三
その後、紫伊那は蒼となにか相談があるとかで部屋に残り、あやめは紫伊那によって割り当てられた客間で、桐麻と茶を囲んでいた。
意外にも、桐麻はあやめと二人になった瞬間、あれこれと自らあやめに話をふってきた。
「あやめさまは、先の時代からやってきた、というのは本当ですか?」
「うん。本当。家で夢を見ている間だけだけど.....あと、さまとかいらないよ」
「え、じゃあお言葉に甘えて....。正直、信じられないような話ですけど.....なんだか紫伊那さまみたいに美しい方が仰ると説得力がありますよねえ。実際、こうしてお会いしてみると、あやめさんも神秘的な感じがしますし....」
「し、神秘的....?」
「珍しいお召し物を来てらっしゃるでしょう? そんな着物見たことありませんもの。どこか遠いお国の文化だと紫伊那さまはおっしゃってましたけど」
「これは洋服って言って、ええと......海の向こうの西洋の国から輸入した文化で......私のいる時代じゃあこっちのほうが主流なんだよ」
「まあ!」
と、いう具合に桐麻は良くしゃべった。紫伊那に負けず劣らずの好奇心旺盛な性格で、ころころと表情を変える人懐っこい少女だった。どうやら先ほど紫伊那の前では緊張していただけらしい。
桐麻はうっとりしたような声色で言った。
「本当に、
「ははは......」
とんでもないポジティブ思考の娘だなと思った。さらりと聞いた背景だけでかなりの苦労を想像することが出来るのに、全く悲観した様子がない。紫伊那と蒼同様に、この娘にも強かな部分を感じる。
「しかも、お屋敷には未来からお客人が来るっていう話じゃないですか。そんな、そんな
「落ち着いて」
しかし、これはチャンスかもしれない、とあやめは思った。屋敷の外部から来た人間に会ったのは初めてだ。蒼や紫伊那に聞き辛いことも、桐麻からなら聞き出せる。
「藤間家って、豪農って話だけど、ここに来るまでに村とか......人が住んでる集落は会った?」
実を言うと、あやめは一度蒼に屋敷の外の様子を見てみたいと話したことがある。大抵のことなら快く承諾してくれる蒼だったが、この事に関しては渋い顔をした。なんでも、あやめは夢を介して、この藤間家という
その説明を聞いて、あやめは外に出ることを諦めた。外に出れば、なにか藤間の土地についての情報を得られるかもしれないと思ったのだが、危険は犯せない。
しかし、この少女からなら屋敷の外の様子を聞き出すことが出来る。
桐麻はあやめの質問に、『なんでそんなこと訊くんだ?』というような顔をしつつも答えてくれた。
「ありましたよ。蒼さまに聞いた話ですけど、藤間家はもともと
(ええと、百町歩っていうと.........)
確か、一町歩っていうのが約1ヘクタールだから、百町歩は1約0000ヘクタールに値する。分かりやすくすると、東京ドーム約21個分である。
「とんでもないね........豪農って.......」
「本当ですねえ。でも、まだまだ大きなところだと三千町歩も治めている家もあるらしいですから。一体、どれほどのお金持ちなんでしょう」
「ひええ......三千ヘクタール........想像出来ない..........」
(ん? ちょっと待って)
「さっき西家って言った?」
「え? ええ....。抱えている小作人の数も足りず、土地を余らせているので、お隣の西家に売っていらっしゃると蒼さまが」
西家......というのは、あの古地図に乗っていた西家のことだろうか。では、本当にこの藤間の土地は徐々に西家のものになっているのだ。
人手不足に伴い、経営規模を縮小して財政難を乗り越えようとしているのだろう。まだ五十町歩もの土地を所有している藤間は十分な豪農であるが、先の地図を見てしまったあやめは、最終的に西家のもとになることを知っている。
「このまま全部、西家の土地になっちゃうのかな....」
あやめの呟きに、桐麻は「えええ」と上ずった声を上げた。
「それは無いですよ。だって、今はどこも小作人が足りないし、西家だってこれ以上は持て余すんじゃないですか。いくら土地だけあったって、荒れた田畑を耕す人が居ないんじゃ意味ないですよー」
そうか、飢饉があったのだ。
冷害や洪水による異常気象で米が取れず、多くの人が飢え死にしたという天保の大飢饉。この時代は土地が荒れて、農作物も満足に育たなかったのだ。
(財政だけが原因じゃない.......やっぱり紫伊那の身に何か起こるんじゃ)
あやめが黙考していると、不意に桐麻が「そういえば」と口を開いた。
「女が全く居なかったような気がしますね」
「え?」
「村に......いえ、たまたま私が見た時に居なかっただけかもしれませんが.......一人も
「そう、なの?」
あれ、今なにか。
なにかが、引っかかったような。
「まあ、家に引っ込んでただけでしょうね、きっと。こうして、紫伊那さまもあやめさんも居ますし、ちょっと怖いけどあのお婆さんたちも一応女性なので。これから働く場所に、同性が居るだけでも心強いです」
「あーははは。怖いよね。山路さんたち。悪い人じゃないけど、見た目がちょっとね」
「そうそう! そうなんですよー。あと、突然後ろに立ってたりするので、本当に心臓が口から出そうになって。気配がしないんですよまったくー」
桐麻の会話に乗せられるうちに、あやめは違和感を手放してしまった。
暫く取り留めの無い会話をしているうちに、あやめと桐麻はすっかり打ち解けた。桐麻に関しては不思議と初めてあった気がしないような、妙な居心地の良さがあり、ある意味では紫伊那より気さくで話しやすい部分もあった。
「あやめさん、蒼さまの
