36.『私』命令

『ねえ、木下君。もういい加減、教室でもゲームの話解禁にしようよ』


『ダメ』


『えー、いいじゃん。大丈夫だよ』


『ダメ』


 休憩時間、拓也は美穂から送られてくる『デスコ』のメッセージに答えていた。

 学年が変わり、クラスが変わりもう同じクラスでも、席が隣同士でもなくなったふたり。それでも美穂の陽キャネットワークは強く、拓也のクラスにいる陽キャに会いに来ながら拓也に話し掛ける。

 拓也は内心嬉しいと感じつつも、新しいクラスで学年一の美少女の美穂が入って来る度に教室中の注目を浴びることには強い負荷を感じていた。



『必要なら屋上へ行くよ』


『毎時間、屋上来れる? 雨でもいいの?』


『それは無理』


『でしょ?』


『必要ならばギルド戦の前にまたうちに来てやればいいし』


 そこまで打った拓也は「しまった」と思った。



『木下君のうちで、何をの?』


 拓也の顔ににたにたと笑う美穂の顔が思い浮かぶ。


『違うって! ゲームの話!!』


 拓也はすぐにメッセージを打ち返した。

 拓也が『ピカピカ団』に復帰後、再び交流が始まった美穂と拓也。ふたりの距離は以前よりずっと近くなっていた。

 それでも教室内では一切ゲームの話をしない拓也。新しいクラスで良く訪れる美穂のせいで既に注目を浴びつつあり、やはり基本陰キャの拓也にはそれが苦痛で仕方なかった。


『今日、一緒に帰ろうね。来週のレイドイベントの敵キャラが発表されたから』


 美穂は拓也にそうメッセージを送り返事を確認してからスマホを片付けた。





「でね、でね、その子がさあ……」


 ふたりで拓也のマンションへ向かう帰り道。美穂はひとりで新しいクラスや友達、バイトの人達の話を喋り続ける。拓也は駅で美少女と歩く自分に好奇の視線が向けられていることを感じるも、もはやそれをどうしようとは考えなかった。


(俺には十分すぎることだよな……)


 マンションへ向かう緩やかな坂。逆光で透ける美穂の髪が橙色に輝く。隣で歩く彼女の仕草ひとつひとつが可愛らしいと思う。女の子とはこういう生き物なんだ、と拓也は改めて思った。



「で、その新しく始めたゲームはどうなったの?」


 最近、毎日のように拓也の部屋へ通うようになった美穂。拓也が『ワンセカ』から離れた時期に始めたという別のゲームについて尋ねる。



(あれ?)


 そんな拓也の目に見覚えのある人物が映った。

 黒髪の奇麗なポニーテールの美少女。夕日に当たった色っぽいうなじが黄金色に染まっている。



(玲子……?)


 拓也はそれが幼馴染みの風間玲子だとすぐに気付いた。



「木下君……?」


 美穂は直ぐに拓也の微妙な変化に気付く。そして真っすぐこちらに向かって歩いて来るその美少女に視線を移した。



「こんにちは。拓也」


 玲子はふたりの前まで来ると立ちはだかるように立って言った。美穂が玲子を見てから拓也に尋ねる。



「誰……?」


 そんな声を無視するように玲子が拓也に言う。



「綺麗な人ね」


 玲子が少し笑う。拓也が答える。



「これは、その……」


 それを見た玲子が少し笑って言った。



「否定も肯定もしないのね。いいわ、じゃあ」


 玲子はそう言ってふたりに手を上げて立ち去る。しかし歩きながら心の中で強く自分に言った。



 ――私、負けないから!!!!


 立ち去る玲子の綺麗なポニーテールが、揺れながらふたりの視界から消えて行く。

 ぼうっと立ったままの拓也に美穂が言う。



「否定も肯定もしないのね」


(うっ……)


 拓也は何かバットか何かで殴られた感覚に陥る。美穂が尋ねる。



「誰なの? あの綺麗な人」


 拓也は少し下を向いて答える。



「幼馴染みだ、彼女は……」


 拓也は突然襲われた胸を握り潰されるような感覚に体の力が抜けて行った。





 玲子と別れてから、無言のままマンションに入る拓也と美穂。

 いつもの明るい美穂とは違ってずっと黙ったまま表情は暗い。拓也は初めてのことに戸惑いどうしていいか分からずひとり焦る。


 ガチャ


 マンションのドアを開け中に入るふたり。

 靴を脱ぎ歩き始めた拓也に美穂が玄関に立ったまま言った。



「ねえ、私って木下君の何なのかな?」


「えっ?」


 驚く拓也。美穂が言う。


「『ワンセカ』があったから私は木下君と仲良くなれた。『ワンセカ』があったから木下君とたくさん話ができた。でも……」


 玄関に立って話す美穂を拓也が見つめる。



「でも、ゲームがなければただのクラスメートだったのかな。副団長じゃなかったら話もできなかったのかな」



(それって……)


