三
「ヒヨクちゃん!!」
跳ね起きたのは自宅のベッドの上だった。家で一番日当たりのいい部屋を与えられたので、カーテンをしていても、窓の外からでも朝日の元気さが伺える。
思考がショートを起こして数秒固まったあやめだったが、己の痴態に気が付き、アラームが鳴り出すとともにうめき声を上げて再びベッドに沈み込んだ。
「ていう夢をみたの」
「はぁーー、和装の美少年の夢なんて最高だよ.....。縁起いいし、ご利益ありそう」
「ええ.....?」
四限目が終わり、教室にはまばらに人がいる。どちらかといえば廊下のほうが騒がしいのは、目立つ連中がクラスの外でじゃれ合っているせいだ。
昼休みに入ってすぐ、後ろの席の
「私なんて、世界滅亡系の夢しか見ないよ」
「なにそれ物騒」
「ハルマゲドンとか、噴火とか、大地震とか、宇宙人侵略とか、バイオハザードとか、とにかくそんな感じで人類は滅亡に追い込まれるの。そして、世界最後の希望、唯一の生き残りが私」
「主人公だね」
「そうそう。人類も気の毒にね。よりによって最後に生き残ったのが、ただの女子高生だもの。アーメン」
「諦めないで」
恵茉はあやめが転校して真っ先に声をかけてくれた子だ。
くりりとした女の子らしい大きな瞳に、桃色のチークがよく映える柔らかそうな頬。茶色の猫毛をショートボブにして内巻きに巻いて、スカートは二回折るのがこだわりの、とても人懐っこい少女だった。
恵茉の存在に、あやめはとても助けられた。転校する前の学校の友人とは、SNSで繋がれるし、ちゃんと会おうと思えば会いに行けることが出来るので、それほど寂しいとは思わなかった。しかし、新しい学校での身の振り方に全く不安が無かったわけではない。
自己紹介後、緊張した面持ちのあやめに、『次、移動教室だからいっしょに行こう』と笑いかけてくれた恵茉の一言に救われた。以来、恵茉の交友関係も手伝って、あやめには少しずつ友人が増え始めたのだった。
あやめは、廊下で騒いでいる男子をぼうっと見つめながら、「でもさ」と口を開く。
「なんか妙にリアルな夢だったんだよね」
「おー、なんか始まりそうなセリフだね」
「........? どういうこと?」
あやめが目をしばたかせると、恵茉は蠱惑的に口角を釣り上げた。
「不思議な夢を見た少女。夢で出会った美少年に惹かれるも、寸でのところで目が覚めて......『妙にリアルな夢だったなぁ』とぼやく.....。なんて、小説のプロローグみたい」
恵茉のどこか即物的な物言いに、あやめもふっと噴き出した。
「確かに」
「フラグがもう立ってるはずだから、セオリー通りなら、この後あやめちゃんは夢の美少年と恋が始まるはずだよ」
「わー素敵」
乾いた声で返事をしたあやめに、恵茉がつまらなそうに口を尖らせた。
「あやめちゃん可愛いのに、あんまり男子に興味なさそうだよねえ」
「可愛い? 私が ?」
どちらかといえば、かなり可愛げのない部類だと自覚している。基本的に気が強いし、物怖じしない性格は当人にとって都合がいいが、周囲から見て必ずしも好まれるとは限らないことを知っている。一般的に『可愛い』と言われる性格からは遠い場所にあるのではないだろうか。
あやめは頑固だし、加えてこれは両親の影響であるが、かなりマイペースな部分もあった。こうして集団生活をしている間は、周囲に溶け込むという努力をするが、ときどき面倒くさくなることがあり、そういう時は本当に投げ出してしまうのである。
特に、恋愛云々に関しては今までの人生で全くの無縁であった。そのことに対して、特に危機感を覚えた事もなかったし、自分の性格はこのままでもいいと思っている。これは、諦めとか開き直りとかでもなく、納得して受け入れている自身の
「可愛いよ、あやめちゃん」
「それは、顔? 性格?」
どっちも無いな、と思いつつも会話を繋げようとあやめは恵茉に問い返した。恵茉には悪いが、女の子同士のこういう会話って不毛だと思う。
女の子の『可愛いよ』に対して『可愛くないよ』という返答は最悪解だ。
何故なら、次に来るのは『えー可愛いよー』『いやいや、私なんてブスだし全然可愛くないよ。〇〇ちゃんのほうが百億倍可愛いよ』『そんなことないよ!〇〇ちゃんのほうが......』という具合に永遠に続くからだ。このうすら寒い会話を聞かされる第三者の身にもなってほしい。小中学生ならまだしも、高校生でこの会話は救いようがない。
