四
あやめは強張っていた顔を僅かに緩めた。
「こうして落ち着いてみると、いろいろ見えてくるものがあるね。初めて会った時から、茜は私を
反対に、蒼や紫依那はあやめを夢に留めようとしていた。あやめをもてなし、好意を示し、あの手この手であやめにとって心地いい空間を作り上げて、あやめを捉えようとしていた。恐らく、これまでここへ来た
そうだ。誰が危険かなんて、すぐに分かることだった。
夢を見ることが危険に繋がるのなら、夢に留めようとする人間の陰謀に決まっている。
今までの未来人たちが亡くなっている原因を作っているのは蒼か紫依那の可能性が高いのだ。
そこまで考えて、あやめは茜に向き直った。
「教えて茜。この屋敷で何が起こってるの? 今までの
(桐麻は...どうして斬られなければならなかったの)
あやめの言及に、茜は瞳を揺らして「そこまで分かってたのか........」と呟いた。
「きみの云う通り、蒼たちの纏っている藤の香りは、この屋敷に蔓延している死と呪いの臭気を隠すために焚いている
あやめは小さく息を飲む。
「じゃあ、あの部屋には今までの
そこまで云って、あやめは青白い顔で口を閉じた。
あやめが黙ったのを見て、今度は茜が口を開いた。
「桐麻を斬ったのは、彬文さまだ。牢の格子に水をかけ続けて腐らせ、弱った部分を破壊して抜け出してきた。彬文さまは長年暗い場所に監禁されていたせいで目が悪くなっていたんだろう。廊下を歩いていた桐麻の後ろ姿を紫依那さまと見間違えて斬った。しかし、間違えたと気が付くや否や、すぐに紫依那さまを探し出し、部屋で本物の彼女を斬ったところに、蒼がやって来て、蒼に斬られた。俺は混乱に乗じて蒼と紫依那さまを倒そうと.......殺そう思い、蒼と対峙していたところに、君がやって来た」
茜は淡々と告げた。
「蒼も紫依那さまも、もう人間じゃないんだ。二人ともとうに壊れて.....おかしくなってしまった」
すべては、あの男のせいだ。
絞りだすような声でそう云った。
「どういう意味.....」
あやめの呟きは闇に溶けた。茜は悲痛な面持ちで沈黙している。
しかし一息吸うと、意を決したようにこれまでのことを話し始めた。
それは、あやめの想像を遥かに超えた惨憺たる話であった。
全ての始まりは、今この時から十年ほど前のことだ。
双子であることを理由に孤児となり、盗みなどを働いて生きてきた蒼と茜は、ある日、一人の男と幼い少女に拾われる。
その二人こそが彬文と紫依那であった。彬文はその小さな村の長であり、紫依那はその孫娘にあたった。紫依那は巫女のような役割を持ち、豊穣を願ったり、邪悪を退けるなどただ人にはない不思議な力を持っていた。
小さいながらも小奇麗な屋敷に住み、数人の使用人とともに暮らしていた紫依那と彬文は、茜と蒼を自らの家に招き、共に暮らし始めた。
それまでずっとその日の食事にも困る暮らしをしていた茜たちは、始めは警戒していたものの、紫依那たちの温かい心に触れて少しずつ心を開いていったそうだ。そして、三人はまるで姉弟のように穏やかに、数年の時を過ごした。
紫依那が十四になったばかりの頃だ。ある日、彼女に縁談の話が持ち上がった。
それは、藤間と呼ばれる豪農の当主からの申し込みだった。
その時には既にあちこちで天災が起こり、浮世は飢饉に苦しめられていた。そこで、紫依那の持つ豊穣の力に目を付けた男が、紫依那を娶ろうと強引に迫ってきたのだった。村人たちは紫依那を嫁がせまいと躍起になったが、男は権力を使って村に圧をかけ、半ば無理矢理に紫依那は藤間に嫁ぐ事に決まった。
「俺や蒼、彬文さまや村のみんなも紫依那さまを守ろうとした。相手が素行の悪い男だと分かっていたからな。だが、脅迫をかけられた村のこれからを憂いて、紫依那さまは自分で嫁ぐことを決めてしまわれた」
ここまでは、以前、蒼に聞いた話と遜色ない。
しかし、問題はここからだった。
「紫依那さまが藤間に嫁いで、半年くらいたった頃のことだ」
蒼たちのもとに一通の文が届いた。
