第七十一話 假藏學園決戦

 自分の人生を振り返った時、思わぬ人物が援けとなり、妨げとなった。人の縁とは実に奇妙な物である。


――大学教授・将屋しょうや文殊もんじゅ

===========================




 假藏かりぐら學園がくえんの校舎の中から、一人の華藏はなくら女子生徒と一人の大人が校庭の様子を窺っている。二人は視線の先で繰り広げられる喧嘩、というよりも死闘に身を投じる四人、いや五人の身を案じていた。状態としては一人を多人数で囲んでいるのであるが、それは宛ら大型の肉食獣を相手にしている様に思われた。


「先生、大丈夫でしょうか?」


 小柄な彼女は、連れ立って姉妹校を訪れた級友を、囚われていた先輩を、先日まで共に旅をした二人の假藏かりぐら生を、夫々それぞれ心配していた。


「地力では五分と五分、といった所だろう。この多対一の状況でようやくそうだ。わたしが加勢すれば優位になるかも知れないが。」

「では行ってください、聖護院しょうごいん先生。」

きみをこの場で一人にする訳にはいかんよ、戸井といさん。」


 華藏はなくら學園がくえんの女子生徒・戸井とい宝乃たからの真里まり愛斗まなと假藏かりぐら學園がくえんへやって来た。しかし、以前彼女を誘拐して顔を覚えられている『弥勒狭野ミロクサーヌ』の群の中に彼女を連れて行くことに、愛斗まなとは土壇場で躊躇ためらいを覚えたのだった。

 合宿所の周辺で操られた不良の群を片付けた数学教師にして『裏理事会』の最高戦力・聖護院しょうごいん嘉久よしひさが追い掛けて来たのは幸いだった。彼は戸井といの身柄を愛斗まなとから引き受け、安全な建物の陰に彼女を匿っている。


「じゃあ、真里まり達が殺られてしまったら?」

「勿論、愈々いよいよとなったら助太刀に入る。だが、それはきみをこの猛獣ひしめくサバンナの中に置いて行くことになるし、それでも間に合うとは限らない。現に、先刻さっき仁観ひとみきみ達が助けに入らなければ真里まりきみは確実に殺られていたしね。わたしももう駄目かと思ったよ。」


 聖護院しょうごいんは掌に小さな光の塊を握り締めた。


「勿論、同じ過ちを犯さないように今度は援護の準備をしておくがね。しかし、きみを匿っているこの場所が奴等に見つかってはいけないからこの程度の小さな力しか発揮出来ない。基本的には、彼らに独力であの怪物をたおして貰わなければならないんだ。」


 唯一点を見詰める戸井といとは異なり、聖護院しょうごいんは周囲に満遍まんべん無く警戒の眼を向ける。この場は『弥勒狭野ミロクサーヌ』のたむろする巣窟であり、今や彼らは闇の眷属の傘下に付いた獣の群である。


真里まり……。」


 戸井とい愛斗まなとの名を呟いて身を案じることしか出来なかった。




☾☾☾




 爆岡はぜおか義裕よしひろの巨拳は殆ど砲丸であり、それが銃弾の様な速度、機関銃の様な連射で襲ってくるのである。その殺人的な攻撃に、今対処しているのはもっぱ仁観ひとみ嵐十郎らんじゅうろうである。


「はぁ……。相変わらずしんどいな……。」


 万全でも張り合うのが精一杯の爆岡はぜおか相手に、満身創痍の仁観ひとみは気力で縋り付く。彼は爆岡はぜおかを相手にしている面々の中で、唯一彼の拳を受ける事が出来る強者だった、それでも。


襤褸々々ボロボロの癖に、よく頑張るじゃねえか、仁観ひとみよ。だが果たして何時いつ迄続くかな? てめえのその無駄な努力は……。」


 雨霰あめあられの様な爆岡はぜおかの拳に、仁観ひとみは一身で対処し続ける。他の三人に向けさせないのは当然の対策だった。真里まり愛斗まなと相津あいづ諭鬼夫ゆきお将屋しょうや杏樹あんじゅもっぱら彼を援護すべく、遠巻きに爆岡はぜおかの隙を窺っている。特に、先行して彼と戦っていた愛斗まなと憑子つきこはある程度戦いのペースに慣れてきており、仁観ひとみに次ぐ要となるだろう。


「ぐぁっ‼」


 拳を弾いた仁観ひとみの腕が痺れている。爆岡はぜおかはその隙を逃さず、強烈なボディブローを突き刺してきた。


「ごえェッ‼」

「本当に、身の程知らずだよなぁッ‼ 一昨日おとといおれの攻撃を防ぎ切れたのかァ? 出来てねえからつい先刻さっき迄てめえはこの場で無様晒してたんだろォが‼」


 そう、仁観ひとみといえども、その気になった爆岡はぜおかの攻撃を全て往なすのは至難の業である。しかしそれでも、この圧倒的強者に対応出来るのは彼だけである。他の面子では、攻撃を貰うだけでも致命傷になるのだ。耐えられるだけ、仁観ひとみの耐久力は常人離れしているのである。


