天使の翼は私を包む。
如月
1話
少女は天使と踊る
少女は夢を見ていた。自らの幸せの夢。大切な人と、幸せに過ごす夢。ずっと見ていられたらいいのにと、願いながら飛び降りた。
なぁんて言葉が最期に現れて終わってしまえば、最高のストーリー、ハッピーエンドじゃないか。私はそう思いながら、とあるビルの屋上への扉を開けた。錆びた扉は重く甲高い悲鳴を上げていた。
広い屋上。青空がよく似合う。そんな屋上には先客がいた。高い柵の上に腰掛けて、遠くを眺めている青年がいた。
白くて柔そうな髪、ミントグリーンの瞳……。
「やあ。はじめまして」
気さくにそう声をかけてきた彼に、私はおどおどしながら「どうも……」と返した。コミュニケーションは得意じゃない。
「上からごめんね。君も死にに来たのかい?」
「え」
胸の内を言い当てられて、言葉に詰まる。
「図星だね」
「あぁ、はい……」
青年はくすくすと笑って、柵から降りた。
「君が来るの待ってたんだ」
「えっ?えぇ……は、はい……」
ミント色の瞳がじっとこちらを見つめていた。
「僕は君の天使。君に夢を見せに来た。」
「……夢?」
「そう。君が消えてしまう前に、夢を見たいと願ったから、僕が現れたってわけ。」
彼の口から出てくる言葉には疑念が拭えないが、まぁいいだろう。いちいち質問する気力もなかった。
「もしかして、疑っているのかい?」
「もちろん」
「なら、仕方ない」
バサッと鳥が羽ばたくような音がする。彼の背中からは真っ白な翼が生えていた。白鳥みたいだ……。
「触ってもいい?」
「どうぞどうぞ」
ふわふわだ……。というかこれ、触れるってことは幻覚じゃない?これ現実なの?
「ふわふわですね……」
「君が幸せだと思うなら、僕の翼の上で寝ちゃってもいいんだけどね」
「え、遠慮しておきます」
せっかくのチャンスが謎の願いによって妨害され、私は仕方なく帰ることにした。
「まって!帰るの?」
「そうですけど」
「名前くらい教えてくださいな」
「私?北条真奈」
「僕はサギソ。変な名前だよね。ソウでいいよ」
「そうだねぇ……」
呼び止められて、私は変えるわけにも行かず、ソウの隣に座って話すことにした。ソウは私とは対照的で、笑顔を絶やさずずっと楽しそうに話している。久々の任務だから外界が楽しくて仕方がないとか、食べてみたいものがたくさんあるとか。天使も意外と人間と変わらないんだなぁ。
「そうだ。僕と一緒に空中散歩しませんか?後のことはこれから考えましょうよ」
「そう……なのかな」
ソウは笑って私に手を差し伸べる。華奢な女の子の手のひらみたいだ。私はためらいつつも、誘いに乗ってみることにした。
「しっかり捕まっててね」
ぐんと、すべての肌に風を感じた。景色が一瞬で変わる不思議な感覚を味わっていた。
「どう?これが空の上だよ」
足が震える。ソウと手を繋いでいるから大丈夫なのだろうが、やはり怖い。ソウがもし手を滑らせたら……?!
「やっぱり怖いよね」
「う、うん……手、離れたら、どうしようって」
「大丈夫、魔法があるから手を離しても落ちないよ。もし落ちても僕が庇う」
「そ、そっか……それなら」
心なしか足の震えが少しおとなしくなったように思う。改めて下を見ると、街がおもちゃみたいに見える。自分もこの中で生きるちっぽけな存在だったのかなぁ。
「次はどこへ行きたい?」
「……綺麗なところ」
「雲の上かい?それともタワーのてっぺん?それとも大きな虹の出る滝?」
「じゃあ、雲の上かな」
またぐんと、大きな翼がはためいて空をかけてゆく。顔にぶつかっては流れてゆく風がとても心地よかった。大きくて力強いソウの翼は、雲をあっさりと突き抜けた。
「どうだい?雲を下に見下ろす感覚は」
「生まれて初めて。ソウ……はさ、いつもこんな景色が見られるの?」
「まぁ、天界はそうだね。そういうところにあるから、むしろ見飽きてるよ。でも真奈が喜んでくれてよかったよ」
ソウはまた手を引いて、私を地上まで連れて行ってくれた。
まるでエスコートする王子様みたいに、私の手を引いてくれる。少し、ソウの横顔にどきっとさせられる。
「どうしたの?」
「ううん。なんでもない。……ありがとう」
「どういたしまして」
演技みたくお辞儀をするソウに、私は少し顔をほころばせた。どうせ死ぬんだし、それならソウに願いを叶えてもらおう。また明日も来よう。そう思った。
「またこんな成績取って、あの頃の真奈はどうしちゃったの?」「あの頃は凄かったじゃない。また取れるでしょ?」冗談めかしてテストを見ている母。
「真奈は頼れる大親友だもんね」そう言いながら、私だけを誘わない友達。
「真奈……」
期待から逃げ出したい。期待しないでほしい。もう疲れた。私はそう思って――どうしたんだっけ。あぁ、そうか。何もかも忘れたくて私は――。