それでも、恵茉はどこか楽しそうに笑って言う。
「えー、雰囲気かな」
「雰囲気?」
恵茉の言葉に、あやめはますます意味が分からないと眉をひそめた。
「パッと見はなんか、強そうな感じがするの。ああ、強いっていうのは、別にいかついとかじゃなくて、意志が強そうとか、芯を持ってそうな感じね。実際、あやめちゃんはそうなんだろうし」
恵茉はお弁当箱の中のミニトマトを箸でつついて遊びながら話している。
教室の喧噪は先ほどよりも大きくなっていた。休み時間も終盤に迫り、人が少しずつクラスに戻ってきているのだった。
俯いた恵茉の、耳にかけた髪がさらさらと落ちた。脱色しているのだろう。窓から差し込む光にあたると、ところどころ金色にも見える。
いかにもゆるふわ系の雰囲気を纏っているのに、恵茉はときどきぞっとするほど大人びて見えた。彼女のくりくりとした目には、不思議な婀娜っぽさを感じることがあった。
「でもね、どっか脆そうな感じもあるの。危うい感じ。変に人の事情に吞まれすぎて、余計なことに首突っ込んで、無茶して、身を滅ぼしそうな感じ」
「....どういうこと?」
急に、全く別の次元の話が始まったような気がして、あやめは困惑した。
恵茉の視線は、あやめを向かない。彼女が何を考えて、急にそんなことを言い出したのか、あやめには検討もつかなかった。
先ほどよりも少しだけ、周囲の空気が冷えたような気がする。あやめは、恵茉の言葉を逃してはならないように思えた。恵茉はそんなあやめを一瞥もしないまま、ミニトマトをお弁当箱の端に追いやって「私ね」と呟く。
「あやめちゃんが、あんまり優しい人じゃなければいいな、って思うの」
ここでようやく顔をあげて、あやめを見た恵茉は、あやめの当惑顔を見てくすりと笑った。
「あやめちゃんなんか危なっかしい感じするから。そういうとこ可愛いけど、やっぱり心配。だから、あんまお人よしとかじゃなければいいなーって思って」
最後まで聞くと、ますます困惑した。恵茉とあやめはまだ出会って一週間くらいしか経っていないのに、まるでずっと昔からの友人に伝えるような言葉に聞こえた。
そう恵茉に伝えると、今度は恵茉がきょとんとしてから、困り顔になった。
「....ほんとだ。何言ってんだろ私。いやでもなんか、そんな直感みたいなのがあったんだよね」
「直感」
「そう。うん、まぁ、あんま深く考えないで」
そう言ってから、恵茉はふとなにかを思いついて「あのさ」とスマホを手に取った。
「話変わるけどさ.......こういうのが来月あるんだけど、一緒にいかない?」
あやめがスマホの画面を覗き込むとそこには、『激辛フェスタ』という広告が貼ってあった。『辛い物好き集まれ!』という太字の惹句の下に、痛々しい程の真っ赤に染まったスープやらパスタやらの写真が貼ってある。正直あまり美味しそうには見えない。
ちらりと日付を確認すると来月半ばから週末を含んだ三日間になっていた。行こうと思えば、まあ行ける。行ける、けど。
あやめの微妙な心情が顔に出ていたんだろう。恵茉はくすくす笑って頭の後ろを掻いた。
「いやぁ、みんな同じ顔するんだよねえ。スイーツフェスとかだったら喜んで来てくれるんだけど、激辛はハードル高いか」
「ええと、好きなの? 激辛」
あやめは意外......と言おうと思ったが、やめた。恵茉のギャップにはこの一週間で何度も驚かされている。可愛らしい容姿に対して、なかなか強気な趣味を持っている子だった。
「甘いのも、嫌いじゃないけど、定期的に食べたくなるんだよね。次の日だいたいお腹壊すけど」
「それ、大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫。それでさ、どうかな? 多分、あやめちゃんでも食べれるのあるよ。そこまで辛くないやつ。いや、無理にとは言わないけど」
そうは言うが、よっぽど行きたいのだろう。いつも余裕ありげな恵茉が前のめりに、瞳は期待に輝いている。その顔が珍しくて、可愛く思えてあやめは笑った。
「いいよ、行こう。ちょうどテスト終わったころだし」
あやめが言うと、恵茉はぱっと破顔した。
「ほんと! やったーーー嬉しい!」
じゃあ約束ね。そう言って恵茉は嬉しそうに小指を差し出した。
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