「確かにな。お前の言う通りだよ、爆岡はぜおか。」


 仁観ひとみの表情は苦痛と疲労を隠せないでいた。しかし、同時に不敵さを取り戻してもいる。それが癇に障ったのか、爆岡はぜおかは二・三発の追撃を仁観ひとみの顔面、脇腹、そして腹に見舞った。


「ぐはっ‼」

「雑魚は雑魚らしく、負け犬は負け犬らしく卑屈な眼をしやがれ。おれはてめえのそういう所が前から気に入らねえんだよ。」

「ふ、はは……。」


 仁観ひとみはあくまで爆岡はぜおかの意に添わず、笑いを溢すと同時に殴り返した。丁度笑いに苛立った爆岡はぜおかが追撃を繰り出していたので、上手い具合にカウンターとなって顔面に拳が入った。


「うぐ、てめえ!」

「理解出来ねえんだよな。何で一度負けたくらいで何時いつ迄もそれを引き摺らなきゃいけねえんだ? 勝てなかったのはしょうがねえ、襤褸ボロ負けも結果を受け容れるしかねえ。でも、未来永劫其処そこに留まり続ける理由はねえよ。今居る地点から前に進んで景色を塗り替えるのが人間だ!」


 爆岡はぜおか後退あとずさったが、大して効いていない様で、涼しい顔をして鼻を拭っている。


「景色を塗り替える? そんなへなちょこパンチでか?」

「だけじゃねえよ。だからてめえは駄目なんだ。」


 爆岡はぜおかはこの機を逃さずに懐に入り込んでいた愛斗まなとに気付いていなかった。光を纏った拳が鳩尾みぞおちに突き刺さる。


「ぐうぅッ⁉」

「いくら強くても一人でやることにゃ限界があるし、人の力を借りちゃいけないなんて法律はねえんだぜ?」


 仁観ひとみはそう言うと自身も愛斗まなとに続いて光を纏った拳で爆岡はぜおか鳩尾みぞおちに追い打ちを掛ける。見事な連携により、初めて爆岡はぜおかに対して有効な連撃が炸裂した。


「ぐはぁっ⁉」

「ナイスガッツだ、愛斗まなときみ‼」


 爆岡はぜおかは地面に膝を突き、思わぬダメージを負った事に驚愕した様に両目を見開いていた。彼は、闇の眷属にとって鳩尾みぞおちへの被弾が大きな痛手であることを知らなかった。自らが闇の力を身に付け、愛斗まなと仁観ひとみが光の力を使っていなければ、普通の喧嘩ならばこれ程のダメージは受けてはいなかっただろう。ここへ来て、彼の長年欲した力が徒となっていた。


「何だ……全身の力が吸われる様なこの感覚は?」


 爆岡はぜおかは焦燥に駆られて立ち上がる。この、自分に起きた現象に対する無知は彼にとって大きなディスアドバンテージとなってしまう。


相津あいづ将屋しょうや鳩尾みぞおち狙っていけ‼」


 仁観ひとみの呼び掛けに、爆岡はぜおかは初めて脇の二人へと意識を向けざるを得なかった。その表情からは今迄の余裕に満ちた冷徹さは消え、脅威に対して引き攣っている。

 爆岡はぜおかは余りにも強い、強過ぎた。仁観ひとみ程の怪物も、愛斗まなとの様な膂力りょりょく二倍の超人も、相津あいづの様な喧嘩で鳴らした常識範囲の強者も、将屋しょうやの様な女子も、全て等しく雑魚に見える。それ故に、仁観ひとみ愛斗まなとの様な異常と相津あいづ将屋しょうやの様な尋常の区別がつかず、仁観ひとみに備わっている脅威が将屋しょうやにも等しく備わっていると思ってしまう。


 相津あいづ将屋しょうやを警戒する余り、顔面ががら空きになった所に仁観ひとみ愛斗まなとの連撃が炸裂。流石に強靭な肉体を持つ爆岡はぜおかはこの二発で倒れはしなかったものの、更に立て続けに鳩尾みぞおちへの攻撃を再び受け、腹を抑えて悶絶する醜態を晒す破目に陥っていた。


「ち、畜生……! 一人を相手に四人掛かりで楽しいか?」


 爆岡はぜおかは苦し紛れに愛斗まなと達の多勢を非難した。しかし、それは彼に言える事ではない。


爆岡はぜおか、お前だってその辺で野次馬してる『弥勒狭野ミロクサーヌ』の連中に助けて貰えば良いじゃねえか。それに、これは勝っても負けても恨み無しの、気持ち良く白黒付ける喧嘩なんかじゃねえんだ。おれ達にとって、何が何でも敗ける訳には行かねえ戦いなんだ。そうしたのはお前等自身だぜ。」


 不良として、不良を超えた悪逆非道の振る舞いをはばからない爆岡はぜおかは、必然として相手を追い込む。敗けた者を凌辱し、命を奪う事も平然と行う彼は、正々堂々とした喧嘩というる種の容赦を望めないのだ。


くそが……!」


 爆岡はぜおかの心に、今初めて恐怖が芽生えていた。以前、仁観ひとみと死闘を繰り広げた時も、内容的には圧倒していた為、相手に脅威は覚えていなかった。しかし、今彼は初めて劣勢を予感していた。


