第七十二話 假藏學園解放

 世界には二つの力しかない。「剣」と「精神」の力である。そして最後は「精神」が必ず「剣」に打ち勝つ


――ナポレオン・ボナパルト

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 真里まり愛斗まなと憑子つきこ仁観ひとみ嵐十郎らんじゅうろうは、『弥勒狭野ミロクサーヌ』の爆岡はぜおか義裕よしひろくろがね自由みゆを相手に一進一退の攻防を繰り広げていた。二対二になった事で、愛斗まなと仁観ひとみが集中して爆岡はぜおかを狙えず、また爆岡はぜおかがこれまでの戦いで大きく疲弊し、戦況は拮抗したのだ。


 現在、愛斗まなとくろがねを、仁観ひとみ爆岡はぜおかを相手取っている。

 自らの策に溺れ、大きなダメージを負ったくろがね愛斗まなとの敵ではないと思われたが、異様な執念で渡り合っていた。思えばこのくろがね自由みゆという男の最大の脅威は実力でも頭脳でも残虐性でもなく、何度も無様を晒しながらも立ちはだかる執念なのかも知れない。


真里まり愛斗まなと……! おれはてめえの事も仁観ひとみと同じくらい許せねえ! 何もかも、てめえと関わってから狂い始めたんだ!」

「知るかよ。元はと言えばそっちが華藏はなくらの生徒に手を出したのが始まりだろ? その後も戸井といを誘拐したり、電気街で虐殺したり、ぼくと関わる時は碌でもない事をしてばかりじゃないか。」

五月蠅うるせえ‼ 生意気なんだよ華藏はなくらのチビ雑魚餓鬼の癖しやがってえええっっ‼」


 くろがねは腐食したトレンチナイフで愛斗まなとに斬り掛かり、猛攻を仕掛けてくる。ただれた肌が痛々しいが、反応し切っていない硫酸が動く度に飛び散るのは地味に脅威だった。又、体に付着していると思うと愛斗まなとの方からも迂闊うかつに仕掛けられない。


真里まり君、落ち着きなさい。今のきみには、何も直接殴る叩くだけが攻め手ではない筈よ。』


 憑子つきこのアドバイスで気付きを得た愛斗まなとは、精神を集中して全身から白い光を放出する。この光に威力は然程さほど期待出来ないが、闇の力を浄化する効果がある。そして、物理的な力が全く無い訳ではない。


「ぐっ……!」


 強い風に吹き付けられた様に、くろがねの動きが一瞬止まる。実際、風圧の様な力でくろがねの身体から雫が飛び散った。水分の蒸発した硫酸は危険だが、薬液そのものを吹き飛ばしてしまえば関係無い。但し、量が減れば蒸発も早まるので半端に残さず速やかに除去する必要は有るが。


「良し、このまま続ければ!」


 愛斗まなとは気力を振り絞って何度も光を放出する。この技は普通に戦うよりも大幅に消耗するのが難点だ。くろがねの全身から硫酸を除去する事に拘らず、必要な部位だけ攻撃可能な面積を確保する。

 即ち、中丹田、鳩尾みぞおち付近。


「うおおっ‼」

くそが‼」


 トレンチナイフを振り被るくろがねの素振りに、一瞬飛び散る硫酸の懸念を抱いた愛斗まなとだったが、敢えて果敢に掌底を繰り出した。当てた後、素早く腕を引っ込めて自身も間合いを離す、ヒットアンドアウェイの要領で飛び散る雫をやり過ごす。この攻防で、愛斗まなとは一つ戦いの進め方を学んでいた。


『思わぬ所で良い実戦経験が出来たわね。あの女を相手にする前に、これは中々の僥倖ぎょうこうよ。でも……。』


 しかし、この攻め方では相手に決定的な打撃を与える威力に欠ける。このままでは徒に消耗してジリ貧となってしまうだろう。真面な状態でないくろがねが落下と硫酸の傷に耐え切れず力尽きる、というのは期待出来るだろうか。執念で戦う者の粘りを甘く見てはいけないだろう。

 愛斗まなとくろがねは以前、硬直状態である。



 一方、仁観ひとみ爆岡はぜおかも甲乙付け難かった。

 二日前の傷と、長時間の拘束で満身創痍の仁観ひとみだったが、爆岡はぜおかも闇の力に依る強化を失いかなり力を落としている。加えて、仁観ひとみには闇の眷属に痛打を与える手段を持っている。これらの条件と、仁観ひとみの気力が合わさった結果、彼等は条件を五分としていたのだ。


