ラブ・ゴースト ~少年と少女の行末は満月だけが知っていた~

蜜りんご

第1話 満月と亡霊

 ――――月が綺麗ですね。


 なぜか、そんなフレーズが頭に浮かんだ。

 もうすぐ、人類は滅びるかもしれないというのに。

 その引き金を引いた元凶であるソレと、その頭上で無慈悲に輝く満月。

 満月は、終わりを始めた“ソレ”を連想させる。

 なのに、なぜか。

 そのフレーズが、ごく自然に。

 浮かび上がってきた。

 何処で聞いたフレーズなのかは、思い出せない。

 何か意味があったような気がするけれど、それも思い出せなかった。

 

 死者の国へと誘うような、冷たく無機質な光を放つ満月と。

 白く光る、少女の亡霊のようなソレ。


 二つの光が合わさって。

 ただ、美しかった。

 強すぎず、弱すぎず。

 その本質はどこまでも硬質なのに、輪郭はどこか柔らかい。

 冷たいのに、仄かな甘さと優しさを含んでもいる。

 ただ、その優しさに誘われて手を伸ばしたら。

 辿り着く先は――――。


 そうと分かっていながら少年は、ソレに向かって足を進めた。

 そうと分かっていながら。

 終焉に続いているはずのそこへと、自ら足を踏み入れた。


 だって、今さらだ。

 今となってはもう、生きていることの方が恐ろしい。

 街にはもう、ほとんど生存者はいないはずだった。

 人間も、動物も。

 物言わぬ死体となって、街のいたるところで転がっている。

 死んでいる方が自然で、生きて動いている方が異常に感じるくらいに。

 当たり前のように、“死”は存在していた。

 少年が最後の一人であっても、おかしくはなかった。

 どこ吹く風で“生”を謳歌しているのは、木々や草花たちくらいだ。

 植物たちは、ソレのお気に召さなかったのだろう。


 あれが、なんだったのか。

 どの程度の規模で起こったことなのか。

 何も分からない。

 もしも。

 あれが、世界規模で起きたことならば。

 人類は間もなく滅亡するのだろう。

 少年が、人類最後の一人であっても、おかしくない。

 おかしくはなかった。

 そう考えると。

 すっかり麻痺してしまったかのような胸の奥が大きく軋みを上げ。

 出来上がった隙間に、冷たく乾いた隙間風が吹き込んでくる。


 こんなことなら。


 最初のあの時に、みんなと一緒に逝きたかった。

 何も知らないままで。

 何度も、そう思った。

 たった一人で生き延びたところで、何になるというのだろう?


 でも、今。

 白く光る少女の亡霊のような、ソレと出会った今。

 少年の中に、新しい何かが芽吹きかけていた。

 “あの子”と会うために、自分は生き残ったのだ。

 そう思い始めていた。

 少女を模してはいても、何処からどう見ても普通の人間ではありえない“ソレ”は、少年の中で“あの子”になった。

 

 だって、“あの子”は。

 とても綺麗だ。


 逝きつく先は一緒なのだとしても。

 どうせなら。

 あの亡霊のようでもある“少女”と一つになって、その時を迎えたかった。

 今は、そう思っていた。


 あの時、みんなと一緒に逝かなくてよかった。

 それよりも。

 “あの子”の一部になる方が、ずっといい。


 そう、思った。


 満月の明かりをスポットライトにして。

 寂れた公園の、古いジャングルジムの天辺。

 その、さらに上空で。

 重力を無視して。

 舞い踊る、“少女”。

 可憐な舞だった。


 舞に夢中になっているからだろうか。

 少年が公園の中に足を踏み入れても、“少女”はお構いなしで舞い続けていた。

 すっかり見惚れて、足元が疎かになっていたせいだろう。

 落ちていた空き缶に気付かずに、蹴飛ばしてしまった。

 それまで静かだった公園に、耳障りな音が響き渡る。


 舞が止まった。


 息を呑んで、少年も足を止めた。

 見上げたその先で。

 “少女”は、静かに空中を漂いながら。

 少年を、見下ろしている。

 目が合ったような。

 そんな気がした。

 それだけで、鼓動が跳ねた。

 恐怖からではない。


 亡霊のような“少女”は、死神のような存在でもあるはずなのに。

 鼓動は。

 少年の耳に、甘く響いた。


 たとえ。

 ソレが、終焉の運び手なのだとしても。


 綺麗なものは、綺麗なのだ。


 綺麗なものは。

 綺麗なのだ。

 

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