茜と蒼

 ―――神が鳴る。

 劈くような轟音が落ちると同時に、ピカっと周囲が発光した。

 天が落ちたのではないかと思うほどの衝撃が、今や古色蒼然と化した屋敷に轟く。

 神が怒って、雷を落としているというのなら。

 今ここに、己と蒼のもとに落ちて来れば良いのに。


 蒼も茜も本来帯刀すら許されぬ身分である。

 しかし、幼い頃から遊離を冷やかす武左公ぶさこうを真似て、竹光を持ってチャンバラなどをして遊んでいたものだ。孤児時代は盗んだ懐剣かいけんを振り回して窃盗をし、紫依那に拾われてからは竹刀しないで護身術を覚え、紫依那の護衛のために脇差を腰に差した。

 今はこうして、藤間当主の残した太刀を握って二人で向かい合っている。無論、いつかのような竹光ではなく、振るえば肉が裂ける真剣しんけんである。

 茜は飛び込んだ紫依那の部屋を見渡した。そこに主の姿はなく、血の滲んだ座敷には、蒼だけが一人立っていた。

 

「........紫依那さまは何処いずこにやった」


 これほど剣呑な声を、茜は未だかつて兄に向けたことはない。


「さあ。かてを自ら探しに行かれたのかもしれないな」


 瞬間、茜の頭が沸騰した。


(抜かった――――‼)


 自らの足で歩けるほどに、紫依那が回復しているとは思わなかった。あやめはもう、自力で目覚めることはできない。それを考慮して、見張りはあの傀儡くぐつに任せ、蒼は紫依那を守りながら茜を警戒していると思っていた。


 まさか、紫依那が自らあやめを捕りに行っているとは......!


 茜は踵を返して、あやめの元へ向かおうとした。しかし、背中を向けようとした刹那、蒼の投げた苦無くないが肩先を掠める。間合いは僅かに茜の方が広いが、飛び道具の扱いは蒼が上手であることを失念していた。


「はァッ!」

 

「っつ........!」


すぐさま踊りかかってきた蒼の一撃を、茜は寸でのところで太刀で受け止め、横にいなす。しかし、勢いに乗った蒼が連撃で茜を責め立てた。

 防戦一方。

 刃先が幾度も皮を裂き、火傷のような痛みがそのたびに襲ってくる。


「邪魔をするなら、もはやお前も殺すしかないね、茜」


「もうこれ以上、罪のない娘たちを見殺しにするのは俺には出来ない、蒼」


 茜の答えに、蒼は苛立たし気に唇を噛んだ。


「そんなにあの娘が大事か? 紫依那さまよりもか? 何故だ茜!? 何故私たちを裏切る!?」


 喘鳴ぜんめい混じりの叫喚きょうかん。叫びながら、蒼は茜に突進する。

 空を切る音とともに、しなるように降り降ろされる太刀を茜は半身になって躱す。空転した勢いで前によろめいた蒼の背中に向けて、茜は思い切り足を降り降ろした。


「っく」



 背骨が軋むような確かな手ごたえとともに、蒼は沈黙した。

 昔から、喧嘩は蒼の方が強かった。だが、本当に頭に血が上っている時の蒼、隙も動きの無駄も多くなる。その癖を誰よりもよく知っているのは、茜であった。


 茜は伏せた蒼の首に向けて、切っ先を向けた。

 一刺しだ。一刺しで殺す。

 無防備な首を太刀で貫いて、それで全て仕舞いだ。兄を殺して、さっさとあやめの下に向かわなくては。


「........たのむ」


 蒼の弱弱しい声が響いた。


「私は殺してもいい。だが、紫依那さまだけは........助けてくれ」


 今にも途切れそうな声に、茜の心が揺れた。


「........出来ない。あやめの命を犠牲にすることは出来ない」


後生ごしょうだ茜! 恃む! あの方は! あの方だけは........!」


「っつ.........!!」


 蒼の悲痛な哀願あいがんに、茜の刀を持つ手が震えた。

 迷いを見せたその瞬間、蒼は身体を捩じって太刀を横に薙いだ。

 刀を弾かれた茜は、蒼の予期しない行動に狼狽えてたたらを踏む。その隙をついた蒼は、さきほどのお返しとばかりに、茜の顎を思い切り蹴り上げた。


「っがはァ.......!!」


 脳震盪のうしんとうを起こした茜は、前後感覚を失い、床に蹲った。ゆらりと落ちた陰に辛うじて顔を上げると、蒼が涙を流しながら茜を見下ろしていた。


「私はただ、紫依那さまが健やかであってくだされば、それ以上は何も望まないというのに.......!」


 その言葉の切実さが、茜には痛いほど分かった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る