二
初めて藤間家を訪れてから、もう半月ほど経過していた。
最初に紫伊那に説明を受けた通り、夢でこちらに来る頻度は日に日に多くなり、今ではほとんど毎晩この屋敷に来るようになっていた。
紫伊那はこの現象を『魂が馴染む』といっていたが、ここのところその意味をようやく実感するようになった。
最初はふわふわしていた身体の感覚が、日に日に重くなり、現実世界とそう変わらないようになっている。思考回路も以前よりも鮮明に、冴えるようになっていた。
最初はその感覚が少し不安であったが、紫伊那の説明通り、現実世界での生活にはなんの不備もなく、健康面でも睡眠不足や体調不良で悩まされることはなかった。それどころか、精神面では大分支えられていた。
というのも、紫伊那はよくあやめの相談に乗ってくれていたのだ。馴染んできたとはいえ、引っ越して来たばかりで東京とは勝手が違う田舎の常識や、新しい学校での生活に知らず知らずのうちにストレスを貯めていたあやめの愚痴を、紫伊那は根気よく聴いてくれた。 それはもう本当に親身になってくれたのである。
特に、目下のあやめの悩みは、近所付き合いであった。どことなく、あやめの一家に対する近所の視線がよそよそしいのである。
母は持ち前の脳天気さで、少し打ち解けた人も居るようだが、どうにも居心地が悪いというか、腫れ物のように扱われている気がした。都会からやって来たよそ者を警戒しているのだろう。時間が解決してくれるとは思うが、やはり少し気がかりであった。
紫伊那はこういうあやめの悩みに真面目に耳を傾け、一緒に悩んで、時に助言をくれる。それが、そのまま解決へと繋がらなくとも、支えてくれる人が居るというだけであやめの心は救われていた。
蒼ともよく話した。数日に一度ほどは、紫伊那の身体の調子が優れないことがあり、寝込んでしまっていたので、その間は蒼があやめの相手をしてくれた。実質、屋敷のあれこれや、残された農地の管理などは蒼が一手に引き受けているようなので、そんな忙しい蒼に自分の相手までさせるのは気が引けたあやめは、無理して話し相手にならなくていい、と蒼に言った。紫伊那が居ないと、あやめは体感で数時間ほどの時間を持て余すことになるのだが、そんなのは些末なことだし、適当に時間を潰すことだって出来るのだ。
しかし、そんなあやめの申し出に蒼は
「あやめさんのお相手を煩わしいと思ったことなどございません。こんなことを言うと、紫伊那さまには拗ねられてしまうでしょうが....私も、あやめさんにお会いできるのを、毎夜楽しみにしております。こうして、主人を出し抜いてお話する機会を頂くのは、気が引けますが......私にとっても、
とまあ、いけしゃあしゃあとそんなことを言うものだから堪らない。
これにはあやめも熱くなった頬を隠すように俯いて『さいですか......』と言うしかできなかった。
そして、今日も今日とて屋敷で目覚め、紫伊那の部屋に向かう途中、あやめは庭に接する廊下の途中で、視線を感じた。
「あ.......」
庭を挟んだ向こう側の部屋、障子を開けてこちらを見ている少年の姿。
長い黒髪を一つに束ね、じっとこちらを
本当に見目ばかりは蒼にそっくりな少年だったが、あやめに対する態度がまるで180度違う。一体、自分のなにがそんなに気に食わないのか分からないが、とにかくひたすらに嫌われているのだけは分かった。
実を言うと、茜を見たのは今宵だけではない。蒼の話だと、茜は朝から夕方にかけての屋敷を仕切っているらしいが、あやめはたびたび茜の姿を確認していた。
刺すような視線から逃げるようにその場を後にし、紫伊那の部屋に辿りつくと、そこには紫伊那ともう一人、見覚えのない少女が居た。
広い座敷の中央に座る紫伊那は、今宵も上品な
最近気が付いたが、紫伊那はどうやら
対して、下座側でやや緊張した面持ちで
紫伊那はあやめを少女の横に呼び寄せ、座らせると、柔らかい笑みでこう云った。
「あやめ、こちらは今日からうちで働いてもらうことになった、
桐麻と呼ばれた少女は、さっと顔をあげてあやめを見た。次いで、深々と頭を下げる。
「お初にお目にかかります。桐麻と申します。この度は、
折り目正しい簡潔な挨拶に、あやめはしどろもどろになりながらも、少女に顔をあげるように言った。
(女衒......女衒ってなんだっけ)
日本史の先生がさらっと流すように言っていたような気がする。確か、遊郭に女性を売り飛ばす悪徳な商人とかなんとか。誘拐紛いのようなこともするとかなんとか。
「桐麻は、女衒に
「世話係って.....」
紫伊那に悪気はないのだろう。この時代のお金持ちのお嬢さんとかには、そういう専用の召使のような人が付くのは珍しくないのかもしれない。しかし、現代のあやめの価値観でいうと、同年代の少女におさんどんされるのはあまりに情けない。
しかし、当の桐麻は張り切ったような様子で、「精一杯努めさせていただきます」なんて言うものなので、あやめはなんとも言えない気持ちになった。
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