第2話 終焉は突然に呆気なく

 始まりは唐突で。

 終わりは、呆気なかった。


 授業中だった。

 いつも通りの、退屈でつまらない授業。

 ソレは、窓から教室に飛び込んできた。

 ぼんやりと光る、空飛ぶ白いバランスボール。

 何処からか飛んできた、というわけではなかった。

 突然、窓ガラスのすぐ向こう側に、現れた。

 少年の目には、そう映った。


 閉まっていた窓ガラスをすり抜けて、ソレは教室内に侵入してきた。

 唐突すぎて、驚く暇もなかった。

 ありえないこと過ぎて、脳が活動を停止してしまったようだった。

 ソレは、教室の真ん中あたりで動きを止めた。

 天上と、誰かの頭の中間くらいの位置。

 皆の注目を浴びながら、ソレはカッと強い光を放った。

 目を閉じて、机の上に伏せる。

 驚いて、椅子から落ちた生徒もいたようだった。

 椅子が動く耳障りな音。

 誰かが、床に落ちる鈍くて重い音。

 不思議なことに、悲鳴は一つも聞こえなかった。

 違和感を覚えて、顔を伏せたまま、そろりと目線だけを上げて、様子を窺う。

 なんとなく、そうしたほうがいいような気がした。

 少年の席は、廊下側の一番後ろだった。

 見える範囲には、身を起こしたままの生徒はいない。

 視線の端に、光球がゆっくりと教室の後ろに下がってくるのが映った。

 何が何だか分からないまま。

 ぼんやりと、それを見つめる。

 光球は、壁をすり抜けていった。

 隣のクラスから、短い悲鳴が聞こえてくる。

 それから、何かが倒れる音。

 誰かが倒れる音。

 額から、嫌な汗が伝い落ちてきた。


 一体、これは何なのだろう?


 少しだけ顔を起こして、クラス全体を見回してみる。

 みんな、机に伏せているか、床に倒れていた。

 ピクリとも動かない。

 氷の手で、心臓を掴まれたような気がした。

 大声を上げて、みんなを叩き起こして回りたい気持ちよりも、光球への恐怖の方が勝った。

 そっと手を伸ばして、隣の席で机に伏せているクラスメートを揺すってみる。

 反応はなかった。

 きっと、気を失っているだけだ。

 祈るような気持ちで、顔をこちらに向けているクラスメートの口元に手を当ててみる。

 しばらく、そのままで待ったけれど、手のひらには何も感じなかった。

 自分の鼓動の音だけが、耳に煩い。

 鼓動に急き立てられるように、けれど、音を立てないようにゆっくりと。

 身を低くしたまま、椅子から降りる。

 四つん這いで教室内を動き回りながら、クラスのみんなの呼吸を確認して回る。

 進むごとに、絶望が深くなる。

 それでも、最後の一人を確認するまでは、希望を捨てきれない。

 捨てたくない。

 消え入りそうな希望に縋りつくようにして、教室内を這い回る。

 その結果、現実に手ひどく裏切られた。

 希望は、遠く手の届かないところへと去ってしまった。

 少年を置いて。

 誰一人。

 生徒も、先生も。

 少年のほかに。

 息をしている者は、いなかった。


 外から衝撃音が聞こえてきて、少年は顔を上げた。

 座り込んだまま、しばらく呆然としていたようだった。

 音につられて、虚ろな視線を窓の外に投げ、腰を浮かせた。


 無数の光球が、空を飛び交っているのが見えたのだ。


 静かに凪いでいた心臓が、また激しく暴れ始める。

 まるで、ここから出してくれというように。


 見えたのは、光球だけではなかった。

 大通りのあたりで、黒い煙が上がっている。

 交通事故でも起こしたのだろうか?

 光球の、あの光にやられたせいで?

 一体、何処から?

 いつの間に?


 さっき教室で起こったような、静かなる惨劇。

 あれが、この学校だけでなく、街中のいたるところで引き起こされている?

 だとしたら、もう――。

 もう――?


 人類の滅亡。

 世界の終焉。


 ネットを漂う大予言の類や、ゲームや映画でしか耳なじみのない単語が、巨大な氷塊のように伸し掛かってきた。

 半信半疑の面白半分。

 友達と、それをネタに盛り上がったことはある。

 ふと、そんな妄想素したこともある。

 けれど。

 実際には、そんなことが起こるはずはないと、どこかで高を括っていた。

 なのに、それが。

 本当に、現実に――?


