紫伊那の部屋に行くと、蒼の言った通り、紫伊那が焦れた様子で待っていた。


「蒼、あなたまさか、私を差し置いてあやめさんを独り占めするつもり?」


 どうやら、これが彼女の精一杯の嫌味らしかった。育ちが良いせいか、人を罵る言葉などはそもそも語彙に含まれていないようだ。


 蒼は慣れているのか、苦笑して「申し訳ありません」と謝った。

 しかし紫伊那はまだ不機嫌な様子で


「あやめさんがこちらに来ているのは、山路から聞いて分かっていたのよ。蒼が連れて来るって言ったから待っていたのに.....どれだけ待たせたら気が済むのかしら」


 とぶつぶつ文句を言っている。

 すっかりへそを曲げてしまった主に、どうやら蒼は打つ手がないらしく、助けを求めるような目をあやめに向けてくる。いやに純真な、子犬のような顔をするものなので、あやめも我ながら単純だな、と思いつつ紫伊那の機嫌取りに一役買った。


「紫伊那さん、今日は私、面白い話を持ってきたの」


 途端に紫伊那の瞳が輝いた。


「まぁ、なんでしょう。是非お聞きしたいわ」


「私がここに来る前に住んでいた東京という場所は、この国で一番都会で――ええと、今でいう江戸かな。そこで――」







「――それで、結局その友達の勘違いで、ビックフットでもなんでもなくて山小屋の管理人さんだったんだよね」


「まあっ。せっかちな方なのね。でも、私も見てみたいわ、その....びっくふっとさん?」


「UMAっていうのは、まだ空想上の生物みたいなものだから、実在するかどうかは分からないけどね。日本でもあるでしょう、雪男とか、口裂け女とか.........あー、あと座敷童とか?」


 あやめが紫伊那に話したのは、東京に居た頃の学校生活や、昔習っていた習い事、好きなテレビ番組の話など様々だった。二百年のギャップをどのように埋めながら話をするべきか悩んでいたのだが、思いのほか紫伊那は現代の事情に詳しかった。どうやら、これまでの未来人さきびととの交流でかなりの知識を身に着けていたらしい。

 スマホ、テレビ、車、ゲーム、スポーツという単語の意味も理解しているようで、中には随分偏った知識を得ている部分も見受けられた。きっと歴代の未来人さきびとのうちの誰かに吹きこまれたのをそのまま素直に受け取ってしまったのだろう。


「でも、その、『すきー』というものは、どんな板でも滑れるものなの? 庭のけやきとかで作ったら私にも出来るかしら。.......こう、庭に小さな山をつくって.....ああでも蒼に止められるわね」


 残念そうに肩を落とした紫伊那に苦笑する。箱入り娘のわりに、かなり好奇心旺盛な少女だ。あやめのする話に片っ端から興味を持ち、いろんな質問をして、出来そうなものは自分で試したがった。


「特殊な加工をしている板だから、簡単に作れるものじゃないよ。そうでなくても、足が固定できないと危ないし.........そもそもここって雪積もるの?」


「積もるわ。足首あたりまでだけど。冬になったらかき集めて、小さな山をつくるくらい出来るんじゃないかしら」


 手を使って紫伊那は山を表現した。

 終始一貫して上品な話し方を保ってはいるが、彼女なりにはしゃいでいるのがよく分かる。身振り手振りを使って話したり、時折身体を揺らして笑う、子供のような姿が可愛らしかった。

 それに、紫伊那は恐ろしく賢い。江戸時代からすれば荒唐無稽な現代の話にも、直ちに理解を示してついてくる。興味を持って質問する内容もかなり的を射ていた。


「じゃあ、ソリならなんとかなりそう。こう、座布団みたいなのに座って上から滑るの。それならあんまり危なくないし、身体に負担もかからないんじゃないかな」


「まあ、素敵ね。是非やってみたいわ」


 あやめの提案に紫依那が嬉しそうに笑う。しかし、すぐに何かを思い出したように顔を伏せてしまった。


「.......でも、きっと冬までにあやめさんは居なくなってしまうわね...」


「え?」


 紫伊那の言葉にあやめはハッとした。そうだ。これまでの未来人さきびとたちは皆、数か月でここを去っている。


「大丈夫だよ」


 言いながら、あやめは紫伊那の手をとった。少女の手は白雪を思わせるほどに白く、まさに手弱女たおやめと形容するに相応しい細さだ。

 指先からも藤の甘い芳香がしている。

 紫伊那はこの頼りない身体でずっと、あやめには想像も出来ないような大きなものを背負ってきたのだろう。


「私はずっと居るよ」


 紫伊那の瞳が揺れるのが見えた。

 それから、弱弱しい力であやめの手を握り返す。


「あやめさん、私にたくさん気を使って下さってるでしょう」


「え」


「―――私を、憐れんでいるのね」


 あやめはドキリとした。握られた手が一気に強張る。

 しんと静まった空気が、途端に胸に迫ってきた。

 紫伊那を哀れに思い、情をかけていたのは確かだ。しかし、それが彼女の誇りを傷つけているということに、今更思い至ったのだ。

 しかし、引きかけたあやめの手を留めたのは紫伊那だった。


「勘違いなさらないで。感謝こそすれ、私があやめさんに良くない感情を向けることなんてありません。そもそも、自分の境遇をひけらかして情けを乞うたのは私のほうです。.....貴女の態度や言葉の端々から、私や、蒼のことまでを気遣ってくださるのが分かる」


