母への愛

 

 かなり身体が弱るまで、母はそれでも一所懸命に僕の面倒を見てくれた。

 中年すぎてから仕事を退職してひきこもっていた僕のことをあまり責めたり愚痴ったりはせずに黙って衣食住について何不自由のない世話をしてくれた。

 そういう大恩のある人について「毒親」ときめつけたり、前章まではずいぶん酷いような書きぶりをしてきたが、僕は母について何も美点の何一つない最低の親とか、そういう感想は持っていない。誰しもの母親にある打算とか支配欲、独占欲、干渉癖、そうしたものが並外れて強かったとかそうも思っていない。

 母はどちらかというと「甘ちゃん」の世間知らずで、稚拙な人格だったがそれも常軌を逸しているとかそういう範疇ではない。

 僕との関係が病んでいったのは母というよりもむしろ僕のほうの優柔不断な性格では…そうも思ったりする。

 が、例えば普段社会との折り合いが悪い僕が、唯一母と喧嘩をした時にはなんだか社会での「居心地がよくなる」「適応がよくなる」そういう体験もよくしていて、やはり対社会的な適応の障害めいた症状には「マザコン」が与って大きい要素、それは間違いないとも思える。

 が、僕は今でも母を愛している。性格のピュアな感じ、天真爛漫で言動がユーモラスなところ、は人格の良さ、人徳のようなもので、母に親しんで愛し慕う人も多い。

 すっとぼけているようで、意外に鋭い直観力があり、物事の本質は鋭く見抜いている。コミュニケーション能力が高い。身体が弱くて車の運転もできないくせに社交上手で、「顔が広い」と驚かれたりする。

 そうして、子供はどんな酷い親でもやはり親を慕うのが理法というか自然の成り行きでもある。親の心子知らずというが、子供の心だって誰もわかっていない。

 毒親だろうとなんだろうと私はどんなにか母を恋い慕っているか、それは筆舌に尽くしがたい。そうしてそれが当たり前なのだ。世の道理なのだ。


 今、私は母から理不尽に遠ざけられている。

 あまりにも憤懣やるかたない話なので、詳細を語ることは避けるが、もう母は88歳で、このまま二度と会えない、そういうことも予想されうる。

 今私はどん底状態なのだが、歯を食いしばって這いつくばってでも、なんとしても母をわがもとに取り返したい、そうして長年の葛藤や蹉跌の数々を何とか良い方向に解決したい。母と本当の意味で和解したい。

 他人にとっては88歳の乾涸びた老婆でも、私にとってはやはりかけがえのない唯一無二の存在なのだから…

 

<了>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

88歳の母 夢美瑠瑠 @joeyasushi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