六
いつかの時のように、血に濡れた紫依那の肢体を搔き抱いた。
茜があの少女に特別目をかけているのは分かっていたが、まさかこんな形で裏切られるとは思っていなかった。
『引き際を見定めよ』
命の散り際に、
「馬鹿を云うな」
それでも、ここを引き際にする気はない。
そんなことが出来たら、初めからこんなことにはなっていないのだ。
どれほど堕ちても、この人がいればそれでいい。
それ以外は何も望まない。
「あやめを取り戻さなくては」
そして、瀕死の紫依那に捧げるのだ。
さすれば、まだ、紫依那は生き永らえる。
西に行って欲しい、と茜は云った。
「出来れば元の時代に帰したいが、それはもう無理だろうから」
あやめの魂は、こちらの世界に馴染み切ってしまったようだ。だからもう、朝が来ても目を覚ますことはないのだという。
若葉雫たちも体験したはずの末期段階、あやめは現実世界で昏睡状態に陥ってしまっているようだった。
「でもどうして。雫さんたちは昏睡までにもっと長い時間かかっていたはずでしょう」
森山さんから聞いた話だと、少女たちは昏睡までに少なくとも二か月以上はかかっていた。
「あやめは魂の形が紫依那さまによく似ていた。だからこちらに馴染むのが早かったんだ」
茜は、未来人が夢から覚める方法は三つある、と云った。
「紫依那さまや蒼は云わなかっただろうが、実は自然に目を覚ます以外にも方法がある」
ひとつめは、未来人を傷つけること、だという。
「なんでもいい。怪我でも精神的にでも弱らせればいいんだ。俺と最初に会ったときを思い出してみろ。俺はあやめを脅して怖がらせただろ。刀も向けた。あの時、きみは俺に恐怖を感じて目を覚ましたんだ」
云われてみれば、確かにあの時、半ば失神するような形でこちらの世界での意識を失った。前に彬文と会った時も似たような感覚になった覚えがある。あの時は、寸でのところで蒼が来たので、気を失わずに済んだのだが。
「あ、じゃあ私を斬ったのも、向こうに帰そうとしたってこと?」
茜は頷いた。
「俺だって、本当はあそこまでやりたくなかった。でも、無理矢理にでも目を覚まさせるには、前に与えた恐怖よりもさらに強い恐怖を与えないといけないんだ。あの時点ではもう、脅しや刀を向けるくらいじゃ駄目だった。だから、身体を傷つける必要があった」
幸い、現実であやめの身体は無傷だった。精神までも無傷とはいかなかったが。
「そっか。そういうことだったのか」
だが、あやめはなんだか心底ほっとしていた。茜の行動は本当に最初から最後まであやめの為を思ったものだったと分かったからだ。
「だから、きみを現実世界に帰すには、この呪いの根源を断ち切るしかないんだ」
「........それはつまり、蒼を殺すってこと?」
あやめの言葉に、茜は首肯した。
「.......そう」
分かっていたことだった。茜は最初から、蒼を殺そうとしたと云っていた。
「恐らく、紫依那さまもまだ生きている。というより、まだ生き永らえる余地がある。今頃桐麻の遺体が贄になっているだろう。そしたら、次はあやめだ。蒼は確実にあやめを狙ってくる」
「だから、屋敷の外に逃げろって?」
「逃げて.........西家に行ってくれ。あの家の当主とは懇意にしているから、事情を話せばきみを匿ってくれるだろう」
「分かった。西家に行って、応援を呼んで来ればいいのね」
蒼は屋敷の外に出ては危ないと云っていたが、今となればあれもあやめを逃さぬための嘘だったのだろう。
そんなことを考えていたあやめだったが、ぽかんとした顔をしてこちらを見ている茜に気が付いた。
「なに?」
「いや、別に応援を呼んで来いとは....。いくら懇意とはいえ、他所の村のごたごたには西家も関わりたくないだろうし」
そこまでしてくれるとは分からない、と茜は云った。
「大丈夫よ。西家だから」
「は?」
「あの家は、信用できる。二百年先まで約束を守ってくれるような、誠実な一族だからね」
「.......? 何云って?」
「それに、ただ逃げるなんて、私は絶対に嫌。もう私の命も懸かってるのに、全部他人任せにして逃げるなんて出来ない。そうしろって云うなら、茜も一緒に連れていく。でも、茜は自分で蒼とけじめをつけたいんでしょう? それを私は止めないから、私が応援連れて戻って来るのを、茜は止めないでよね」
どういうわけか感情が昂って、やや興奮気味に捲し立ててしまったので、云っていることが自分でもよく分からないが、云ってやった、という謎の達成感が残った。
茜はそんなあやめの態度がおかしかったのか、声を抑えて笑った。
「じゃあ、頼むよ。俺は蒼と紫依那さまにけじめをつけに行くから。二人は今頃、紫依那さまの部屋で桐麻を贄にしているところだろう。だから、襲うならきっと今が好機だ。きみはその隙に屋敷を出て西に向かってくれ。俺が死んでも、西家の当主は話の分かる人だから、きっと助けてくれるだろう。蒼と紫依那さまさえ殺せば、きみは向こうへ帰れるはずだ」
「馬鹿なこと云わないでよ。茜が死んだら、蒼も紫依那も救われない」
だから、死なないって、ここで約束して。
あやめは茜の腕をとって、自身の小指と茜の小指を絡めた。
茜は少しの間、固まっていたが、やがて力強く頷いた。
「約束する。必ず生きて、きみを元の世界に帰す」
ただ一つ、あの三人には気をつけろ、と云われた。
あれは、紫依那の目だという。
人ではなく、泥から出来た傀儡であり、屋敷の中を常に監視して回っていると。
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