それまでも何度も紫依那から文が届いていたが、その文は明らかに今までと様子が違っていた。
いつも嫁ぎ先から実家へ届く紫依那の文は、藤の香りのする
文には走り書きのように掠れた字で『タスケテ』と書かれていた。
確かに、紫依那の字であった。
それを見て、真っ先に村を飛び出したのは蒼だった。茜も彬文に事情を説明してから、すぐに蒼の後を追った。
馬を疾駆させながら、茜は考えていた。
これまで届いていた近況を綴る文は全て、紫依那が藤間に書かされていたものだろう。きっと、本当はもっと悲惨な待遇を受けているに違いない。紫依那も心配だったが、もっと危ういのは先に行ってしまった兄のことだ。あれは、紫依那のことになると何をしでかすか分からない。
そして案の定、藤間に着いた時には全てが終わっていた。
血に染まる屋敷。蒼は紫依那の亡骸を腕に抱え、俯いていた。
紫依那は死んでいた。否、正確には逃げようとしたところを逆上した当主によって殺された後だった。
茜の想像通り、紫依那は嫁いでからずっと当主や屋敷、妾から虐待や暴行を受けていたようだった。身体は痣や火傷の後だらけ、美しかった顔はやつれ、華奢な体は骨と皮だけを残して痩せ切っていた。
虐待に耐えかねた紫依那は助けを求めようと、一目を盗んで文を出した。しかし、それに気が付いた当主によって殺されたらしい。蒼は運悪く紫依那が殺された現場に居合わせ、その場で激高し、当主を含めた藤間の人間を
「そして、蒼は禁忌に手を染めた」
蒼はどうしても紫依那を諦められなかった。そして、藤間の村に住む紫依那と同い年の少女を攫い、血肉を紫依那に与えた。
「三人、四人、十人を超えたあたりだったか.......紫依那さまは息を吹き返した」
あやめはその時、初めて自分が呼吸を忘れていたことに気が付いた。怖気の立つような話に、無意識に自分の膝を守るように抱え込んでいた。
「娘の血肉を与えて.......紫依那が生き返った? まさか、そんなことが」
死んだ人間に生贄を与えて、生き返らせるなんてことが可能なものか。
「紫依那さまは只人とは違う。神域に身体を半分浸かっているようなものだった。しかし、生き返った紫依那さまはもう人間ではない.....贄を得、
「虚飾.........」
ではやはり、あやめに見せた気遣いや優しさも全て虚飾だったというのか。
蒼も、そうだったというのか。
「しかし紫依那さまを生きながらえさせるには、定期的に贄を捧げる必要があった。そこで蒼は藤間を乗っ取り、領地内の若い娘......出来るだけ紫依那に年の近い、魂の形が似ている人間を贄として捧げた」
ある日、事態に気が付いた彬文が藤間屋敷にやって来たのだという。そして、蒼たちの所業を知って激高した彬文は、これ以上の被害を出さない為に自ら孫娘を殺そうとした。しかし、そこを蒼によって取り押さえられ、座敷牢に幽閉させられたのだという。
「蒼の云っていた話とは全然違う.......」
彬文のことを、まるで気がふれた老人のような扱いをしていたが、その実狂っていたのは蒼のほうだったのである。
茜は話を続けた。
「攫われ消える少女たちに気が付いた村人たちは、その多くが村から逃げ出すようになり、蒼は贄の調達が困難になった」
段々と話が繋がっていくのが分かる。頭の中で散らばった点と点が繋がれて、線になっていくようだ。
森山さんから聞いた、若い娘にとって良くない土地。忌地という言葉。桐麻の『女が居ない』という趣旨の発言。
これらすべては、蒼が娘たちを紫依那の贄にしていったことに起因している。
蒼と紫依那は飢饉と流行り病によって村人が居なくなってしまったといっていたが、それは嘘だったということだ。
本当に、全ては虚飾であった。
「待って、じゃあまさか」
冷や汗が額をつたる。
こうなると、自分がここに来た理由を嫌でも悟った。
「領地の外にまで手を伸ばせば、流石に風聞がたって事が大きくなりすぎてしまう。そこで蒼は藤間の屋敷の
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