お前はお笑い芸人には向いてない

宇部 松清

最終回 俺達のお笑い道はこれからだ!

「『ムカイ、いままでありがとう』、か……」


 その日記はそこで終わっていた。


 どうやら俺のあずかり知らぬところでバリバリ連載中だった『向かいのムカイくん』がいつの間にやら最終回を迎えていたらしい。本当に365日やり切っていたようだ。恐ろしい男である。


 しかも、何が恐ろしいって、こいつはそれを日記としてすべてしたためていた、ということである。100ページあるキャンバスノートにみっちりと。お世辞にもうまいとは言えない字ではあったが、行も開けずにきちきちと書かれている。1ページの両面に1話のペースで。だから、ノートは4冊ある。4冊目は途中で終わっていたけど。いっそ小説の体で書いてくれりゃ良いのに、『日記』なのがまた絶妙に気持ち悪い。


 現実世界ではもちろん、俺と戸成はお笑いコンビを組むことなんてなかったし、結局、下の階に住んでいた真下さんは、連日のどったんばったんに嫌気が差して退去してしまったから、この日記の通りになることはなかったけれど、それでもやると決めたことをきっちりやり遂げたのだから、その点についてはまぁ評価してやっても良いのではなかろうか。


 それで――である。


 なぜ俺が戸成の日記を読んでいるか、という話なのだ。

 

 これは、今日の午後、宅配便で送られてきたのである。

 これの他には、例の『純喫茶・推し活』のナプキンスタンドが入っていた。飲食店のテーブルに置いてある、ペーパーナプキンのスタンドである。あいつ、何てもん作ってんだ。マグカップはまだ実用性があるにしても、ナプキンスタンドなんて何に使うんだよ。まぁ、ペン立てとしてなら? いや、普通に嫌だわこんなの。


 その謎のナプキンスタンドとこの眩暈のするような妄想日記『向かいのムカイくん(全365話)』が送られてきたのだ。それ以外に手紙も何もなし。だから、このナプキンスタンドにしても俺への贈り物なのか、それとも「こんなの作ったから見てみてくれ」みたいなノリなのかもわからない。そんでもちろんこの呪いの日記も「読んでくれ」という意味合いで送りつけて来たのかもわからないのである。いや、たぶん、読めっつってんだろうな、これは。


 だからとりあえず真意を問い質そうと何度か電話をかけているんだけど、全く繋がらないのである。バイト中なのかもしれない。


 で、仕方がないので、こいつの妄想垂れ流し日記――いや連載である『向かいのムカイくん』をパラパラと読んだわけなのだが――。


 いや、こいつ、お笑い芸人じゃなくてコメディ作家目指した方が良くないか?

 

 ぶっちゃけ誤字脱字は多いし、熟語とかもちょいちょい間違ってはいるんだけど、ストーリーそのものはめちゃくちゃ面白いんだが!?


 特にこの、『第3話 芸人とリーマンの二刀流』でムカイくん(断じて俺ではない)が会社勤めをしながら芸人の道を歩む決意を固めるシーンと、『第35話 奇跡のテレビ出演!』で第六感を鍛える幼児向け番組『目指せ、勘力999! ビビッとキタロウ!』にデビュー間もない『トナリとムカイ』が出演する回、あれは熱かった。ていうか、この日記の中での俺、第3話で陥落してんだけど、どうなってんの。


 そんで、このトナリとムカイがネタ合わせによく利用するという『純喫茶・推し活』の88歳マスターが余命いくばくもないシーンもあり、不覚にもつい涙がにじんでしまったし、緩急のつけ方がえぐいのである。こいつ案外読ませる文章書きやがる。

 その回想シーンでは、トナリとマスターの出会いのシーンにも触れられていて、どうやらトナリは土砂降りの日、公園で行き倒れていたのを彼に助けられたらしい。どういう状況だよ。それで、その時に食わせてもらった焼き鳥入りのおかゆの味が――ってそれ病人が食って良いやつなのかな? マスター、焼き鳥好きだな?! そこあれか? 夜は居酒屋になるタイプの喫茶店なのか?!


 で、マスターが息を引き取った時にトナリが言うのである。


「マスターは俺のヒーローなんだ」


 って。

 涙をこらえてな。『向かいのムカイくん』屈指の泣かせる回である。

 

 ただ、冷静に考えてみたら、こいつが土砂降りの日になぜ公園をうろついていたのかについては全く書かれていなかったから完全に不審者なんだよな。このシーンが書きたいがために無理やり土砂降りの中徘徊させたんだろう。こいつ基本的に手段選ばねぇから。


 が、何だかんだと順調にやって来ていた『トナリとムカイ』に最大のピンチが訪れる。


 『第364話 センセーショナル・ミッドナイト(前編)』で、今日も今日とて絶好調にはた迷惑なトナリが真夜中の公園で自主練を――こいつ何でこんなに公園が好きなんだ――していたところ、近隣からの苦情によって警察の御厄介になってしまったのだ。けれど、相方であるムカイくん(俺とは無関係の人物です)は仕事が抜けられず(いまだにリーマンとの二刀流生活らしい。賢明な判断だ)、代わりに新メンバー候補であるマシタくんが身元引受人として彼を迎えに来るのだが、それを知ったムカイくんが嫉妬に駆られてあわや刃傷沙汰に発展するのである。


 しかも、警察署の真ん前で。


 おい、ムカイくんの理性どうなってんだ。

 そいつ本当に俺がモデルなのか?!