「舐めんじゃねえぞ雑魚共が‼」


 それでも、彼は強者の自負心から自分を奮い立たせた。相津あいづ将屋しょうやを弾き飛ばしながら、仁観ひとみに反撃を試みる。


「ゴオオッッ‼」

「オラァッ‼」


 再び、仁観ひとみの拳がカウンターとなって爆岡はぜおかの顔面に炸裂した。更に、愛斗まなとによる鳩尾みぞおちへの追い打ち。流れは一気に傾いた。


「随分力が落ちてるようだなァ、爆岡はぜおかァ‼」


 加えて、爆岡はぜおかの戦い初めに有った異様な腕力には陰りが見え始めていた。相津あいづ将屋しょうやを弾き飛ばした彼だが、二人は怪我をしたものの命に別状は無い。今なら、愛斗まなともその拳に数発は耐えられるだろう。


真里まりきみ、どうやらあの男は闇の力を得てから日が浅く、全然物に出来ていないわ。元々の強さが異常だから苦労させられているけれど、闇の力を全て引き剥がす迄もう少しの筈。』


 憑子つきこは冷静に状況を分析し、冷徹に愛斗まなとが採るべき立ち振る舞いを指示する。


『闇の力を失えばあの男は大幅に、闇の眷属となる以前よりも弱体化するわ。そうなったら、この場は仁観ひとみきみ假藏かりぐら生達に任せて、きみ戸井といさんと共に華藏はなくら學園がくえんに戻りなさい。』

「相変わらず勝手ですね。彼等はぼく達の、貴女あなたの道具じゃないんですよ?」


 愛斗まなとは腹を立てながら、爆岡はぜおかに追撃を食らわせた。かく、徹底的に『闇の眷属』の弱点である鳩尾みぞおち付近の中丹田を狙う攻撃は、爆岡はぜおかにとって読み易い攻撃である。

 しかし、其方そちらに集中すると今度は仁観ひとみが顔面や、他の箇所を狙ってくる。其方そちらに意識を少しでも分散すると、今度は弱点の中丹田に……と、爆岡はぜおかは悪循環、愛斗まなと達にとっては好循環になっていた。


 だが、愛斗まなと達が爆岡はぜおかを追い詰める脇で、別の脅威が静かに動き始めていた。それを見付けた爆岡はぜおかは邪悪で猥雑な笑みを浮かべた。


「ククク、おれも助けて貰えば良いと、てめえそう言ったな、仁観ひとみ。」


 その言葉の意味を察した仁観ひとみは、慌てて後ろへ振り返った。見ると、先程間抜けを晒して校舎の屋上から落下し、硫酸溜まりを転げ回ったくろがね自由みゆが焼け爛れた衣服と肌、毛の抜けた頭部と顔を苦痛に歪ませて立ち上がっていた。


「うわ、マジか……。」


 くろがねの執念に驚嘆した仁観ひとみだったが、この行動はまずかった。


「隙を見せたな、仁観ひとみィ‼」


 一瞬にして仁観ひとみとの間合いを詰めた爆岡はぜおかが顔面に強烈な一撃を叩き込んで来たのだ。仁観ひとみは激しく地面に頭を打ち付けられ、ボールの様に跳ねた。


仁観ひとみ先輩‼」

「ガハハハハ‼ 集中を切らしちゃいけねえよな‼ おれもてめえらの様な雑魚に調子付かれてほとほと思い知ったぜ‼」


 形勢を逆転して調子を取り戻した爆岡はぜおかは、そのまま愛斗まなとへと猛威を向ける。


「くっ‼」

「眠りなこの餓鬼‼」


 爆岡はぜおかの巨拳が愛斗まなとに襲い掛かる。が、その時相津あいづ将屋しょうや爆岡はぜおかの脇腹に白く光る拳を叩き込んだ。


「ヌッ?」

「やべえ、効いてねえ……!」


 辛うじて危機を免れた愛斗まなとだったが、これもまずかった。相津あいづ将屋しょうやの攻撃に何ら脅威は無いと爆岡はぜおかに気付かせてしまったのだ。


「何だ、おれに通るのは矢張やは仁観ひとみとチビ餓鬼の二人だけかよ。てめえらは所詮蟲螻蛄むしけらだった訳だなァ‼」


 爆岡はぜおかは両腕で相津あいづ将屋しょうやを振り払った。


くろがね、てめえも加勢しろ‼ 二対二だ‼」

「おうよ……。」


 くろがねはふらつきながら爆岡はぜおかの呼びかけに応え、立ち上がった仁観ひとみの前に立ち塞がる。


「しつけえなてめえも……。」

「決着を付けようぜ仁観ひとみおれ達『弥勒狭野ミロクサーヌ』とてめえら『光の逝徒會せいとかい』のよ……。」


 一見、戦いは新たな局面を迎えたかの様だった。しかし、それは燃え終わる直前の線香花火に似ていた。戦局の変化は、終局へ流れ落ちる滝だった。


 決着は思いも寄らぬ形で。一気に引き寄せられる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る