【KAC20225】マスターピース!【88歳】

なみかわ

マスターピース!

 朝からあわただしく、動物の絵を書いたトラックがアパートの前に止まり、手際よく隣の部屋からタンスを運び出す音で俺はもっさりと起きた。


 俺はここ数日、締め切りが近づいている投稿作品の小説を、何度も見直しては打ち直し、あるいはアンドゥのショートカットキーを連打していた。ときたま、ばたばたと引っ越し屋のアルバイトっぽい20代の青年が閉めているドアの前を行き来する。いざ原稿の仕上げ作業がが佳境に入ると、そんなことを気にしている暇はどこにもなかった。



斗也とうや君、起きてる?」

 しばらくして、となりの八十屋やそやおばさんがノックした。この挨拶が聞けるのも今日で最後、か。

「起きてるで」

「お弁当こしらえてん、もろてや」

「えー、こんなときまで?! たいそな。でも嬉しいわ」


 今日ここから息子さん夫婦の家に引っ越す八十屋さん夫婦の奥さん、八十屋やそや桜子さくらこさんは、俺の心配をよくしてくれた。こうやって弁当を作ってくれたり、バイト中に布団干しも代わってくれたりした。俺は八十屋さん家の布団をコインランドリーに持って行ったことがあった。



「さみしいわあ」

 入れ物のタッパーは返さんでええよ、と八十屋さんは弁当を渡してくれる。--ドアは半開きだと引越屋が通れないので全開にした。


 結局八十屋おばさんの年は聞けなかったが、70は越えていると思う。コレステロール値が高いからとかで通院はしているが、いつも元気だ。おれの祖母は両方とももう亡くなっているが、どちらにも似ていないタイプだった。腰も曲がってなくて、髪も白髪ではない。


「斗也君おはよう、たしかそろそろやったやろ? 騒がしてごめんな」

 そして次に声をかけてきてくれたのが、八十屋やそや米男よねおさん。先月80歳になったと聞いた。米男さんは、俺が小説家をめざしていて、フリーターだってことも知っている。親父以上に年は離れているのに、何かと相談にも乗ってくれるいい人だった。息子さんがスマホやLINEを教えてくれたそうで、これからも連絡をくれるという。


「いいえ、もうあとは細かいところを直すくらいなんで。……おじさん、おばさん、今までお世話になりました」

「それはこっちのセリフやで」

 おじさんは笑う。八十屋おじさんは、おじいさんと言うと失礼すぎる体格だ。親父ほどがっしりでもないが、痩せすぎでもない。白髪でなければ、短く刈り上げた姿を後ろから見ても年代がわからなくなる。



はよう賞取って、本屋で買わしてや」

 応援の言葉には、ゆがみはひとつもなかった。



 俺は八十屋さん夫婦にかなり助けられていた。--ネット上だと特に言葉尻はきつくなる。ネットに投稿した小説の批判を読み続けて、落ち込んでいるときもなぐさめてくれた。「そんな批評にも値しないものなんて、スルー、っていうんかな、スルーしといたらいいんですよ」とか、どんなことを言ってくれたかは、たくさんありすぎた。


「好きなものを好きなだけ書けばいいじゃないですか」「読みたいものとか観たい映画とかいっぱい見てもいいじゃないですか」「その中で”この話はおもしろかったけど、ならこうしたい”と思って好きに書くのが、創作でいいと思いますよ?」


 昼にタッパーのお弁当を食べていると、たくさんの言葉を思い出して泣けてきた。



 午後はもう少し小説の見直しをした。この表現は誰かが使っていなかったか、単語を選択してネット検索にかける。登場人物の名前は全部チェック済みだ。あらすじをざっくり「〇〇が〇〇する話」とかでも検索して、似たものがないかも、もちろんタイトルもかぶりはないことを確認している。



 それでもこの作品を少しずつ書きすすめて、投稿サイトで公開を続けていると、最初は誤字脱字を指摘してくれるレスポンスはありがたかったが--これは今もありがたいが--『この表現は××という話にもありました』とか『資料見てますか? 本物の△△はこんな動きとかしないですよ』とか、もちろん言っていることは間違っていないが、滅入るツッコミも増えてしまい、1つ1つに対応して修正しなくなった。そのせいか、PVが減っているようにも思えた。


 そういう時に、八十屋おばさんのカレーをいただいたり、八十屋おじさんから昔観た映画の話を聞くと、とてもいやされた。



 夕方までに、隣の部屋は空っぽになった。最後の荷物らしき段ボール箱を八十屋おじさんが持っていたが、それは俺の部屋の前に運ばれる。

「斗也君、これ古いやつばかりやけど、あげるわ。売ってくれてもええで」

 中身は、映画DVD、ブルーレイディスクがびっしり入っていた。

「いや、こんなんもらえませんわ」

に持って行っても息子はネットプライムなんとかで観られるから捨ててくれっていうんですよ」

 ざっと見たところ、たしかに、ネット動画サービスで観られる有名どころの映画の背ラベルが目立った。--ありがたくいただくことにした。



 今日の分の見直しが終わって、俺はプレステ4の電源を入れた。八十屋さん夫婦は大家さんに鍵を返し、ついに引っ越しが完了した。早速『今後もよろしくお願いします』というLINEは来ていた。『よろしくお願いします』のスタンプを送った。



 もらった箱の中から適当に1枚DVDを選んでみた。『或る夜の出来事』、タイトルで検索すると粗筋も全部見えてしまうかもしれないので、それはわざとやめて、頭から見始めた。白黒の映画だった。




 誰もが普通に道端やベッドでタバコをふかしたり、公衆電話に行列をなしたり、遠くへの連絡は……所謂いわゆる風俗(もちろん、普段の暮らしざまとかのほうだ)は白黒の画面からもであることは十分にわかった。でもストーリーは全然古臭くない。


 今時のラノベのタイトルにしてしまえば『金持ちのお嬢様が父親に勝手に婚約破棄されたので逃げだしたら、スクープ好きの新聞記者と旅をする羽目になりました』とでもなるのだろうか、リメイクすれば普通に本屋で売れるんじゃないだろうかとも思った。


 泥棒にあって荷物をられたり、新聞社の偉い人がスクープのために明日の朝刊1面差し替えを叫んだり、ヒーロー役がヒロイン役と距離を開けてすれ違ったり、本当は優しいパパだったり、結婚式でのトラブルが起こったり……今時のドラマや漫画でもありがちな展開も多くあった。でも、「これってどっかで見たわ」とかいう飽きは全くなかった。

 それはこの作品がおそらく俺の生まれる前に作られたから、先にあったから、という理由でもなく……ただ、面白かった。



『”ならこうしたい”と思って好きに書くのが、創作でいいと思いますよ?』



 これからも小説家を目指して執筆投稿を続けていれば、さまざまな逆風に当たることもあるだろう。でも、ささいな心のないコメントで、負けることだけは無いようにしたい。



 俺はディスクを取り出してケースにしまった。『或る夜の出来事』のパッケージには、公開1934年と書かれていた。


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