五
「うぅ.........」
あやめはとうとう頭を抱えて蹲った。
酷い
(私も、紫依那の贄にされるためにここに連れてこられた)
全ては虚飾。姦計、謀略、陰謀。
藤が叶えたのは、友になりたいという紫依那の願いではない。
贄が欲しいという蒼の願いであった。
「未来人なら足が着かない。しかし、時空を超えた魂は、こちら側に馴染ませる必要があった。少しずつ時間をかけてここで過ごす時間を増やし、魂を馴染ませ、頃合いになったら紫依那さまに贄として捧げる。それを繰り返して、お前で四人目だった。....桐麻がここへ来たのは、本当にたまたまだ。蒼が女衒から取り上げ、お前の次か補填のための贄として屋敷に置いていた」
「じゃあ、茜は? その間なにをしてたの? あんたも蒼と一緒に娘たちを殺してたの?」
憤懣を含んだあやめの声に、茜は一瞬言葉を詰まらせたようだった。
「俺は.......直接手をかけたことはない。だが、間接的に協力していた。許されないことをしていると分かっていたが、蒼を裏切れなかった。俺にとって、蒼は......唯一の家族だったから」
「...........そんなの.........関係無い
あやめは膝から少し顔を上げて、
行燈の灯りは、先ほどよりも弱くなっている。まるで己の心を映しているようだ、とあやめは思った。
「.........蒼と紫依那さまは禁忌を犯した罰として呪いを受け、陽の光を浴びれなくなった。夜の間しか意識を持てない、夜の
生まれてからずっと、辛酸をなめ続けていた。世の全てに疎まれ、憎まれ、風刺され、それならばと茜も世の中を憎み返した。
蒼の無念も憤怒も
蒼の半分は茜で出来ている。茜の半分も蒼で出来ている。違う人間であれど、ただの兄弟以上に同じ感覚を共有する片割れ同士だったからだ。
「俺はきっと、時が戻せると云われても、同じことをするだろう。こうなるまで蒼のことを裏切れない。だが、直接手を下す覚悟もない。味方をする素振りをしながら、同じ罪を被る勇気のない臆病者だ」
沈黙が落ちた。行燈の炎が
ここまで聞いて、あやめは茜に対して、怒りも嘆きも慰めもする気にはならなかった。
まるで感覚が違いすぎる。
蒼の執着も茜の懊悩も、あやめにはあまりに遠い感情で、共感出来ることが無い。
あやめが軽々に触れられるような、生ぬるい感情ではない。
何もできることがないな、と思った。
彼らの悲しみに寄り添うことも同情することも、怒ることも、自分がそれをするのは全て筋違いなのだろう。
つと、ずっと引っかかっていた疑念があやめの口から零れ落ちた。
「......じゃあなんで今になって、蒼を裏切る気になったの」
なんで、私を逃がそうとしたの。
「あの時、他の人間はいいけど、私は駄目みたいなこと云ってたでしょう」
なんで私だけ助けようとしてくれたの。
「........そんなことしたら、もう蒼にも敵認定されるに決まってるのに」
あやめの問いに、茜は小さく答えた。
「君を初めて見た時、まるで
怨念や呪いの渦巻くこの
「今まで見てきた女たちの誰よりも、真っ直ぐ立っていて、髪も瞳も全てが美しいと思った」
茜はあやめの方を見ないまま、憚るようにそう云った。その横顔は、少しだけ後ろめたそうに見えた。
対するあやめは、突然のことに、何を言われているのかよくわからなかった。
じっと黙って茜の真意を伺っていた。
「汚されたくないと思った。この泥中に沈ませたくないと思った。そんな風に心から思ったのは初めてだった。だから、傷つけて怖がらせてどうにかして帰したかった」
そこには、決して叶わない想いに対する恨みも乗せてしまったけれど。
どんなに嫌われても、二度と会えなくても、生きていて欲しかった。
「私、あなたにそんな風に思ってもらえるほど、何もしてないよね」
あやめが半ば放心したまま云う。
そうだ。茜とあやめは友と呼ぶほどに親しくもなければ、ちゃんと喋ったのもこれが初めてのようなもので。
「一目惚れしたから」
あやめが息を呑んだ。
その時には、茜は真っ直ぐあやめの方を向いていた。
黒曜の瞳に、自分の顔が映っている。
あまりに真っ直ぐな告白に、言葉が詰まった。
「綺麗なものなんて、もう全部死んだと思ってた。でも、あやめが誰かを思う気持ちを思い出させてくれた。だから、こんなことを云うのは矛盾しているけど、君に会えて良かった。君が来てくれて嬉しかった。でも、出来れば君に……来てほしく無かった」
もしも、もっと別の形で会えていたら。
茜の伸ばした手は、あやめの髪を掬い、やがて頬に触れた。
暖かかった。
蒼の手も紫伊那の手も冷たかった。
この呪われた屋敷で、唯一、茜の手だけは温度があった。
彼の心は虚飾ではない。
真心だと、あやめには分かった。
「………なんで、君が泣くの」
あやめの目から涙がこぼれた。
困惑したような、心配したような茜の声が優しい。
先ほどまで遠いと思っていた少年の心は、ずっとこんなに近くにあった。
ずっとあやめに向けられていた。
「泣かないで」
茜があやめの涙を拭った。あやめは首をぶんぶん振って、自分で涙を払う。
怒りも同情も慰撫も、筋違いなのだろう。そういう踏み込んだ感情を持つ資格はあやめにはない。そういうのは、当事者や犠牲になった少女たちや遺族だけが抱えることができるのだ。
でも、目の前の実直な少年のために何かを返したいと思うのは、許されるはずだ。
「私に、何が出来る?」
「え?」
「蒼と紫伊那を止めたいんでしょう? この負の連鎖にケリをつけたいんでしょう? 」
生贄としてここに連れてこられたのが、ショックだった。
友達だと思っていた人に、密かに想っていた人に裏切られたのが悲しかった。
でも、立ち上がる理由を得られた今なら。
ここに来た意味を、自分でつくろうと思えた。
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