 すべてが真っ白になって。

 床も壁も天井も。

 すべてが少年から遠ざかっていくような感覚。

 一人だけ取り残されたような、感覚。

 ここに一人しかいないことが。

 どうしようもなく、心細い。


 慌てて学校の外に逃げ出さなくて、正解だったようでもあり。

 むしろ、失敗だったようにも思える。


 何も分からないまま眠りについたクラスメートたちが、恨めしい。

 どうして、一人だけ助かってしまったんだろう?

 せめて、誰か一人だけでも。

 誰でもいいから、一人だけでも。

 仲間がいてくれたらと、心の底から思う。


 これから、どうしたらいいのだろう?

 ずっとここにいても、仕方がないとは思う。

 だが、何処へ行けばいい?


 光球は、街中うようよしている。

 ここから外に出ることは、自殺行為に思えた。

 光球の発生が、この街だけとは限らない。

 奴らは空を飛べるし、壁もすり抜けられる。

 何処へでも、行けるのだ。


 そもそも、どうして自分は助かったのだろう?

 他にも、生存者はいるのだろうか?


 生き残る条件はよく分からない。

 だが、少年が生き残れたのだ。

 もしかしたら、各クラスに一名程度の生き残りがいる可能性はあるのでは?

 だとしたら、何としても探し出して合流したい。

 教師でも生徒でもどちらでもいい。

 生きている人間に、とにかく会いたい。

 一刻も早く。


 見失ったはずの希望は、背後に隠れていただけだったのだ。

 少し視野を広げれば、ちゃんとそこに存在していたのだ。

 動き出すための活力が、漲って来る。


 善は急げと腰を浮かしかけたタイミングで、遠くの方から女生徒の悲鳴が聞こえてきた。

 コの字型の校舎の、反対側からだ。

 中途半端な中腰の状態で、声のしてきた方へ目を向ける。

 向こうの校舎に、廊下を走る女生徒の姿が見えた。

 その後を、光球が追いかけている。

 叫び声を上げながら、必死に逃げる女生徒。

 光球は余裕でそれを追いかけて、背後から女生徒に襲い掛かる。

 女生徒の体が光に包まれて、悲鳴が途絶えた。


 女生徒と光球は、一つになった。

 女生徒の体が、白い光に包まれる。

 女生徒が、光になった。

 女生徒の形をした、仄白く光るナニカになった。

 光球に、体を奪われてしまったのだ。


 体から力が抜けていった。

 少年は、再び床に座り込む。

 最初の、あの時。

 もしも、机に顔を伏せずにいたら。

 伏せた後、すぐに顔を上げていたら。

 少年も、ああなっていたのだろう。


 その後は、少し記憶が飛んでいる。

 窓を叩きつける激しい夕立の音で、我に返った。

 雨のせいで、外の様子がよく分からない。

 叩きつける雨の跡以外、何も見えない。

 だから、ずっと窓の外を見つめていた。

 教室内の惨状から目を逸らすために。

 一人だけ、置き去りにされたかのような現実を。

 忘れるために。


 そうして。

 雨が止んだ頃には、外はすっかり夕闇に包まれていた。

 光球は、見当たらなかった。


 もしかして、全部夢だったのでは?

 都合のいい願いは。

 少し視線を動かすだけで、あっさりと打ち砕かれた。

 

 胸の奥に、分厚く真っ白い氷張られたようだった。

 その氷が、軋むような音を立てるのを感じた。

 もはや、泣き喚くほどの気力もない。


 どうして、生き残ってしまったのだろう?

 仲間がいるなら、まだしも。

 最後の一人になんて、なりたくはなかった。

 一人だけ、仲間外れにされた気分だ。

 こんなことなら。

 最初のあの時に、何も分からないまま。

 みんなと一緒に逝きたかった。


 たった一人で。

 これから、どうすればいいのだろう?


 絶望も希望もない。

 ただ、虚無だけがあった。

 

 途方に暮れつつも。

 窓の外から迫りくる夜の気配を感じて。

 少年はようやく、重い腰を上げた。

 たとえ、クラスメートだったとしても。

 死体に囲まれたまま学校で夜を過ごすのは、怖かった。


 どうして、おまえだけが――?


