母との葛藤

 前話で言いたかったのは、このエッセイが全体として自己表白、あるいはフロイト的な自由連想法による無意識に隠蔽されている?葛藤を焙り出して解決して、病的な症状、様々な精神的な不調、失調を快癒させよう、そういうセラピー的な意図を孕んでいる、要するにそういう説明ですが、「自分にとって根源的な課題がマザコンではないか」そういう命題は長年かけて徐々に漠然とした疑念というか、が確信となってきたもので、それはつまり自分が「優しい母」と信じてきた人、存在が実は「毒親」だったのではないかというつらい認識へ至ったという告白であります。


 僕の性格の欠点はまあ一言で言うなら「弱さ」と「甘さ」である。育てられ方とかが確かに甘い所はあって、父が「過保護」という流行語を使って母の育児を批判していたりした児童期から精神が惰弱で、友達と遊ぶとすぐ泣くような子供であった。

 母に僕をスポイルしようという明確な意思があったかはわからないが、油断すると、これは母親というものの通弊かもしれないが?僕を支配して一人立ちを妨げようとする、アルコール依存の場合の共依存の機制に似ているような、いつまでも無力な赤ん坊だと思っていたい?ダメな奴でいてほしい!そういう行動をしばしばしてきたことはどうも厳然とした事実であるように思う。

 そうして父親も、「厳しくしつける」という役割を、どうも放棄、放置放任気味な、無責任なところがあった。父親のことを母は「マザコン」と言っていたが、割れ鍋に綴じ蓋というのか、未熟で幼稚な人格同士が結びついた夫婦だった可能性もあった。未熟な人も親になる、これは加藤諦三氏の言だが、その犠牲者が自分であり姉であった…今となっては冷静にそう分析できる。


<つづく>

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