 紫伊那は繊美な微笑みを浮かべて、視線を手からあやめに移した。


「現代でなにか....藤間家このいえのことをお調べになった?」


 再度、胸を突かれたような思いがした。

 あやめの表情を見ても、紫伊那は微笑みを湛えたままだった。


「あやめさんはとても聡い方なのでしょうね。これまでも、私を気遣ってくれた方はたくさんいたけれど、そんな目で見てくる人は居なかった....」


 そんな目、と言われてもあやめは自分がどんな目をしているか分からなかった。


「この家の行く末が陰っていることぐらい、いくら世間知らずの私にも理解できます。というよりも、とうに瓦解は始まっているし、既に藤間は零落れいらくしている。残っているのは塵芥ちりあくたのようなものです。財も人も無く、大地は枯れた。そうでなくとも、私の母方の一族は特別な力を持っていた代わりに、皆、命を燃やすのが早かったのです。私の母も生まれた時から病弱で、私を産み落とすと同時に力尽きました。私も........そう長くは生きられないでしょう」


 あやめはなんと言葉をかけて良いか分からなかった。

 あやめは偶然にも藤間家の土地の数奇な変遷を知ってしまい、疑念を持った。同時期に森山のお爺さんの奇行もあって、ネットの情報を頼りにしながら藤間家の行く末について一つの仮説を立てていた。

 

藤間家は今、凋落ちょうらくの最中にあるのだろう。1837年の段階でこの家はまだ健在していた。この夢の時系列が具体的に何年というのは正確に把握していないが、天保の飢饉が起きた時期と照らし合わせて考えると、1833年(天保4年)から1839年(天保10年)あたりに目星をつけることが出来る。公民館で土地の変遷を見た時、1845年の時点では既に藤間の屋敷は存在せず、広く治められていた私有地は縮小し、その土地名義は『西』という家のものになっていた。つまり、近い将来完全に藤間家は無くなるのだ。

あやめは、森山さんがかつてあった藤間家の土地に執着しているのは、藤間家にゆかりのある人間だったからではないかと思っている。更地にしておく理由はどんなに頭を捻っても分からなかったが、それも恐らく、本人に直接問えば答えてくれるような気がしていた。それでもそうしないのは、この藤間家が滅んでいく話を聞くのが嫌だったからだ。

知ってしまえば、もう普通に接することが出来ないような気がしていた。

だから、森山さんの視線も全て無視して、あくまで何も知らない無邪気な人間を装っていたつもりだったのだが、紫伊那には見通されていたらしかった。

しかも、図らずとも彼女の短命を知ってしまい、あやめは益々情けなくなった。紫伊那が気を使ってそう言ったことが分かったからだ。

 項垂れるあやめを見て、紫伊那は労わるように微笑んだ。


「どうか、そんな風にご自分を責めないで。私は自分の短命をずっと知っていましたし、その運命さだめを受け止めています。それでも、自分を哀れだと思ったことはないのよ。両親は早くに死んでしまったけど、蒼と茜はずっと私の傍に居てくれたし、今は少し変わってしまったけれど.....優しいおじい様も居た。こんな身体なのにちゃんとした家に嫁ぐことも出来た。屋敷の人たちも良くしてくれたし.......本当に不幸だったことなんて一度もないの。それに、こうしてあやめさんのような素敵なお友達もいるわ。ずっとずっと楽しいことばかり。嬉しいことばかり。ね? 本当に恵まれているでしょう?」


紫伊那の言葉は、蒼から聴いていた悲壮な境遇とは全く違うものだった。もしかしたら、蒼の視線からでは紫伊那が必要異常に憐れに見えていたのかもしれないが、それを抜きにしても彼女が強がっているのは分かった。

やはり、蒼同様、この少女もまた、しなやかな強さを持っている。

白百合の花言葉は、『純潔』『威厳』。

紫伊那は、慄然とするほどの美しさで咲く白百合だった。


「それに、それにね。おかしな事と思われるかもしれないけど、私、あやめさんを一目見て好きになってしまったのよ」


 紫伊那が悪戯っ子のように上目遣いで言うものだから、あやめも泣きそうだった顔を緩めて笑った。


「名前が菖蒲あやめだから?」


「あら、いじわる仰るのね。名前だけで好きになったんじゃありません」


 二人で顔を合わせてクスクスと笑い合った。この時、あやめは紫伊那と本当に友人になれた気がした。


「ねえ、あやめさん.....あやめって呼んでもよろしいかしら」


 紫伊那がしずしずと問う。少しばかり緊張した様子に、あやめが笑った。


「もちろん。私も紫依那って呼んでいい?」


「もちろん! そうしてくださったら嬉しい。ねえ、あやめさん.........あやめ、私とこれからもずっとお友達でいてくださる?」


 紫伊那があやめの手を握り返す。あやめは笑顔で頷いた。


「うん。よろしくね、紫伊那」


「ああ、ありがとう。約束よ、あやめ」


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