ばす。眼前に現れた3本の管と相対した時に頭が真っ白になった。
イーライを逃した後に何をすべきかを考えていなかった。衝動的に体が動き、イーライを助ける目的を達すると、緊張の糸が解けたのだ。
今まで待ってやったんだ。もういいか? 時間にそう言われているような気になった。
(もう少し、待って……いや)
時間の歩みが元へと戻りつつあった。
(やれるだけの事はやったさ。避けられないなら……仕方ないか)
瞬きの後には先端が胸を貫き、宙を舞っていた。前から突き飛ばされているというよりも後ろに引っ張られているような感覚。
エイハブの体が棚に激突し、ガラスと陶磁器の破片が舞い上がった。衝撃でぐらついた棚が倒れ、足首を挟む。右足が砕け折れたが、エイハブは何も言葉を発さなかった。うめき声すら聴こえなかった
「うるせぇな。さっさと……エイハブはどこだ?」
出てきたアルが倒れた食器棚に目を向けた。固まったイーライがそこをずっと見つめていたからだ。
壊れた棚の下から左右で角度の異なる足が見え、血液が床を伝っている。
「……記憶が戻ったのか? 女に襲いかかるとは……お前も派手にやったな〜。ま。世の中善人ばかりじゃないってことか……」
「ちがう。魔力を流し込んだら……上手く制御出来てなかったみたい……それで」
「話は後だ。怪我はどこに負ってる?」
「胸に3箇所に深い刺し傷」
「嘘だろ……」
石畳を軽く叩くと3本指の腕を象った石へと変化して食器棚を持ち上げた。開けた隙間からエイハブを引きずり出し暖炉の明かりの近くまで引きずり、傷を確認する
胸に3箇所の刺し傷。同じ幅に同じ深さ。穴の表皮近くの肉は崩れて肋骨が露出している。胴体の右側面の皮膚が一部破れ骨の破断面が突き出出している。
「俺の魔術で固定具を作る。2箇所は肋骨で止まってるが、もう1つがな……エイハブが出した魔術の武器か何かあるか……これか。どうにかなるかもな」
一握りの灰を変化させピンセットを作り出し、釣り針のような針を作り上げる。
「太い血管に圧着させるしか出来ないが、コイツ自身の魔力の塊がベースなら馴染むだろうし、自ずと止血もするだろう。イーライ。灯りと、表皮付近の止血。やりたくはないが焼いて止めてくれ。肉を焼くなよ傷ついた血管を狙うんだ」
「深い傷をやった方が……」
「解剖医じゃないんだ。体の奥の処置はしたことがない。リスクを犯すよりも、実績のある方法を取る。死んだらその時はその時だよ」
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