「おおおおおおッッ‼」

「ガアアアアアッッ‼」


 二人の拳がぶつかり合い、互いの身体を弾く。仁観ひとみ爆岡はぜおか鳩尾みぞおちを叩けば、爆岡はぜおか仁観ひとみの顔面を殴る。爆岡はぜおか仁観ひとみの脇に回り蹴りを叩き込めば、仁観ひとみ爆岡はぜおかの鼻柱に頭突きをぶつける。二人の超人的な問題児、不良が死力を尽くし、素手の殺し合いを演じていた。


爆岡はぜおか、確かにてめえは強えよ。このおれよりも遥かにな。その類稀たぐいまれな才能、もっと別の、世の中に認められる方向に生かせば良かったのにな。それだけは惜しいよ、本当にな。だが、お前の悪は度が過ぎるんだよ。捨て置けねえ、ばららしちゃおけねえ。絶対に叩きのめさなきゃならねえ。」

吐戯ほざけ、雑魚オカマ野郎の分際で……。このおれを叩きのめすだと? やれるもんならやってみろよォッ‼」


 爆岡はぜおかの渾身の一撃が仁観ひとみの顔面に炸裂し、彼の身体を激しく捻って吹き飛ばした。


「ぐはあっっ‼」

「てめえ如きがおれに勝てるかよ‼ てめえは所詮、築き上げる人間だ‼ おれは壊す人間、この下らねえ世界の何もかもを滅茶苦茶にする迄、形振り構わず暴れる破壊衝動の塊だ‼ 棲む世界が違う‼」


 爆岡はぜおかは転げる仁観ひとみに駆け寄り、サッカーボールよろしく腹を蹴り飛ばした。


「世の中に認められるだと⁉ どうでも良いんだよそんな事は‼ おれのやりてえことは、破壊だけだ‼ 假藏かりぐらに入って頂点テッペン目指すのも、『弥勒狭野ミロクサーヌ』を組んだのも、ほこらの闇の力を求めたのも、全ては目に付く何ももを粉微塵にぶち壊す為なんだよ‼」


 追い打ちに、爆岡はぜおか仁観ひとみを踏み付けにしようとした。しかし、脚を振り上げた瞬間に仁観ひとみは揚げ足を取り、起き上がり様に持ち上げて爆岡はぜおかを転倒させた。


「何⁉ てめえ‼」

「ぅオラアアアアッッ‼」


 そのまま、仁観ひとみ爆岡はぜおかの身体を振り回して二・三回地面に叩き付けた後、投げ飛ばして校舎の窓硝子ガラスに突っ込ませた。


くろがねが一番の莫迦ばかなら、爆岡はぜおかァ、てめえは一番下らねえ野郎だなァッ‼」


 仁観ひとみ啖呵たんかに応える様に、爆岡はぜおかは壁を突き破って校舎から出て来た。硝子ガラスの破片で血塗れになり、白目を剥いたその姿は、さながら悪鬼羅刹の如しである。


仁観ひとみ……キレちまったよ……。もう皆お終いだ……。華藏はなくらも、假藏かりぐらも、後者も山も全部跡形も残らねえ……。何ももぶっ壊れるまで止まんねえよ……。」


 爆岡はぜおかの異様な雰囲気に、仁観ひとみは冷や汗を掻いて身震いした。し、此処ここからが爆岡はぜおかの本領発揮だとすれば……。


「前言撤回はしねえよ? 創造の無い破壊程下らねえもんはねえからな。」


 仁観ひとみも又、戦いの見通しは良くなかった。



 愛斗まなと仁観ひとみ、二人とも夫々戦いの行方は揺蕩たゆたっている。だが、状況を動かす要素は他に何も無いのだろうか。


 彼女は考える。両局面の戦いは双方共に五分。ならば、此方こちら側に大きな戦力が流れ込めば一気に戦局が傾く筈だ。

 それが出来ないのは何故だろう。どうすれば、それは可能になるのだろう。


 必要なのは、一つの発想の転換、そして一つの賭けに出る勇気である。

 それが出来るのは彼女の方だった。もう一人には、積極的に他者の命を賭けるような真似を、自分からやる度胸は無かった。それはこの場に於いて、大きな欠点だった。


 彼女が見守る戦いは今、一つの重大な転換点を迎えている。窓から校舎に突っ込んだ爆岡はぜおか義裕よしひろはコンクリートの壁を破壊し、ブチキレ状態となったのだ。仁観ひとみ爆岡はぜおかを相手に防戦一方となっている。