 とにもかくにもそんなトラブルを起こしてしまったムカイくんは、当然のように事務所から謹慎処分を言い渡される。まぁそもそもトナリの野郎が真夜中の公園で騒いでなければこんなことにはならなかったわけだが。



 そして驚くべきことに、この『向かいのムカイくん』のお話はそこで終わっているのだ。つまり365話が、『センセーショナル・ミッドナイト(後編)』で、警察署の真ん前で刃傷沙汰からの謹慎処分エンドなのである。


 いやお前! 365話でお笑い界の頂点に立つんじゃなかったのかよ! 確かにセンセーショナルではあったけど! まぁ、さすがに1年では無理だとは思っていたけど、それにしても何か良い感じのところで締めろよ! 俺達のお笑い道はこれからだ! みたいな打ち切り漫画にありがちな便利な終わらせ方があっただろ! 夕日に向かってジャンプしろよ!

 

 文章自体はぐいぐい読ませてきたし、思わず吹き出してしまう話、不覚にも泣いてしまった話、社会問題にメスを入れた話、心温まるヒューマンドラマに、ほんわか癒されるアニマルセラピー回なんかもあったけれど、むしろそんな話ばかり書いてるから肝心の部分が疎かになってしまったのではなかろうか。


 つまり、『大学を中退した冴えない主人公であるトナリくんが、向かいに住む『ムカイくん』というお笑いクリーチャーの原石を口説き落としてコンビを組み、ゆくゆくはお笑い界のトップをとる、っていうサクセスストーリー』になってないのである。サクセスの『サ』の字もない。


「こんなものを読ませて、どういうつもりなんだ、あいつは……」


 そんなことをぽつりと呟いて、ぱたんと日記を閉じる。そのタイミングで、スマホがピリリと鳴った。戸成からだ。


「おう、すまんな向井。電源切れてた」

「いや、良いんだけど――って、やっぱ良くないわ。何だよこの荷物」

「荷物?」

「送ってきただろ、お前の妄想喫茶店のナプキンスタンドと日記4冊!」

「ああ、はいはい」

「何なんだよこれ!」

「いや、お前には渡しておこうと思って、さ」


 その声が、いつになく暗い。

 何だ、らしくないじゃないか。


「どうしたんだ、戸成」

「それ、全部読んだ?」

「まぁ……流し読み程度だけど……」


 嘘だ。

 結構がっつり読んだ。


「最後さ、すげぇ中途半端なところで終わってるだろ、それ」

「あぁ――……そうだったな」


 何だ。

 何でそんなに暗い声を出すんだ。

 お前らしくもない。

 いやー、やっぱり365話では難しかったわー、って笑い飛ばせよ。それかもしくはこりゃseason2に持ち越しですわー、って言えよ。


「俺、自分の才能のなさを痛感してさ。このままじゃヤバいな、って思ってさ」

「……おう」

「それでいま――」


 何だよ、お笑いやめるとか言うんじゃねぇだろうな。お前は夢を追いかけろよ。俺に迷惑をかけない範囲で。いや、お前、芸人じゃなくて作家を目指せ。


石巻いしのまきにいるんだけど」


 !?


「は? 石巻? 宮城県? 何で?!」

「ここにさ、田代島っていう猫だらけの島があるんだけど」

「うん、まぁ、何となく聞いたことはあるような」

「猫の手を借りようと思って」

「は? 馬鹿かよ」

「とりあえずさ、やっぱり俺、昨今のお笑いシーン舐めてたっていうか、さすがに1年でトップは厳しいな、って話になって」

「お前の脳内でか。脳内でそんな話になったのか」

「そうだ。それで、season2をスタートさせるにあたって新しい風を吹かせてみようかな、って」

「それで猫の手を?」

「そうだ」

「とりあえずこの荷物、着払いでお前んトコに送り返すわ」

「何でだよ! せめて手渡しで持って来いよ! 向かいのアパートだろ!」

「その言葉、そっくりそのままお前に返すわ!」

「俺は気を使って元払いにしてやっただろ!」

「気の使い方がおかしいんだよ! 向かいに住んでたら普通手渡しだろ!」

「だってお前居留守使うじゃん!」

「お前と会いたくねぇんだよ、わかれよ!」

「えっ」


 えっ、じゃねぇよ!

 何でわからねぇんだよ!

 こんなあからさまに避けてんのに!


 だけどここまでズバッと言わないとこいつには伝わらないのである。

 さすがに今回はしっかりと伝わっただろう。


 そう思っていたのだが。


「てことは?」

「な? 何が?」

「てことは? 俺になんて言うの?」

「は? 何が」

「俺に何か言うことがあるんじゃないのか?」

「ねぇよ。何も」

「嘘だ。あるはずだろ。『い』から始まって『ろ』で終わるやつとかさ」


 こいつはあれだ。

 やはりアレを言わせようとしているのだ。

 そしていい感じで締めようとしてるのだ。

 その手には乗るか。


「『言うわけないだろ』!」


 これでどうだ、とそう言うと、電話の向こうで「くっそ、そう来たかぁ」という戸成の残念そうな声が聞こえた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お前はお笑い芸人には向いてない 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