 美穂の口から出た衝撃的な言葉に驚く拓也。

 それはまさに拓也が美穂に抱いていた感情。陰キャの自分が学年一の美少女の美穂に申し訳ないと思いながら抱いていた気持ち。



(誤解だ……、違うんだ、涼風さん……)


 歩くだけで気持ち悪いと思われ、クラスの誰からも相手にされなかった自分。陽キャの美穂には近寄ることすらできなかった自分。それが今はこうして会話もでき、一緒に居ることもできる。

 それだけで自分には有り余るほどの幸せだと思っている。



 ――幸せ。


(ああ、そうだ。涼風さんと一緒に居られて幸せだと思っている。だったらちゃんと伝えなきゃ)


 玄関にいる美穂を見つめる拓也。

 気のせいか涙目になっている。拓也が言う。



「『ワンセカ』が無くても話はしたい。一緒に居たいと思う」


「木下君?」


 その言葉を聞いた拓也は美穂が涙声になっているとはっきりわかった。拓也が言う。



「良かったら、ワンセカがなくても部屋に遊びに来て欲しい、だめかな」


 美穂の顔に笑みが戻る。そして答えた。



「いいよ」


 暗い玄関。しかし笑顔の美穂の目が真っ赤になっていることに拓也は気付いた。



「本当に?」


「うん、またガチャ引いて欲しいし」


「それって、ゲームじゃん!」


「あはは、そうだね」


 ふたりはそれまでのつっかえが取れたように笑った。美穂が尋ねる。



「ねえ」


「なに?」


「部屋、上がってもいい?」


 拓也が笑顔で答える。


「どうぞ!」


 美穂は片手で靴を脱ぐと飛び上がるようにして部屋に上がった。






「木下君、ご飯美味しいね」


 晩春の屋上。

 最近ぐっと暖かくなり、流れる風が心地良い。桜は既に散ってしまっており、今は新緑がまぶしい。柔らかく降り注ぐ春の日差しに美穂は両腕を上に突き上げて体を伸ばす。

 美穂と拓也はいつものようにお昼を食べに屋上へ来ていた。拓也も購買で買ったパンを食べながら青い空を見上げる。



(初めて涼風さんと話した頃は、まだ寒かったよな)


 教室の後ろ。

 誰の視線もない隣同士の席。

 偶然同じゲームをやっていて、偶然同じギルドに居て、偶然団長と副団長だったふたり。


(陰キャの俺にも人として接してくれた。あれから少しずつ変わることができた。これからも……)


「ねえ、これからさあ……」


「え?」


 美穂がご飯を食べながら拓也に言う。



「これからさあ、どんどん暑くなっていくじゃん」


「うん」


 拓也は頷いて答える。美穂が少し照れながら言う。



「夏になったらさあ、海、行かない?」


「え? う、み?」


 予想もしていなかった言葉に驚く拓也。強い日差し。陰キャにとって夏のビーチの日差しは、当たるだけで溶けてしまうほど相性が悪い。



「そうだよ、海行こうよ。泳ぎに」


「う、み……、俺と?」


 美穂が笑って言う。


「ふたりで話していて、誰と行くのよ」


「そ、そうだよな。でもいいの?」


 美穂が答える。



「そうだね、『ギルド大戦争』がまた始まったら行けないか」


(い、いやそう言う意味じゃなくて……)



「あっ!!」


 スマホを見た美穂が声を上げる。


「どうしたの?」


 美穂が答える。



「夏にまた、『ギルド大戦争』やるんだって!!」


「そうか……、じゃあ、海は……、ひぇ!?」


 美穂が拓也の顔を覗き込むようにして言う。



「海も行くよ!! 優勝も目指す!! ね、団長!!」


 苦笑いする拓也が尋ねる。


「それは団長命令?」


「ふふっ」


 美穂は笑いながら言った。



「違うよ、命令!」


 拓也も笑顔でそれに頷いた。

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