「っはぁ……はぁ……」
嫌な夢だ。今のはなんだったんだろう。妙にリアルで気持ち悪い夢だった。最悪だ。
「なんてことがあったの」
「そっか……」
屋上でまた2人。隣に座って話していた。本当は自分の弱みなんて、悩みなんて、話したくなかった。けれど優しいソウの翼が背中をさすってくれていた。そうしたら、不思議と心の中に溜まったどろどろを吐き出せる気がした。
「怖い夢を見たんだね。不安だったよね」
「うん……」
「嫌なことは忘れよう。何がしたい?」
「今日は……そうだなぁ……えっと……」
「うんうん」
「コロッケ食べたい」
「うんうん、うん……?」
ソウは少し驚いた顔を見せたが、またいつもの笑顔に変わった。私は気づいてないふりをしつつ、ソウの肩にもたれた。
「1丁目にあるお肉屋さんのコロッケ。美味しいんだよ」
「じゃあそこに行こうか。つかまって!」
私は立ち上がろうとしたソウの手を掴んで止めた。
「まって。一緒に歩いていこう。」
「じゃあそうしようか」
一緒に建物から降りて、町へ向かう。懐かしい商店街を歩いていく。少しは寂れてしまったらしいが、それでも地元の人で賑わっている。
ソウの方をちらりと見ると、いつの間にか姿が変わっていた。天使の羽も、白いローブのような服でもない。黒髪にパーカーを着たふつうの青年に見える。
「びっくりした?」
私が目を丸くさせているのがバレてしまった。
「う、うん」
「こうしたら、ただの人間にしか見えないでしょ。こんな魔法もあるんだよ」
「へぇ。……魔法使えるって、なんかずるい」
しばらく歩くと、お肉屋さんに到着した。小学生の頃ここで弟と買い食いしてたっけ。それで、夜ご飯あんまり食べられなくて……お母さんにバレたっけ。
ふと、そんなことを思い出した。弟や家族のことをなぜかすっかり忘れていた。なぜだか分からないが、今やっと、家族の顔を今やっとはっきり思い出せた気がする。
「真奈?」
「あ」
「大丈夫?」
「うん。ちょっと……ぼーっとしてた」
「そっか。いいよ、ぼーっとしてても」
「いやいや、コロッケ食べたいからしゃんとするよ」
二人分、コロッケを買って店を出た。私の提案で、商店街近くの公園で食べることにした。熱々のコロッケは久しブリだなぁとしみじみ思う。
「いただきます」
「いただきます」
熱々で、サクサクしてて、じゃがいもが甘くて美味しい。
「久々にコロッケを食べたよ」
「そうなの?」
「ちょっと昔のお仕事でね。人間さんとね」
「へぇー……」
「あのときのコロッケぐらい美味しいよ」
がつがつコロッケを食べるソウに、弟の影が重なる。鬱陶しい弟。うるさい弟。でも根はいい子で真っ直ぐな……弟。優しいお母さん。ちょっと口うるさいこともあるけど、辛いときに支えてくれた。それに……お父さんも。お父さんなんだかんだ、私に甘くしてくれたなぁ……けど、だめなときはきちんと怒ってくれて……。
「家族に会いたいなぁ」
「え?」
「家族に会いたいな……って思ったら口に出ちゃった。変だよね……家に帰ったら会えるのにね」
私はそう言って笑ってごまかした。けど、ソウの目は私の瞳の奥をじっと見ているようで、そらしてしまった。
「きっと、元気が出た証拠だよ。僕らはそのためにいるんだ」
また、やさしく笑いかけてくれた。
「そうかなぁ……そうだといいな」
残り一口のコロッケを口を放り込んだ。
「明日は、何がしたい?」
「ねえソウ。私そろそろ、飛び降りたいんだけど」
「そんな物騒なこと言わないでよ〜元気出てきたところじゃん……と言いたいところだけど、君の選択を決める権利は僕にないんだ。君の自由だよ」
「……ありがとう」
「でも、せめてあと一日だけでも、僕に叶えさせてくれないかな?」
「そうね。あと一日なら、いいかも」
私は公園をブランコを揺らし、少し考えてみた。
今の自分は何がしたいだろう。旅行?でもそんなお金はないし。見たいものもない。食べたいものは食べた。どうしたらいいんだろうか。
「変なお願いしても……怒らない?笑ったりしない?引いたりしない?」
「そんな反応しないよ。今まで通り、ちゃんと聞くに決まってるじゃないか」
私は、こそこそと彼に耳打ちした。彼は少しだけ、悲しそうに目を伏せて……うなずいた。
「真奈。僕、真奈にしてあげたいことがあるんだ」
「してあげたいこと?」
「そう……僕からのプレゼントがあるんだよ。あと一日、僕にくれないか?」
私は笑った。
「死ぬまであと2日になっちゃうよ」
「そうだね。」
彼も一緒に笑う。
「ここ?」
彼に指示された時間、待ち合わせ場所に到着した。夜8時。街を見下ろせる裏山にある小さな公園。ここに来るのも久しぶりだ。最後に来たのは中1だっけな……?ソウはまだ来ていない。私は木製の古いベンチに腰掛けて待つことにした。