 つまり、逆に戦力のバランスが変動した結果、流れを一気に持って行かれそうになっているという事だ。


「だったら、もう考えていられない。わたしがやるしかない……。」

「おい、何を考えている?」


 戸井とい宝乃たからのの思い詰めた表情にから何かを読み取ったのか、聖護院しょうごいん嘉久よしひさは眉をひそめる。

 戸井といは「何を考えているのかわからないのか。」と思いはしたが、同時に彼を責められないとも思った。聖護院しょうごいんがこの場を動かないのは戸井とい自身の安全を考えての事だ。

 しかし、しこの場で彼がそれに固執し続ければ、愛斗まなと達は『弥勒狭野ミロクサーヌ』に負けてしまうかも知れない、その可能性が濃厚になってきている。そうなれば、爆岡はぜおかくろがねも、『弥勒狭野ミロクサーヌ』も、華藏はなくら學園がくえんで暴れている不良達も、それから華藏はなくら月子も、皆戸井とい聖護院しょうごいんに矛先を向けるのだ。到底、護り切れないだろう。


 だったら、一層……!――戸井といは決意を固め、不意に飛び出した。


「なっ⁉ 待て‼」


 彼女は一気に走った。二週間前、愛斗まなと憑子つきこの話を聞いていた彼女は、聖護院しょうごいんに後から無理矢理止められない様に気を配り、斜行しながらくろがねへと向かって行く。


くろがね、こっちを見ろ‼ わたしも相手だ‼」


 戸井といの張り上げた声に反応し、くろがね愛斗まなとから視線を逸らした。戸井といの姿を見て一瞬驚いた表情を浮かべ、そして何かを思い付いた様に下卑た笑みにただれた顔を歪める。しかし、ぐにそれも凍り付いた。


「し、聖護院しょうごいん嘉久よしひさ⁉」


 聖護院しょうごいんも又、飛び出した。戸井といを護る為に、飛び出さざるを得なかった。当然、それは戸井といの計算であった。一見、無謀にも思えるこの愚行は、自分を護る為にくすぶっている彼を戦いの場に引き摺り出す為の算段だった。

 聖護院しょうごいんは卓越した戦士であるが、唯一つ欠点があるとすれば、自分の判断でリスクを取って動けない事だ。

 戸井といは自ら危険に飛び込まなければならなかった。それでも、聖護院しょうごいんは自分をどうにかして護るだろうという賭けだった。


「うおおおっっ‼」


 聖護院しょうごいんの掌に握られていたビー玉程の光の弾がバスケットボール大まで膨れ上がる。彼もまた、覚悟を決めた。


「くぅぅっ‼」


 くろがねは恐れた。闇の眷属として一週間ほど活動した彼は、聖護院しょうごいんの脅威を知っていた。だが、甘く見ていた。


「よく考えりゃ、同じ事じゃねえか! あの女を盾にすりゃ、聖護院しょうごいんといえども迂闊うかつに手は出せまい‼」


 くろがね戸井といに向かって走り出す。愛斗まなとは追い掛ける。二人とも、聖護院しょうごいんは間に合わないと思っている。だが、それは彼に対する過小評価だった。


「間に合え! 後五十メートル、二十メートル……!」


 かなり遠くで、聖護院しょうごいんは腕を振り上げ、そして……。


「間合いに入った‼」

「は⁉」


 聖護院しょうごいんの掌から、くろがねに向けて光が放たれた。それは一瞬にしてくろがねを包み込み、硫酸の雫と紫のもやを振り払って収まった。


莫迦ばかな‼ あの距離から⁉」


 聖護院しょうごいんの操ることが出来る光の力は愛斗まなとと比較して遥かに大きい。流石に仕留める迄は行かないが、闇の力を優位に弱体化させるには充分だった。


くろがねェッ‼」


 愛斗まなとの掌底がくろがね鳩尾みぞおちに追い打ちを掛ける。闇の力を殆ど失っていたくろがねは、意識を保てずにその場へと倒れ伏した。戦局は一気に動き、残る相手は爆岡はぜおか唯一人となった。


