藤屋敷の謎

 四月半ば。強い春風によって桜の花は散り切ってしまい、ようやく入学シーズンの騒々しさも落ち着いてきた頃だった。


 あやめは恵茉たちに誘われて、展示準備中の公民館に居た。当初はここまで首を突っ込む予定ではなかったのだが、部活にも無所属で、特にバイトもしておらず、週末を持て余していたあやめに恵茉と棗が声をかけてくれたので、あやめは二つ返事で頷いた。


 公民館は高校の最寄り駅から徒歩三分ほどの場所にある。市役所と隣接していて、コンクリート調の無機質な二階建ての建造物であった。


 現在、あやめは公民館の休憩室で昼食を食べているところだ。コンビニで買ったサンドウィッチを頬張りながら弄るスマホに表示されている時刻は一時二十分。先ほどまでは恵茉も棗も他の男子も一緒にいたのだが、各々呼び出されて出て行ってしまい、暫しあやめ一人の時間になった。


 サンドウィッチを緑茶で流し込み、一息ついたあやめは、なんとなく休憩室を見渡して、本棚に目を止めた。地元の図書館なんかでも見るような、その地域の歴史や地理、土着の神話や民族史、対戦時の資料や地元の広報誌など、幅広い種類の地域資料が整然と並べられていた。

 あやめはふと気になってそのうちの一冊を手に取る。

 あやめの手のひらを軽く超えるような、恐ろしく分厚い冊子だった。机に置いて開いてみると、どうやら中は地図になっているらしく、古いものから比較的新しい年代の地理を、透明なクリアファイルに入れて保護している。地域、年代ごとにかなり遡って古い時代の地図を参照することが出来るらしい。古い地図のほうはところどころ破れたり、継ぎ接ぎのように修正されていたり、赤いペンで書き込みがなされたりしていた。誰かが定期的に手入れをしているのだろう。あやめはペラペラと地図を捲りながら、現在、自分の住んでいる地域の住所を探した。


「あった.....」


 中盤を過ぎたあたりであやめは手を止めた。表記してある住所を見ても間違いない。うちの家のあたりだ。右上に2015年と書いてあるので、この地図がつくられたのは七年前らしい。

 七年前の地図には、現在、あやめの家が建っている場所には、『竹原』と表記されている。ぱっと見た感じ、敷地面積は変わっていない。母の話から察するに、前の前のオーナーの名前が『竹原』なのだろう。ちなみに、あやめの父にあの家を売った前オーナーの名は確か、『茅場かやば』であったはずだ。

 

もう一ページ捲ると、やや年代を遡って2001年になっている。あやめは地図を見て「え?」と声を上げた。


 あやめの住んでいる場所にはなにも建物は建っていない。それどころか、周辺地域一体に建っている家は一つだけであった。


 唯一建っている家には『森山』と表記されている。今、森山さんが住んでいる場所よりもかなり西寄り.........あやめの家の反対側に建っていた。


「んん?……ああ、この辺全部が森山さんの土地なのね」


 家が建っていない地域はどうやら、森山さんが所有している土地のようだった。母の言っていた通り、森山さんは二十年程前はあの地域周辺の土地の所有者だったのだ。

 しかし、これほど広い土地を持っていながら、貸し出すわけでも家を建てるわけでもなく、なぜこのままの状態にしていたのだろう。土地関連の法律に詳しいわけではないが、更地のまま放置することにデメリットはあってもメリットは然程なかったような気がする。固定資産税とかどうなっているのだろう。

 建築法とかに違反する土地だったのだろうか? 


「宅地でないとか..... 土壌に問題があるとか....?」


いや、そうしたら何故、今は普通にいくつも家が建っているのだ。

もしかしたら、年月が経つにつれて地形も変わって.....あるいは、整備などをして、それで現在になってようやく建てられるようになったのかもしれない。

 そこまで考えて、あやめはいやいや、と首を振った。母の話が本当であれば、森山さんのお爺さんはこの土地を売ったり貸したりすることを嫌がっていたのだ。そこを息子が勝手に売りに出して他人に渡ってしまったという話だったはず。


 (ん、でもそれもおかしいような)


