春雷が落ちる様を、窓越しに眺める。

 

 かつて『かみなり』というのは『神鳴かみなり』と表記されていたらしい。神様が落とすものだから、神鳴。古い日本ではトラ柄のパンツを履いた鬼神の姿が本当に信じられていたのだと、前に紫依那が教えてくれた。


(いや、蒼だったっけ.........)


 森山宅から帰宅すると、既に日が暮れて真っ暗であり、ぽつぽつと篠突しのつき出した雨は、次第に滂沱ぼうだとなってアスファルトを真っ黒に染め上げた。

 遠くの空で、稲妻が黒雲を引き裂くのが見える。見えている距離よりもずっと近くで轟音が鳴り、あやめは手で耳を押さえた。


 窓からは連理藤れんりふじの枝先が見えている。流石にこの雨だとヒヨクちゃんも出てきまい。


 いつだったか、あやめは紫依那に、何故そんなに藤が好きなのかと訊いたことがあった。

 すると紫依那は、懐から一本のかんざしを取り出して、言った。


「うわあ、綺麗。藤の簪?」


 藤を模した、硝子細工の銀簪ぎんかんざしだ。細部まで手の込んだ花弁はなびらの造形は本物そっくりで、玻璃はりに透ける淡い紫が美しい。ふさの頭についたささやかな葉の緑が、アクセントになっていて可憐な紫依那によく似合いそうだった。


「昔、素敵な人に貰ったの。『貴女に似合うと思ったから』って。あのぶっきらぼうな子はもう居なくなってしまったけど、嬉しくて、それ以来ずっと藤は私にとって特別よ」

 髪はもう結わないので、こうして懐に仕舞ってお守りにしているのだという。


 紫依那の言う、『ぶっきらぼうで素敵な人』が誰なのか、あやめには分からなかったが、それはきっと彼女の想い人なのだろうと思った。女性に簪を贈る意味を、あの時代の人が知らない訳がない。その人にとっても紫依那は特別な人だったのだ。


(もう居なくなってしまった、ということは、そういうことなんだろうけど)



 蒼は知っているのだろうか。


 雨音が胸の奥を湿らせる。

 ふと、切ないなぁ、と思った。

 紫依那も蒼も自分も、みんなそれぞれ違う方に焦がれながら、傍に在ることを願っている。


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