 そんな恨み言が聞こえてくる気がして、逃げるように教室を出る。

 上履きを穿き替えることも忘れて、校門を出た。

 当てもないまま、夕暮れの街を彷徨い歩く。

 最初は、普段人手が多いような場所を目指していた。

 進むごとに、行き会う死体の数が多くなって、少年は引き返すことにした。

 つまりそれは、死体が多い場所を目指しているのと同じだということに気が付いたのだ。

 それからは、なるべく人が……死体が少なさそうな場所へ向かった。

 いるかどうかも分からない生存者を、探しに行こうとは思わなかった。

 それよりも、少しでも死体から遠ざかりたかった。

 完全な夜が来たら、ゾンビのように襲い掛かって来るような気がして、怖かったからだ。

 どうしても生き残りたい、という気概はすでにないけれど。

 ゾンビに襲われて死ぬのは、ごめんだった。

 そこには、純粋な死への恐怖とは別の。

 生理的な恐ろしさがあった。


 人が少ない道を選んでいるつもりでも、道中、ちらほらと倒れている死体を見かけた。

 人だけでなく、動物も光球の餌食となったようだった。

 散歩中の老人と一緒に、飼い犬が倒れているのを見かけた。


 そういえば、やけに足元が明るいなと気づいて、何とはなしに空を見上げる。

 その先に、白く輝く真円を見つけた。

 姿を消したはずの球体が、また現れたのかと思い、悲鳴を上げながら地面に尻もちをつく。

 呼吸が止まりそうになったけれど。

 

 ここで喰われてしまうのが、一番楽な死に方なのでは?


 そんな思いが、ふと脳裏を過った。

 少なくとも、ゾンビに生きながら喰われるよりは、はるかにマシだった。

 ほんの一瞬で終わるはずだ。


 女生徒の最後を思い浮かべる。

 光球の光に包まれて、光そのものになってしまった女生徒。


 まだ、かすかに残っていた恐怖が、ジワリと沁みるような冷気を放つ。

 確かに、苦痛は少ないかもしれない。

 一瞬で終わるかもしれない。

 けれど、存在そのものを掻き替えられたかのような、あの終わりには。

 死とは違う怖さがあった。

 命だけではなく、魂そのものすら奪われてしまいそうな、そんな恐ろしさ。

 死ではなく、消滅させられるのだ。


 どちらにせよ、見つかってしまった以上、少年に逃れるすべはない。

 受け入れるのか、抗うのか。

 決めかねたまま、それでも。

 今はただ、ソレを見上げることしかできない。

 けれど。

 いつまでたっても、ソレは襲い掛かっては来なかった。


 不思議に思って、まじまじと見つめ直し。

 ようやく、勘違いに気が付いた。

 空には、いつの間にか月が昇っていたのだ。


 満月だった。


 強張っていた体から、力が抜けていく。

 そのまま、大の字にひっくり返った。

 地面はまだ濡れていたけれど、もうどうでもよかった。

 そうして、仰向けになって寝転がったことで。

 少年は、見つけたのだ。


 通りのすぐそこにある、古い公園。

 ジャングルジムの天辺で繰り広げられている、美しく幻想的な光景。

 今まで気が付かなかったのが、信じられないくらいだった。

 よほど、ぼんやりと歩いていたのだろうか。

 月が明るすぎたせいも、あったのかもしれない。

 もっと暗い夜だったなら、きっとずっと早くに見つけていたはずだ。


 なぜなら、少年が目を奪われたのは。

 月光を浴びて舞い踊る、少女の姿を模した、白く光るナニカだったからだ。

 学校で見た、女生徒を取り込んで変化した元光球。

 ソレ、と同じ存在に思える。

 なぜか、恐怖は感じなかった。

 きっと、魅入られてしまったのだ。


 “彼女”があまりにも。

 無邪気に。

 楽しそうに。

 踊っていたから。


 そう。

 まるで、人間の少女であるかのように。


 自覚もないまま立ち上がり、吸い寄せられるように公園へと足を向けた。

 それが、死(消滅)への誘いであったとしても。

 もう、構わなかった。


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