四
放課後、部活へ向かった恵茉と別れ、あやめは一人で帰路についていた。今朝方、曇っていたこともあり、油断して日焼け止めを塗り忘れたせいで、街路樹の木陰を選んで歩く羽目になる。
アスファルトですら意に介さず生えている菜の花の逞しさよ。現代人は雑草から生き方を学ぶべきかもしれない。
大通りに出るとそれなりに人通りがあった。田舎とはいえ、この辺りは非常に便利が良い。あやめが以前に住んでいたのは、東京であったが23区外で、周辺は一体が全て住宅地であり、しかも山を切り開いて作られた街だったので、坂道が多く徒歩での移動が大変であった。コンビニ、スーパーなどは十分圏内にあったものの、そこに行くまでにラスボス級の坂を登って行かなくてはならない。今思えば、30m平らな道すら無かったのではないだろうか。
対して、このあたりは海岸を埋め立ててできた街らしく、100m先も平坦な道が続く。高い建物がないので、見通しも良く、十分も行けば正面に太平洋の水平線が現れた。肌を撫でる潮風も冷たくて心地いいし、自転車で通ればさぞ気持ちがいいだろう。加えて、コンビニもスーパーも本屋もDVDレンタルショップもレストランもカラオケも新しい家から歩いて5分圏内にある。流石に、流行りのカフェや服を買いに行くには大きな駅まで行かなければならないが、今のところは不便を感じたことはなかった。
というより、今時スマホ1台あれば大抵の暇は潰せるし、あやめ自身そこまでアクティブな方ではなかったので、田舎暮らしにもさほどの抵抗はなかった。
家路までの道をショートカットしようと、この前恵茉に教えてもらった角を曲がる。その時、曲がり角の向こうから突っ込んできたなにかと衝突した。
「うわっ」
「あ!」
上ずった声をあげて、離れたあやめは、反射で「すみません」と謝った。しかし、相手の方は「ああーー」と何やら物悲しげな声を出して肩を落としている。
中学生くらいだろうか。あやめより頭半個分ほど低い背丈に、軽い癖毛で制服を着た男の子が、アイスのコーンだけを片手に持って、少し恨みがましいような目であやめを見ている。少年の足元には、べちゃりと落ちたアイスクリームが無残にもアスファルトに焼かれていた。
それを見て、全ての状況を察したあやめは、ため息をついた。
まるで少女漫画のように、曲がり角で運命的な衝突をした中学生にアイスをたかられてるこの現状に、やや笑えてきた。そもそも突っ込んでいたのは向こうであって、あやめの方には非がないというのに、何故か恨みがましい目を向けられて、お亡くなりになったアイスを弁償する羽目になった。解せない。
それでも、幸せそうにアイスを頬張る少年を見ると、まあいいかと思えてくる。たかだか百円ちょっとのことだし。
話を聞くと、少年はやはり地元の中学生らしかった。学校帰りに友人の家に寄って、そこで貰ったアイスを片手に帰宅していたところで、私と衝突したらしい。なぜ、アイスを持ったまま走っていたのかは謎である。
ガラガラのコンビニの駐車場の縁石に腰掛けて、あやめは正面の小さな川に目を向けた。白鷺がいるのだ。なんとなく茶色いフィルターがかかっているような田舎の風景の中で、白鷺の白雪のような肢体は発光しているかのように眩しい。あやめはスマホのカメラをズームにして写真を撮った。この辺りでは珍しくないことだろうが、あやめの目には新鮮に映った。
「おねーさんさ、高校生だよね?」
不意に少年に尋ねられ、あやめは内心ちょっとびくついてから、「そうだよ」と答えた。少年は「ふうん」とアイスを舐めてから、あやめの顔を覗き込んだ。
「転校生?」
「え?」
驚いて顔を上げると、少年は悪戯っ子のような笑みを浮かべている。
「なんか、そんな顔してるから」
「ど、どんな顔……」
転校生っぽい顔とは。
きっと偶然当たっただけだろうが、あやめは少年の言葉にかなり動揺していた。少年はそんなあやめの動揺を知ってか知らずか、そのまま話を続ける。
「俺も、おねーさんと同じ高校受けようと思ってるんだ」
「へえ。受験生なの?」
「いや、今まだ二年」
「えー、じゃあ今からもう受験のこと考えてるんだ。偉いね」
と言いつつ、あやめも二年の頃にはそれなりに受験を意識していたなあ、と思い出す。まあ、結局推薦でヌルッと入ってしまったし、最終的には転校したわけだが。
「うん。好きな人がいるからね」
思わぬ言葉にあやめは少年の方を振り向いた。まさかの角度で恋バナに突入してしまったらしい。それも、初対面の中学生だ。
「へ、へえ。年上の彼女?」
「いや。付き合ってないし、俺の片思いだけど」
「それは.....」
ちょっとリスキーなんじゃないか? とあやめは思った。
もちろん、進学先を選ぶ理由なんて人それぞれだし、自由だ。なにも全て将来のことを考えて選ぶ必要なんてないし、そこまで真面目に考えている中学生のほうが、少ないかもしれない。家から近い、友達や恋人と同じだから、自分にあったレベルだから、制服が可愛いから、とかそんな理由で進学先を決めたって、別にいいと思う。
ただ、付き合ってもいない、ということは振られる可能性があるわけで、そんな感じで高校を決めたら、もし振られたときに後悔するに決まっている。
そうは思っても、今日出会ったばかりの他人が言うようなことではないだろうと、あやめは言いかけた口をつぐんだ。
「上手くいくといいね」
結局出てきたのはそんな当たり障りない言葉だったが、少年はあやめの方を見て少し挑発的な笑みを浮かべた。
「それは、受験が? それとも告白が?」
「えっと....両方?」
あやめが言うと、少年は「ふうん」と良くわからない返事をした。
いつの間に食べ終えたのか、アイスのゴミを丸めてビニールに突っ込んだ少年は、鞄を肩に掛けなおしている。それから、「ごちそうさま」とだけ言うと、そそくさとあやめに背を向けた。あやめはまだ少し呆気に取られた様子で「あ、うん...」とだけ言った。なんだか、終始少年のペースで話が進んでいた気がする。
しかし、少し歩いたところで、少年は立ち止まって振り返った。
「約束」
「え?」
「約束、思い出した?」
「は?」
言い直されたが、意味が分からない。約束? なんのことだ?
目の前の少年とは先ほど出会ったばかりだし、この十分くらいでなにかを約束した覚えはない。誰かと勘違いしているのだろうか。
困惑しているあやめを見て、少年のほうも少し困ったような顔になった。
「あーこれは.....まだかな」
まだ? まだとはなんのことだろう。怪訝な思いであやめは少年に問う。
「あの、ごめんなんのことか分からないんだけど。私と君、さっき会ったばっかりだよね」
「......あぁいや。ていうかまだ会ってもないんだ、多分」
「はぁ?」
もう全然会話にならない。言ってることが意味不明というか、あやめの言葉を完全に無視してるように聞こえる。会話のキャッチボールが出来ない。
いや待てよ? ひょっとしててさっきからずっと一人で喋っていることになっているのだろうか? お互い独り言言い合ってただけみたいな。なにそれ痛い。
「まあいいや。またね、あやめ」
「あ、はい。....え............え、え?」
今度こそ背を向けて、少年は歩き出した。あやめは座ったまま硬直して少年を見送った。その後ろ姿を眺めながらあやめは、なんだか小さな嵐のような子だな、と思った。
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