空には満点の星空。雲もなくすっきり見える。星空を見ていたら、またあの時みたいに、じぶんがちっぽけに見える。やっぱり自分っていうのは、つまらないクズのひとかけらにすぎないのかな。
いや……それよりも。今は星空を楽しもう。ソウのおかげで少し気持ちは前向きになった。死にたいのは相変わらずだが。多分私はそれでいい。
春とはいえ夜は少し冷えるな、と思った頃。バサバサと聞き覚えのある羽ばたきが聞こえた。
「ごめんね、待った?」
「ちょっと待ったかな」
「ごめんごめん」
いつもみたいに、私の隣にソウが腰掛ける。ふわっと舞い降りるように腰掛けていて、まるで天使のようだと今さら考えていた。
「寒くない?」
「ちょっとだけね」
ソウの翼が、私の体をまた包んでくれる。ふわふわで、暖かい。
「真奈。これを受け取ってくれないかな」
「これは……ピアス?」
桜の花の形をしたピアスだ。薄桃色で可愛らしい。
「そう」
「私、まだ開けてないよ?」
「もし開けるときになったら使ってほしい。使わなくても……お守りとして持っていてくれたらなって」
「ありがとう……!でも、私、これから死んじゃうのに」
「この瞬間のことを覚えてくれていたら、それだけでいいんだよ」
「……?わかった」
私は、小さな箱に入ったピアスをじっと見つめていた。薄暗い街灯に反射して、きらきら光っている。
「ねえ、ねえ……ソウ」
「ん?」
「ソウはもし、私が死ななかったら……どうなるの?」
空を見上げて、ぽつりと、いつの間にかつぶやいていた。考えるより先に口に出ていた。
「神様に報告して、天界に戻らなくちゃいけない」
「てことは、会えないの?」
「そうなるね……」
「そっか……じゃあ……」
私はまた、箱に視線を落とした。
「最期の願い事、してもいい……?」
「うん。いいよ」
「雲の上で、ソウに抱きしめてほしい」
私はソウの腕に掴まった。ソウは、優しく頷いて、翼を羽ばたかせた。
暗い雲の上。月明かりと星明りだけが私達を照らしてくれていた。ソウはただ、静かに羽ばたいていた。
「ねえソウ。」
私はか細い声で言った。羽ばたく音でいっそかき消されればいいのに、と思いながら。どうせこんなの、と頭を巡る言葉を押さえつけながら。
「なんでかな……私、私ね……」
ソウは相槌を打ってくれる。私のどんな話にも、頷いてくれる。けど、今はソウの顔を見られなかった。
「ソウとずっと一緒にいたい」
「そっか」
いつもの返事。いつもと同じで、でも、いつもよりどこか素っ気ない気がして。少し不安な気持ちは、心地よい夜風が流してくれるだろう。
「真奈。……僕も同じだから」
ソウは羽を巨大化させ、私を赤子みたいにくるんでくれた。いつもより、暖かい気がするのは私の気持ちのせいだろうか。ソウの優しさだろうか。
私はいつの間にか、眠っていた。
約束の日。
あの日、あの屋上で、私とソウは出会った。だから終わりもここにしようということでやってきた。ソウももちろん一緒に。二人で話しながら歩いていたものの、建物が近づくにつれて、静かになってゆく。屋上についた頃には、二人ともなにも言わなかった。
「さよなら……かぁ」
ソウが先に口を開いた。
「うん、ソウありがとう。」
「これが……僕の仕事だから。ね?」
ソウの頬がキラリと光ったけど、私は見てみぬふりをした。私は夢を見られた。大切な人ができて、少しの間幸せに過ごす夢を。
また浮かんだその一文に、心が痛くなって、ソウの胸に飛びついた。うまく声が出せなかった。私の目にも小さな雫が浮かんでいることに気づいた。
「じゃあ」
天使に手を引かれ、最期を迎える。ハッピーエンドだ。
私は目を閉じ、空中に羽ばたいた。
「……あ」
「……さん!……が!……です!ご家族を……」
「なに……?」
知らない天井だ。ここ、どこだ?私は何を?痛む身体を無理やり起こすと、そこは病室だった。看護師さんは部屋を飛び出していったのでいないし、どうしようかと思っていた。すると、お父さんとお母さんが切羽詰まった表情でやってきた。
「真奈……!真奈……!」
「よかった、ほんとうに……良かった……」
「何……?私、何があったの?」
「建物の屋上から飛び降りたって……それで……3日間も意識不明だったのよ?!運良くそのときは命に別状はなかったけれど、このあとは先生にも、どうなるかは分からないって言われて、本当に本当に……」
なにがなんだかよく分からないが、生死を彷徨っていたようだ。私は左手の違和感に気づき、手を開いた。手の中に、小さな桜のピアスがあった。
天使の翼は私を包む。 如月 @kisaragi_melon02
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