比翼連理といつかの約束

エピローグ

 買ったばかりのワンピースは、足元のレースがふわりと風に揺れるのが可愛い。最近新調したアイボリーのパンプスに、メイクはナチュラル、髪はおろして毛先だけ緩く巻いたら、休日のお出かけコーデとしては完璧だ。

 

 とんとんと踵を入れて玄関を開ける。「行ってきます」と行ったら、家の奥から母の「行ってらっしゃい」という声が帰って来た。


 突き抜けるような青空には、鰯雲がかかっており、その下を烏の群れが横切っていく。目に見えるもの全てが洗いたてのような眩しい季節は、どことなく寂しさも孕んでいた。


 あやめは玄関の扉を閉めると、なんとなくその場に立ちすくむ。


 あれから一週間たったが、一度も夢を見ることはなかった。

 ここ一か月のことが、全て幻や妄想のように思えてしまうほどに、あやめの周囲は平和そのもので、あの屋敷で経験したような澱みの気配は欠片も見られない。

 以前よりも少し眠りが浅くなったようにも思えたが、それ以外には特に変わったことはなにもなかった。

 それが、妙に寂しく感じられた。


 いや、正しくは何もないわけではなかったか。

 あの日、目覚めたとき、あやめは普通にベッドに寝ころび、いつも通りの時間に起きた。

 紫依那に噛まれた傷も含めて、身体に外傷は見られなかった。恐らく、禍根が耐えたことにより、あやめの魂が夢の世界とのえにしを完全に失ったためだろう。

 その夜は昏睡状態にあったわけだが、誰もあやめを起こしに来なかったので、ただ眠っていることと変わらなかったのである。


 それから三日後あやめは、再び森山宅を訪れた。

 出来れば翌日にでもすぐに行きたかったが、当の家主が三日間家を空けていてコンタクトがとれなかった。ようやく捕まえたときに話を訊くと、どうやら森山さんは三日間、西本家を訪ねていたらしい。


 あの日、あやめの話を聞いた後に、すぐに家をたって、都心で未だに不動産を経営しているという本家筋の人間に、この土地のことを問い詰めたんだそうだ。

 すると、かつてこの土地でどのようなことが行われていたか、その詳細を知って驚愕したのという。その伝承は、ほとんどあやめの知っていることと同じで、やはり西家はあの後の藤間の土地の管理を任されていたのだという。


「二百年、人を住まわせるなと、その者は言ったらしい。そして、倒壊した屋敷の整理と娘たちの鎮魂が終わるや否や、ふらりとどこかへ去ったそうだ。なんとも奇妙な予言のようなことを申していたとか。二百年後に、この呪いを断ち切るものが現れるまで....と」


 そういう伝承が、西家の古い記録に残っていたという。

 茜のことだ、とあやめは思った。

 あの後、茜は宣言通り、藤間の土地のもろもろの処遇と娘たちの鎮魂に尽力したのだ。

 そうして、己を見つめなおす為にどこかへと去っていったのだろう。


 冷たい風に誘われて、あやめは歩き出した。

 今日は以前約束した通り、恵茉と激辛フェスタに行く予定だ。待ち合わせ場所にもうそろそろ向かわなくては。

 

 連理藤れんりふじは時期を終え、花びらを散らし始めた。しかし、風に流れて甘い香りはいっそう香ばしく広がる。

 斜陽に透ける紫は、ほのかに光をはらんで美しい。流れるように落ちる花弁は、優美と儚さを象徴しているようで、彼の二人を思い出して胸が痛んだ。


「チイーチィーーーチイーー」


 藤の房の上に、小さなメジロが跳ねるようにやって来た。花や枝の上を楽し気に飛び回り、元気に鳴いている。


「ヒヨクちゃん、また来たんだ.......」


 陽だまりに包まれたその光景に目を細めた時だった。

 何かに気が付いて、あやめは息を止める。


 ―――この、場所は。


 よろめくように、その場から二、三歩と後ろに下がった。

 それから周囲を見渡し、家の建っている位置と藤の木の距離を目で測る。


(まさか)


 二本の藤が枝の部分で繋がった連理藤れんりふじ

 その、それぞれの根本が生えている場所は。


 「私が、紫依那と蒼の遺灰を埋めた場所........」


 ああ、なんてことだろう。

 あやめはその場に泣き崩れた。

 


 天にあっては、願わくは比翼ひよくとりとなり 地にあっては、願わくは連理れんりえだとなりたい。


 それは、仲の良い男女を表す言葉だった。

 それは、非業の死を遂げた、一対のつがいを表す言葉だった。

 蒼と紫依那は連理の枝となり、ずっと隣に居たのだ。

 死してなお、共に。


 『永遠に傍に』


 二人の約束は果たされたのだ。



 

 



 約束の駅までもう少し、というところで、あやめは足を止めた。

 見覚えのある少年を見つけたからだ。

 人通りの多い駅近くで、その少年の姿は何故かすぐに目についた。

 

 「春風少年はるかぜしょうねん......」


 春疾風はるはやてのように、一瞬であやめの心をかき乱していく不思議な少年。

 ここ数日、本当にいろんなことがあったせいですっかり彼のことを忘れていた。

 

「お、いたいた」


 少年はまるであやめを待っていたかのように、こちらに気が付くと手を振ってやって来た。


 首を傾げるあやめに、少年はいつかの........いつもの質問をする。


「約束、思い出した?」


 否、と言おうとして、あやめは口をつぐんだ。

 もう一度、まじまじと少年の姿を見つめなおす。

 こちらを見つめる、その優し気な笑顔に、どこか見覚えがあるような......。

 まるで、『彼』のような.......


 「..............................................ああっ!!?」


 少女の素っ頓狂な叫び声は、人込みの喧噪を裂いて、蒼穹に溶けた。

 もう、春が終わる。





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藤園の約束 風助 @fuuuuka

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