あやめは内心で『っげ』と思った。茜のことだ。
「茜さまも素敵な方ですよねー。蒼さまそっくりのご尊顔に、ちょっとぶっきらぼうな感じがもう!もう!」
興奮したようにそう云う桐麻に、あやめは思わず白々しい視線を送っていた。
「ぶっきらぼうっていうか.....無礼というか........底意地悪いというか......」
不機嫌ついでに八つ当たりされ、意味も分からぬままずっと嫌われ続けている身からすると、茜の評価はそれなりである。
「蒼と比べると、それこそ雲泥の差だよね」
あやめの呟きを耳ざとく拾った桐麻は「あらあらまあまあ」とわざとらしい笑みを浮かべた。
「あやめさんは蒼さま派なんですねー。私はどちらかというと茜さま派です」
「いや、派閥とかそんなんじゃないけど.....ていうか、蒼に助けられたのに、茜のほうが良いんだ」
「勿論、蒼さまは恩人ですし、素敵な方です。どこまでも穏やかで、完璧で......いかにも女性にもてそうですけど、完璧すぎるのはちょっと、私は気後れしてしまうんですよねー。対して、茜さまは不器用な優しさといいますか......私が庭先で小石に躓いた際に、そっと支えてくださって......そのまますっと何も云わずに居なくなってしまったんですけど、そういうところがもう! ちょっと怖そうな雰囲気もあるので、最初の印象の違いになんかどきどきしてしまって」
色恋において、ギャップ萌えというのはいつの時代も効果的らしい。
というか、やはりそうか。桐麻に対してそういう態度が取れるということは、やっぱりあやめにだけ嫌がらせしているというわけだ。
別に、こっちだって嫌いなので落ち込んだりはしないけれど、腹は立つ。
「あ、お茶がなくなってしまいましたね。私、入れてきます」
あやめは「お構いなく」と云ったが、桐麻は「これもお仕事ですから」と張り切った様子で部屋を出て行った。
本当にこの屋敷に来れたことが嬉しいらしい。
桐麻が出ていくと、すぐに部屋に静寂が訪れた。しかし、ほんの数分もしないうちに、足音が近づき、襖が乱暴に開かれた。
そこに現れた思いもよらない人物を見て、あやめは息を呑む。
「あ、かね.........」
思わず名前を呼んでしまったが、茜はそれを聞いて驚いたように目を丸くした。
それから、大仰に溜息をついて、冷えた視線をあやめに送った。
「お前、云っただろ。ここに来るなって」
横暴なもの云いに、あやめもカチンと来た。
「来るなも何も、家で寝ると自動的にここに来るようになってるの。そんなにいつも他所に泊まるわけにもいかないでしょ」
「引っ越せばいいだろ」
「引っ越してきたばかりでそんなこと出来るわけないでしょ!」
「とにかく出ていけ。二度と来るな!」
大声を出した茜にあやめは一瞬怯むも、ここで引くわけにはいかないと声を張った。
「どうしてそんなに私を追い返したいの? 今までの
あやめの言葉に、茜は虚を突かれたような顔をしたが、すぐにいつものしかめ面に戻って
「お前は駄目だ。お前だけは.........駄目だ」
少年の言葉に、あやめは泣きそうになった。蒼そっくりの顔で、そんな否定するようなことを云わないで欲しい。
「紫依那が友達が欲しいっていうから、話し相手になってるだけだよ。何も悪いことなんてしてないし、考えたこともない。ただ、仲良くしたいだけ。それ以上は何も望んでないし......そもそも、私にはなにも出来ない」
「お前が何を思おうと、何を願おうと関係ない。お前は、ここに来てはいけない。蒼と紫依那さまに近づける訳には行かない」
「だからどうして!」
「云ったところで!!」
茜の大声に、あやめはびくりと肩を震わせた。
「お前は俺の云うことなんて信じないだろ!!」
感情を爆発させた叫び声に、あやめは驚いて固まった。
部屋の中が、シン.......と静まり返る。
少年が片手に刀を持っていることに、今更気が付いた。既に
(......あぁ、この人は)
私を斬りに来たのだ。
どうしてこうなったのか、分からない。最初に会った時も恐らく、目の前の少年はあやめを斬ろうと刀を構えていた。
ここで死んだら、どうなるのだろう。
現実世界でも死ぬのだろうか。それとも、やはりなんの影響も無いのだろうか。
少年の手が振り上げられた。逃げ場は無い。斬られる。殺される。
そうと分かっても、あやめの視線は少年の顔に釘付けだった。
苛立ちや焦燥に混じって、怯えや恐怖、罪悪感を抱えたような顔をしている。
「どうして、そんな顔してるの」
本当はやりたくないことをやらされているような。あるいは、迷子の子供みたいな。
あやめの中に、奇妙な感慨が生まれた。
最初に、藤の下で蒼を見た時に似ている。苦しそうで、泣き出しそうな顔。
胸の内を掻き立てられるような、その顔にあやめはどうしようもなく切なくなる。
殺されそうになっていることすら忘れて、あやめは少年の方に手を伸ばした。
頬に触れる。
(温かい)
紫依那の手も、蒼の手も冷たかったのに、茜の頬は温かかった。
その瞬間、茜の頬に涙が流れた。
目を見開いて、あやめを見つめたまま、静かに涙を流している茜を見て、あやめは場違いなことを思った。
「兄弟そろって、案外泣き虫なのね」
茜が浅く息を吸ったのが分かった。その刹那、白刃が振り降ろされる。
「きみは、二度と此処には来てはいけない」
初めて、茜から慮るような声を聞いた。懇願するような、切実な優しい声だった。
(そういえば)
紫依那も蒼も三つ子の使用人ですら藤の香を纏っていたのに、茜からは藤の匂いはしないのだな、と最後にのんきなことを思った。
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