第四章「『私』命令」

33.団長の決意

「ただいま……」


 美穂は暗い自宅のドアを開けると小声でそう言ってから入った。

 静まり返った自宅。両親は寝ているのかいるのかも分からない。美穂はそっと弟の部屋のドアを開ける。


「すーすー」


 その寝息を聞いて安心した美穂はゆっくりドアを閉め自室へ向かう。


(きれいな台所……)


 美穂は最近あまり使っていない自宅の台所を見つめる。拓也のマンションでの調理の方が多い気もする。


(今日の鍋、美味しかったな……)


 美穂は今日拓也と食べた鍋を思い出し、少し溜息をついた。






「おやすみ、団長!」


 拓也は少し前にそう言って帰っていた美穂を思い出した。

 見事に『ギルド大戦争』で優勝を果たした拓也達。『デスコ』で大盛り上がりの団員達とは別に、拓也はひとりベッドの上に寝転がっていた。



(ゲームがあったからあんな陽キャの涼風さんと仲良くなれた。ゲームがあったからこんな陰キャの俺の部屋に遊びに来てくれた。ゲームがあったから……)



「ゲームがなかったら……?」


 拓也は仰向けになりながら目を閉じる。


 ――分かっている。

 自分のような陰キャが、美穂のような美人の陽キャと一緒にいてはいけないということ。


 ――分かっている。

 自分のような陰キャが勘違いをしてはいけないということを。




「……分かっていた、はずだよな」


 拓也はゲームの勝敗が決まるとすぐに帰って行った美穂を思い出す。美穂は家にいる幼い弟が心配だったのだが、そんなことを拓也が知る由もない。

 拓也はスマホの『ワンセカ』を立ち上げ、今日の勝敗を見つめる。



「頑張ったな、俺。優勝じゃん、凄いよ。凄いけど……」


 拓也はスマホを切ってベッドの横に置いた。



(もう、いいかな……)


 拓也の中で『ワンセカ』熱が急激に冷めて行った。ここ数日の極度の精神的、肉体的疲労。念願の優勝を果たした達成感。様々な思いが拓也を包み込む。


 しばらくぼんやりと天井を見つめていた拓也だったが、ベッド横に置いていたスマホを取り『デスコ』を立ち上げるとひと言メッセージを書き込んだ。



 ――ワンセカ、引退します。






『どうしてだよ!! 何で負けたんだよ!!!』


 一方、優勝候補筆頭であった『竜神団』の『デスコ』では、団長のジリュウの怒りの書き込みが続いていた。



『何が原因なんだ!? 軍師アッシ、理由を教えてくれ!!』


 それを見たアッシがすぐに思う。



(あんたが大将戦で負けたからだよ……)


 全てはあの一騎打ちで決まった。

 大将を失った『竜神団』は、糸の切れた凧のように不安定になり見知らぬ方向へと飛んで行ったのだ。



『運でしょう』


 アッシは誰もがそうは思わない言葉を書き込んだ。すぐにジリュウが反応する。



『運? 運で負けたのか? そうさせないのが軍師の仕事じゃないのか!?』


『団長、落ち着きましょう』

『そうですよ、準優勝でも凄い事です!』


 心ある団員が冷静な書き込みをする。しかしジリュウは他の団員達にも噛みつき始めた。



『勝てもしない大将に挑んで負けるなど、……いや、そもそもなぜ指示に従わずに勝手に動いたんだ?』



(もうダメだな、ここ……)


 アッシは醜い書き込みをする団長を見てもう十分だと思った。

 後日、退団者が続出した『竜神団』の解散がSNSで告げられた。






「ちょっと、木下君!! これどういうことなのよ!!!」


 引退発表をした翌朝、教室にやって来た美穂は先に座っていた拓也に向かって言った。手にはスマホの『デスコ』に書かれた退の文字が映っている。拓也が答える。



「おはよう、涼風さん」


「いや、だからどういうことなのよ!」


 怒った顔で拓也に迫る美穂に教室中の視線が集まる。



(なんだか久しぶりにみんなの視線を受けているな……)


 拓也は数か月前まで陽キャと話す陰キャの自分が、好奇の目で見られていたことを思い出す。今はその陽キャと喧嘩でもしたと思われているのだろうか。

 拓也は美穂の顔を少し見て直ぐに下を向いて黙り込む。美穂は直ぐに自分の席に座り、スマホを取り出して何かを打ち始めた。



『お昼、屋上で待ってるから!』


 拓也はそれを見て無言で頷いた。






「ちゃんと説明して、木下君っ!!」


 美穂は遅れてやってきた拓也を見て開口一番言った。その顔は決して冗談ではない真剣な表情。拓也は手にした購買部で買ったパンの袋を開け、座りながら美穂に答えた。



「どうしてって、そういうこと。もういいかなって」


「いいかな? 意味分かんないよ、それ?」


 拓也はパンを齧る。そして美穂を見て思う。



(やっぱりゲームが好きなんだな、彼女は)


「モチベーションが落ちちゃって。優勝したら気が抜けたというか、俺自身も良く分からないけど、そんなとこ」


「モチベ、か」


 スマホゲームでモチベ低下は誰にでも起こり、それは引退に直結すること。こればかりはどうしようもない。美穂が言う。



「もうちょっとだけやろうよ。一緒にやりたい」


「ごめん、もうちょっとできないかな。涼風さん、団長やってくれる?」


「え?」


 思わぬ言葉に驚いた顔をする美穂。すぐに言い返す。



「無理よ、無理無理。そんなの無理に決まってるでしょ!!」


 拓也はパンを食べながら言う。



「けど、涼風さん以外に誰もいないよ。頼まれてくれないかな」


「そんな、そんな悲しいこと言わないでよ……」


 その後、美穂は必死に拓也の引退撤回を説得したが、拓也の意思は固くその心を翻意させることはできなかった。


 その日の夜、宣言通り団長タクは『ピカピカ団』を脱退。皆が悲しむ中、後任に副団長のミホンを指定し『ワンセカ』から引退した。




 学校でもほとんど話さなくなった拓也と美穂。そして時は過ぎ、春休み、そして桜咲く新学期となった。



(涼風さんとは違うクラスか……)


 拓也は新しく張り出されたクラス名簿を見てひとり思った。自分が何かを期待していたのかと思うと情けなくなった。


 校庭には桜が咲き、真新しい制服を着た新入生の姿も多く目につく。晴れた新学期のお昼過ぎ、拓也がぼんやり校庭を歩いていると、前から見知った顔が歩いて来た。



(あっ……)


 前からは友達と話しながら歩いて来る美穂。拓也はそんな彼女から、隠れるように方向を変えて別の方へと歩き出す。



(俺、何やってるんだろう……)


 拓也はひとり満開の桜の木を見上げ溜息をついた。

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