仁観ひとみ先輩‼」


 愛斗まなと聖護院しょうごいんはそのまま仁観ひとみに加勢しようと爆岡はぜおかに向かって行く。


「ありがてえ、一人じゃきつかった‼」


 押されていた仁観ひとみの眼にも炎が点り、彼も最後の力を振り絞る。


「おおおおっ‼」

「うらああああっ‼」

「はああああっ‼」

「ガアアアアアッッ‼」


 四人の力が一点へと集束する。流石に数の利は愛斗まなと達に有った。爆岡はぜおかは三人の拳に巨拳を弾かれて大きく体勢を崩す。


「今だ‼ 行くぞ‼」


 ずは聖護院しょうごいん、それから愛斗まなとの拳が爆岡はぜおか鳩尾みぞおちに突き刺さる。彼が纏っていた紫のもやも跡形も無く消え去った。


「ぐウウウウッ……‼」


 それでも、爆岡はぜおかは執念深く立ったままだ。だが、もう後一押しである。後は押せば倒せる。


「おらあああああっっ‼」


 最後は仁観ひとみだった。彼の渾身の拳が爆岡はぜおかの顔面に炸裂し、彼の巨体を打ち倒した。


莫迦ばか……なっ……‼」


 最後に力無く驚愕の言葉を吐いた爆岡はぜおかだったが、そのまま意識を失って立ち上がる事は無かった。假藏かりぐら學園がくえん最強の不良として恐怖と共に君臨した男は、この場でようやく完全に倒されたのだった。


「は、爆岡はぜおか君が敗けた‼」

「あの人ですら……假藏かりぐら最強のあの人ですら頂点テッペンには届かねえのか‼」

「ば、莫迦ばか‼ 何人掛かりだよ‼」


 爆岡はぜおか、まさかの敗北に周囲で『弥勒狭野ミロクサーヌ』の下端達がどよめいていた。彼等は受け容れられない。爆岡はぜおかこそが最強で、假藏かりぐら學園がくえん全ての不良を束ねる『頂点テッペン』を獲る者だと信じて疑わなかった、否今でもその考えを変えない者達だからこそ、非道な爆岡はぜおかくろがねの下に付いていたのだ。


「大体、この喧嘩の相手は何奴どいつ此奴こいつ華藏はなくらの連中じゃねえか‼ 教師迄混じってるしよ」

「余所者が假藏かりぐら頂点テッペン争いに関係有るかよ‼」


 そんな中、一人の男が立ち上がって静かに『弥勒狭野ミロクサーヌ』を威圧する。


「だが、爆岡はぜおかは敗けた。どんな状況であれ、それは事実だ。」

相津あいづ‼」


 相津あいづ諭鬼夫ゆきお、それから将屋しょうや杏樹あんじゅも目を覚ましていた。


「いいか、爆岡はぜおかは力による恐怖だけで頂点テッペンを獲ろうとしていた。そんな奴は、仮令たとえ何人掛かりだろうが倒れたらお終いなんだ。要するに、最悪學園がくえん中の悪を集めて袋にすりゃ打ちのめせるって事だからね。人気があって、皆に好かれてる奴が頂点テッペン獲ろうってんなら話は別だけど、力だけに頼る奴はどんな形であれその力に鶏知けちが付いちゃ駄目なのさ。してや、普段お前達がお坊ちゃまと舐めて、最底辺扱いしている華藏はなくらの奴等相手に。」

将屋しょうや……‼」


 相津あいづ将屋しょうやの言葉に、『弥勒狭野ミロクサーヌ』は誰も反論出来なかった。

 そんな中、爆岡はぜおかとの因縁に決着を付けた仁観ひとみがその場に勢い良く倒れた。


仁観ひとみ先輩、大丈夫ですか⁉」

「悪ぃ、流石に疲れたわ。もう立つ気力も残ってねえよ。」


 どうやら、仁観ひとみ此処ここから先の戦いに付き合えないらしい。愛斗まなとは静かに頷いた。


相津あいづさん、将屋しょうやさん、仁観ひとみ先輩を頼みます。」

「ああ。しっかり休ませるさ。」

「安心しな、おれが指一本触れさせねえからよ。」


 愛斗まなとは二人に一礼すると、戸井とい聖護院しょうごいんと共に華藏はなくら學園がくえんへ戻るべくその場を後にした。

 残る敵は唯一人、華藏はなくら學園がくえん生徒せいと會長かいちょう華藏はなくら月子つきこのみである。

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