40.ビーチの約束。

「か、風間さん」


 学校の廊下で話し掛けられた同級生の新田にったあらしの姿を見て、風間かざま玲子れいこはため息をついた。

 ファミレスで一時的な恋人になった拓也に怒鳴られて以来、全く話すことの無かったふたり。ようやく冷静さを取り戻した嵐は、目の前に現れた玲子に笑顔で声を掛けた。



「何かしら」


 同じく冷静な玲子の冷たい視線が嵐に向けられる。おどおどしながら嵐が言う。



「い、いや、その、前のこと、謝ろうと思って……」


「別にいいわ。じゃあ」


「あ……」


 玲子は全く興味を示すこともなく嵐の前から立ち去る。ひとり残される嵐。周りからは美少女に声を掛け相手にされなかった嵐に失笑にも哀れみにも似た視線が向けられる。

 しかし嵐はそんなことも気にせずにひとり思う。



(やっぱり君は僕が必要なんだよね、風間さん。そしてそれは僕も同じ……)


 新田嵐は廊下を歩いて行く玲子の可憐なポニーテール舌を舐めながら見つめた。




「はあ……」


 玲子はひとり学校から家へ向かいながら再び溜息をついた。

 想いを寄せていた幼馴染に嫌われていると思い込み、勉強に、スポーツに無心に励んできた中学時代。偶然の再会で思い切って尋ねてみたらそれは間違いだったことは分かったが、やはりにまだ離れたまま。


 ぼうっと学校の帰り道を歩く玲子の耳に、その子供達の会話が入って来た。



「私、大きくなったらお嫁さんになってあげるよ」


「い、いいよ。そんなの」


 振り向く玲子。

 そこには小学生ぐらいの男の子と女の子が一緒に歩いている。仲がいいのか、歩く歩幅は一緒。そして嬉しそうな顔で話す女の子。



「お嫁さん……」


 玲子は立ち止まり、そしてふたりで歩いて行く小学生の子供達を見つめた。


(そうだ、私、子供の頃誓ったんだ、の可愛いお嫁さんになるって……)



 玲子はそのまま笑顔になってマンションへと急ぐ。そして郵便受けに入っていた自分宛ての荷物を持って部屋へと急ぐ。



(来た。私の水着)


 玲子は袋を開け、真っ白なビキニを取り出し見つめる。そして制服を脱ぎ、無言で中に入っていた白いビキニをつける。



「私は、可愛いお嫁さんになるの……」


 玲子は鏡に映った真っ白なビキニを着た自分を見つめる。そして小さな声で言った。



「返して貰わなきゃ。私の奪われた時間。あなたと過ごすはずだった大切な時間を」


 玲子はひとり笑顔で言った。






「うわー、気持ちいいねえ!! 木下君っ!!」


 土曜日の朝、まだ人の少ないビーチにやって来た拓也と美穂。夏のシーズンになればたくさんの人で埋め尽くされるこの場所も、晩春のこの時期に訪れる人はまだ少ない。



(日差しは温かい程度……、良かった。人も少ないし)


 陰キャにとって最も相容れない場所のひとつであるビーチが、想像以上に穏やかであることに拓也は安堵した。

 彼らにとって夏のビーチとは、強い日差しに体が溶け、たくさんのビキニに目のやり場に困り、そして目に映る全員が陽キャに見える忌むべき場所。

 子供の頃、家族で泳ぎに来たのを辛うじて覚えている程度だ。



「うひゃー、気持ちいいっ!! 木下君、海のとこ行こ、海のとこ!!」


 美穂はそう言うと履いていたサンダルを手に持ち、ひとり砂浜を海の方へと走って行く。天気は快晴。抜けるような青空の下、無邪気にビーチを走る美少女はとても絵になる。

 拓也は真っ青な空と海を見つめ、ここ最近ずっと感じていたもやもやが少しだけ晴れた気がした。



「おーい、そこ!! 何やってる!!」


 水際まで来た美穂が、未だビーチの入り口に立っている拓也に手を振りながら叫ぶ。

 一瞬、そんな美穂に見惚れていた拓也も慌てて靴を脱いで後を追う。



「きゃっ、冷たいね! 水っ」


 美穂は手にサンダルを持ちながら少しだけ海に入る。本当に絵になる美少女とビーチ。拓也は今この場所に自分が一緒に居ていいのだろうかと何度も思う。

 笑顔で水と戯れる美少女陽キャ。その対処について、何をどう振る舞えばいいのか答えが見つからない。



「木下君も入りなよ。気持ちいいよ!」


「あ、ああ……」


 そんな心配とは別に、高レベル陽キャの美穂は拓也が深く考える前に、すべき行動をさり気なく導いてくれる。



「あ、冷たい……」


 足に打ち寄せる透明な水。まだ晩春なので当然海水は冷たい。



(海の水ってこんなに冷たかったのか。砂の感触が足に、なんかくすぐったい)


 ラノベやアニメ、映画などで何度も見た海。水が冷たい、砂に感触がある事など頭で分かっていたのだが、こうして改めて体感するとその本物さに驚く。

 拓也が海の感触を味わっていると、美穂はすっと隣に来て言った。




「私ね、家族で海に来た思い出ってほとんどないんだ」


「涼風さん……?」


 潮風に吹かれる美穂の髪。そこにはいつもの笑顔とはまた違った微笑みがある。



「両親が仲が悪くってね、家族で海に来て遊んだことほとんどないの」


 黙って聞く拓也。


「小さーい頃にもしかして来たかも知れないんだけど、覚えてなくって。今ではどうかな、やっぱり難しいかな」


 美穂はそう言って足に当たった波を軽く弾くように足を上げる。



「だからね、将来もし結婚して、子供ができたらね、毎年海に来たいの。毎年」


「う、うん」


 拓也はドキドキしながら自分の足に当たる波を見ながら小さく答える。美穂は後ろに手を組み、拓也を下から覗き込むように言う。



「その前に、夏の海。また来ようね!」


「え、あ、ああ……」


 そんな話をされたら約束とは言え断る訳にはいかない。ただ陰キャにとって夏のビーチは地獄にも匹敵する場所。

 心身を溶かす強烈な日差し。目が合っただけでイチャモンを付けられそうな日焼けした金髪の若者。ビーチに大音量で流れるうるさいだけの音楽。空調の効いた部屋でアニメやスマホゲームをしていた方が、どれだけ幸せか。



「ん? どうしたの?」


 じっと自分を見ていた拓也に気付き美穂が言う。



「え、あ、ああ。何でもない。夏、楽しみだね」


「うん!」


 そうは思いつつも目の前のこの美少女、なぜかちょっと触れただけで崩れてしまいそうな女の子を決して悲しませてはいけないとも思う。



(ただ……)


 拓也は服の上から自分の脇腹をつまむ。


(この肉、どうかしなきゃな……)


 夏までもうしばらく時間はある。読モもやっている美穂に恥をかかせない為にも、明日からジョギングでもするかと拓也はひとり思った。

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