 いくら親子であっても、他人の名義の土地を勝手に売却することなんて不可能ではないのか。つまり、土地はすでにお爺さんから息子に相続済みだったということだ。すでに息子のもとになっていたというのに、その土地の使い方には口を出し続けていた、という話になる。


 あやめは気になって、更にページを捲った。今度は更に二十年遡って1982年。あやめの家周辺の民家は今よりもずっとまばらに散見していた。この時代では、森山家は2001年と変わらない場所に建ち、森山の土地は更地のままである。森山さんのお爺さんはこの時、30歳くらいのはずだ。となると、この時はまだあのお爺さんのお父さんが土地の管理をしていたかもしれない。だとすると親子二代にわたって更地を維持し続けていることになる。

 あやめは更に何ページも捲り古地図を見た。驚くことにこの地図、昭和、大正、明治を遡り、江戸時代までの地図が載っている。もちろん、ところどころ年代が飛んでいたり、かすれや汚れ、破れていて読み取れない部分は多かったものの、おおよその概要は知ることが出来た。


 そして、江戸時代後期まで遡り、あやめは驚きの事実に気が付いて手を止める。


 なんとこの森山の土地、江戸からずっと大部分は更地のまま維持されていたようだ。周辺地域が時代によって見る見る間に様相を変えているというのに、森山家が管理するこの土地だけは頑なに更地のままである。否、正確にはこの時代は森山という名義ではない。昭和から江戸までの間に名前は五度変わっていて、この時は西にしという名になっている。土地の大きさも多少の変動は起こっており、時折、小さな建物が建っていたりはしたが、ほとんどはやはり更地のままにしてある。そして、この土地の周辺は広大な農地になっているようだった。


 あやめはいよいよ眉間の皺を濃くした。

 これは、さすがに妙だ。

 『更地にしておきたい』というよりも、『更地にしなければならない』という強い意志を感じられる。


 そして更にページを捲ると、また少し年代が飛んだ。透明なクリアファイルで保護されている染みっぽい古紙には付箋がしてあり、そこに1837年と書かれている。今から約二百年前、江戸後期、天保てんぽうである。

 

 この年代になって初めて、なにもない更地に変化があった。

 更地となっていた部分に大きなお屋敷が建っている。どうやら母屋や離れまでついているようで、庭を含めた広さにいたっては、更地であった部分を軽くはみ出していた。屋敷の周辺は広く田畑となっていて、もしかしたらこの藤間家の所有なのかもしれない。


 この家だ、とあやめは思った。

 200年間、この家の土地を代々、更地にして置いたのだ。

 家名は『藤間』《とうま》。この藤間家の土地を、森山さんは取り返したいのだ。


 「あれ.....?」


 クリアファイルの上に貼られている付箋のせいで見えなかったが、下の古紙にはなにか文字が書かれているようだった。

 捲ってみて、あやめはそこに書いてある文字を呼んで首を傾げた。


 『イミチ』


 イミチ? 聞きなれない言葉である。古い単語だろうか。

 人の名前か、土地の名前か......はたまた動物か?


「イタチ的な......」


 呟きながらもう一枚ページを捲ると、隣の区域の2005年の地図が出てきた。どうやらあやめの住んでいる地域の地理はこれ以上遡れないらしい。


 「あれ、あやめちゃん、なに見てるの」


 部屋に入ってきたのは棗だった。不思議そうに地図を覗き込む。


「いや、暇だったから、うちが建ってるあたりをいろいろ調べてて」


 あやめは言いながら数ページ戻して2005年の地図を棗に見せた。


「あ、そっか。あやめちゃん引っ越してきたばかりだもんね」


「うん。この家が、今うちになってるんだけどね。この一軒家」


「へえ、いいな。うちマンションだから一軒家羨ましーー......ってあれ。ねえ、この家....」


 棗がなにか言いかけた時だった。美術部の顧問が休憩室に入って来て二人に呼びかける。


「あ、いたいた。和知わち首藤しゅとうさん。ちょっとこっち人手足りないから手伝ってーー」


「あ、はい」


 あやめは慌てて地図を元の場所に戻して、棗とともに休憩室を出た。棗が何かを言いかけていたことは、慌ただしく準備をしているうちにすっかり忘れてしまった。


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