藤の濃絵だみえが描かれた襖はあけ放たれていて、あやめは迷いなく座敷の中に駆け込んだ。


そして、そこに広がる光景を前に、絶句する。


「え..........」


 まず最初に捉えたのは、刀を構え合って互いを牽制している少年二人の姿だった。

 鏡合わせのようにそっくりな少年たちは、炯々と睨み合って動かない。

 それからあやめの視線は、吸い寄せられるように座敷の奥へと向かう。


 畳の上に二人の人間が人形のように転がっていた。

 一人は、薄紫の着物を纏った少女。もう一人は、薄汚れた大柄な老爺。

 二人の身体は赤い液体に濡れて、染み出した赤は畳をも染め上げる。


「あやめさん........!?」


 声を上げたのは、蒼だった。

 その声に、弾かれたように顔を上げた茜も、こちらを見てその顔に驚愕の表情を浮かべた。


「君は、なんで....」


茜の呆然とした呟きも、蒼の声もあやめの頭には既に入ってこなかった。


「待って、なんで............」


 ―――紫依那と彬文さんが死んでるの。


一体、何が起こっている? なぜ、紫依那と彬文が斬り伏せられていて、茜と蒼が斬り合いになっているのか。どうして、地下牢にいたはずの彬文が此処で倒れているのか。


「なにが、どうなって........」


「あやめさん、私の後ろへ!」


 呆然とするあやめに向かって、蒼の焦燥混じりの声が飛んだ。


「茜は危険です! 桐麻と紫依那さまと彬文さまを斬ったのは茜です。そこに居ては貴女も危ない。早くこちらへ!」


 蒼は片手で太刀たちを構えて、もう片方の手をあやめの方に差し出した。


「茜が、斬った......?」


 では矢張やはり、茜は蒼たちとは敵対していたのだ。現に、あやめも一度茜に斬られている。

 じゃあまさか、若葉雫を含む未来人さきびとたちも、茜の手にかかったのではないか。

 あやめは震える足を叱咤して、蒼のほうへと向かう。

 茜は、危険だ。皆を殺した。


「違う! そいつの云っていることは出鱈目でたらめだ! 待てあやめ。蒼の方に行くな。こっちに来い!」


茜も切羽詰まったように叫ぶ。あやめはちらりと茜の方を見た。

茜は、最後に彼を見た時と同じように、何かを耐えるような、恐れるような表情をしている。


――――刹那、ふわりと香った藤のこうに、あやめは足を止めた。


 何か、変だ。この状況は何かおかしい。


「あやめさん....?」


 蒼も茜も、突然足を止めたあやめを怪訝そうに見ている。

 そのそっくりな双眸のうち、どちらかは明確な悪意を宿しているはずで。しかし、吸い込まれるような濡羽色ぬればねいろの瞳からは、彼らの思惑は読み取れない。

 

――ここで選択を違えれば終わる。


(桐麻、教えて桐麻。何があったの。貴女は誰に殺されたの)


 心の中で既に儚くなった少女に問いかけても、なにも返事は無い。


 どうか教えて。私は、どうすればいいの――――


 


 

 『地上にサンゴがあったっていいじゃない』




 あやめはハッとして息を止めた。

 いつかの、恵茉の科白せりふだ。どうして今、この言葉を思い出すのか。



『分かる、分かる。私も混乱するもん。固定概念で考えるなって言われたって、それが常識の世界で生きてきたんだから、違和感覚えるのが普通だし』


『思い込みって、本当に自分でも気が付かないうちに根付いちゃうから怖いよねー』


 恵茉と棗の会話が脳に反芻する。少女たちの嬌声混じりの声がいやに頭に響いた。


(思い込み...........固定概念)


 物事の表面だけを見ている人間には、真実は見えないのだ。

 

(そうだ、私はまだ)


 あやめは自分を凝視している二人の少年を見据えた。


(この人たちの表面しか知らない)


 何事かを叫んだ蒼の腕が伸びてくる。その動作が、まるで嘘みたいにスローモーションに見えた。

袖が振れる勢いで再び藤の匂いが鼻を掠める。

その、刹那。

あやめは蒼の腕を振り払って、茜のもとに駆け出した。


「あやめさん!?」


驚く蒼の声を後目しりめに、あやめは茜の背後に回る。一瞬、瞠目した様子を見せた茜であったが、蒼の見せた隙を見逃さなかった。振り上げた白刃はくじんが蒼の腕を斬り払う。それからあやめの腕を取ると、血の匂いが充満する座敷を後にした。



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