泥中の告白

「あーー、来ちゃったか」


 どうやら、自分はあのままベッドの上で寝てしまったらしい。

 きちんと心の準備をする前に再びこの藤屋敷にやって来てしまった。


「とりあえず、茜に見つかるとまずいよね」


 あれだけのことをしてきたのだ。再び来てしまったことが茜にばれたら、また斬られるかもしれない。ここで殺されても現実では死なないことが分かっているが、痛みはあるし、恐怖心はトラウマのように焼き付いている。茜の見せた最後の態度が気にかかるが、それも含めて今はとにかく紫依那に会おう。雫や茜について、紫依那も何か知っていることがあるかもしれない。


 あやめは布団から起き上がり、襖を引いた。

 雨の音が聞こえる。どうやらこの時代でも、今日は雨が降っているようだ。

 襖を閉めると、屋敷の中がしんと静まり返っていることに気が付いた。

 この屋敷は、敷地の割に住民の数が少なく、いつも静かではある。しかしこれほどまでに家鳴り一つなく、自身の布ずれや動作の音ばかりが酷く大きく聞こえるのは初めてだった。


 なんだか、嫌な感じがした。


 あやめは足早に紫依那の部屋――『藤の間』に向かう。

 自分は招かれた客で、そんなことをする必要は無いはずなのに、何故か足音を立ててはいけないような気がして、慎重に歩いた。雨のせいか、屋敷の中の温度は以前来た時に比べてずっと寒く感じた。


 それは、廊下の角を曲がってすぐに現れた。


 人が倒れている。浅葱あさぎの小袖をした若い娘だ。伏臥ふくがした状態で額を床につけて、華奢な背中は鮮明なあけに染まっていた。

 一瞬、視界から受ける情報を、脳が認識することを拒んだ。

 しかし、鼻を付いた鉄の匂いで、少女の背から流れているのが人間の血であることを、嫌否が応でも認めることになった。


桐麻とうま......?」


 あやめは俯せで背中から出血している少女の名を呼んだ。足が震え、背中から冷や汗が噴き出してくる。

 あやめの声に反応したのか、桐麻がぴくりと頭を動かしたのが見えた。

 まだ生きている。それが分かった瞬間、あやめの身体は弾かれたように動き出した。


 傷に触れないようにそっと肩を触り、桐麻に顔が見える位置で呼びかける。


「桐麻!? どうしたの!? 何があったの!?」


「あ、やめ.....さん?」


「背中.....これ、刀傷? 誰に斬られて.........いや、とにかくまずは止血しないと」


 このままでは出血死してしまう。紫依那に伝えるのが先か? いや、まずは布で傷口を押さえて......。


「私の服でいいか」


 自分の着ていた部屋着を脱ごうしたあやめの手を、冷たい手がつかんだ。

 桐麻の手だった。


「あやめさん.........逃げて......」


「桐麻.....?」


 桐麻は、いつかの元気な様子が嘘であったかのように、か細い声で続ける。


「.......ここに居ては危険です。あやめさんも.....巻き込まれてしまう......」


 あやめは桐麻の白い手を握った。

 桐麻の頬にも全く血の気が無い。それを見た瞬間、分かってしまった。


(ああ、このは助からない......)


 既に血を失い過ぎてしまっている。救急車も輸血の設備も整っていないこの時代では、助かる方法が無いのは明らかだった。


「桐麻.....何があったの.........」


「あの人.........紫伊那さまと、私を間違えたんです........」


「あの人って誰? 紫依那と間違えたって....なに?」


しかし桐麻は混乱するあやめを他所に、言葉を続けた。


「聴いて、あやめさん、聴いて.......。私、ここに来るまで本当にたくさん、大変なことがあって.......実の親にも捨てられて.....こんな最後になったけど、短い間だったけど、ここで良くしてもらえて、嬉しかった.....。もっと、あやめさんとお話したかった.....」


「そんな、桐麻.....」


 桐麻の目には涙が浮かんでいた。あやめの目からも、涙が零れ落ちた。


「さっき、あの人が、紫.....伊那さまの部屋に向かわれ......ました.....。蒼さまも、きっと、そこに........あやめさん、...あ.......さま.....を頼ってください、きっと貴女を守ってくれる」


「もう、喋らなくていいよ....桐麻....」


 痛いだろうに、苦しいだろうに、桐麻は懸命にあやめの為に言葉を紡ごうとしてくれている。たった一度、少しの間だけお喋りをしたくらいの仲であるあやめの為に、命を賭してくれている。


「私......あなたと...お友達に........」


 そこで、桐麻の言葉は途切れた。腕の力が抜けて、だらりと垂れ下がる。涙と血でぐちゃくちゃになった顔を、あやめはそっと袖で拭ってやり、目を閉じてやった。

 あやめは震える自身の肩を抱きしめた。

 怖い。これは、殺人だ。誰かが桐麻を殺した。悲しみと恐怖と怒りで頭がおかしくなりそうだった。吐きそうになるのを堪えて、あやめは立ち上がる。


(紫依那.........!!)


 桐麻の云う、『あの人』が誰か分からなかったが、あやめは一目散に紫依那の部屋へ走った。とにかく紫依那が危ない。蒼が居るなら大丈夫かもしれないが、心配で仕方無かった。


紫依那の部屋へ続く道筋は血が滴っている。恐らく、桐麻を斬った人物がそのままの足取りで紫依那のもとへ向かっているのだ。

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