11:布団の中から出たくない
「最初は何月だったかなー。あのキャンピングカーに乗って、アカリがやって来たの」
世界の終わりに飲み続け、だべり続けているうちに、月の輝く夜になり、頬を染めたココがようやく、面長で流麗な顔立ちを少し傾げながら、愉快そうな思い出を浮かべ、愉快そうに話し出してくれる。
「京都にね、生き残ったひとが作った拠点があるんだって。アカリはそこの最初のメンバーで、病気レベルで猫が好きな、あたしよりも十も歳下の、初見三度見するくらいに、奇麗な女性だったよ。他の生き残りを探してる最中だって言ってた」
となりのアヤカを見ると、うっとりとした様子とぽわんとした表情で、ソファにもたれながらグラスを傾けている。可憐な少女が酔うと、なんだか年齢を超越した色気を感じさせられる。
「京都に来ないかって言われた。ひとも多いし、安全な環境も整ってるからって。でも、あたしは断ったよ。だって、猫置いて行けないもん」
そうれすよねと、回らない舌調でうんうんと同意するアヤカ。ソファの上には茶色とキジの二匹の猫がいて、アヤカの膝でくっついて眠っている。
「アカリも納得してくれて、その後も二度、捜索だかのついでに、うちに寄ってってくれたの。毎回ふたりで、朝まで飲みっぱなし。アカリも酒好きだったもんだから、終末を肴に酒盛り。楽しかったし、嬉しかったな。でも、アカリは東京で、消えちゃったのかなあ……」
足元にすり寄ってくる猫の喉を撫でながら、そのまま視線を落とし、寂しそうに語尾を弱めるココ。
「あの、京都って、ここからそう遠くないですよね」
「うん。すぐだよ」
「京都のその施設に行ってみたりとかは、してないんですか?」
「やだよ。大勢集まってるなんて、面倒くさいよ。だってまた、人間が集まったらさ、あいつが悪い、間違ってる、あいつはダメだ、みんなでどうしてこうしようとかっていうのが、また絶対始まっちゃうじゃない。そういうのは、もういいよ。無理強いして連れて行かれそうになったら、ここに立てこもって猫と死んでやるか、なんなら皆殺しにしてやるわ」
なるほどと頷く。アヤカも頷いている。
「あとどれだけ、ここでこうしていられるかわからないけど、それまで猫と酒に埋もれていられりゃ本望だわよ。できれば死ぬ時は、あっさり死なせて欲しいけどね」
なんだかこのひとは、自分たちと同じ匂いがする。その上明るいひととなりが、心を開かせてくれていた。
こんな出会いを見つけて、こんな風に生きてゆくのも、そう悪くない気がする。
けれども……。
「アカリはね、妬ましいくらいの美貌な上に、ウソのない素敵なひとだったけれど、ひとつあたしに、隠してたよ」
「隠してた、ですか?」
「生き残りの捜索の他に、なんかの調査もやってるとか、ぽろって漏らしたことがあったんだけど、それが何かと聞いたら、何でもないって、それきり話してくれなくなったの。あと、変なこと言ってたな。ここに居てねって。なるべくここから離れずに暮らしてねって」
何かの調査をしていたというのは、この状況ではおかしくもないだろう。けれども、ここから離れるなというのは、どういう意味でのことだろうか。
「あなたたち、京都のそこへ行くんでしょ? そこでそういうのも色々と、聞かせてもらうといいよ。ちゃんとしたひとたちが調べてるなら、終わっちゃった世界の謎なんかも、わかってるんじゃないかな。あたしはもう、そういうのどうでもいいけれど」
僕もどうでも良かったけれど、そこまでしっかりした場所であれば、アヤカを預けられそうだと期待する。
「そこには、何人くらい集まっているんですか?」
ひとつの町を形成するくらいの数だろうか。あるいは、もう少し多いのか。
「今は何十人とか言ってたかなあ……。百人は、いないって」
翌日、僕もアヤカも、これがそうかと感動すらさせられる、初の二日酔いというやつに遭遇し、昼どころか夕方までぶっ倒れ、起きることもできなかった。
「死にそう……」
「……殺して……今殺して」
橘邸の豪華な一室で寝かされ、水や薬を出して介抱してくれるココは、とても優しく温かかったけれど、ようやくふたりとも少し楽になった頃に、また酒を並べ出され、こいつは狂っているのではないかと訝った。夜の移動は危ないから今夜も泊まっていけと言われ、どうにか納得が追いついたけれど。
酒はもういいですと言う僕らの前に、あろうことか、熱々の鶏肉料理と、卵料理が出された。これは一体どうしたのかと聞く。
「クソ広いここの庭の奥の方に、鶏小屋があったのよ。今ではあたしが頭数増やして、猫どもに食べられないように大事に育ててる。それは、今朝つぶしたばかり。美味しいよ」
それとも、可哀そうだから食べない? などと嫌らしく言ってくるけれど、誰が食べずにいられるかこんなもの。
「……美味しい」
「今までで一番、美味しい……」
唐揚げも、蒸し鶏も鶏肉のレモンスープも、これまで食べたことがないくらいに美味しかった。鶏肉とはこんなに美味だったのか。それとも、これは特別な鶏なのか。
「普通のニワトリさんだよ。シメたてが一番美味しいの。あと、広い鶏小屋で走り回って遊んで、ストレスなく育った子だもん。感謝して、残さず食べてね」
おかげで食欲も回復し、ほんの少しだけと、出された日本酒に口をつけると、アヤカと思わず顔を見合わせる。
「……あの、これ、マスカットジュースですよね?」
「あ、果実酒ってやつですか? 甘くないし、ちょっと炭酸入ってるけど……」
ココがにんまりと、今日もいいリアクションだねえとほくそ笑む。
「吟醸酒の、君たちにも飲みやすそうなやつだよ。これは、奈良の酒蔵まで行って、持てるだけ持ってきたの。残りはこれだけ。人類最後のひと瓶」
悪質な罠のようにくり出される美食と美酒の魔手に、僕らはまたあっけなく搦めとられ、二晩目の酒盛りに付き合わされる。同じ量の水と一緒に飲めば悪酔いしないよとココに言われたけれど、そんなのはウソだと後でわかった。
最後は庭で、七輪で串に通した焼き鳥を焼いてくれた。寒い中で塩を振って食べるパリパリのそれは衝撃的なまでに美味で、ふたたび酔っ払った僕らはだらしなく緊張を消失させられ、星空の下で三人でいつまでも笑い合い喋りあかした。
「ココさん、きれい」
「ありがと」
昨日はそのままアメリカの強盗にでもなれそうな恰好をしていたココが、今日は黒を基調にしたパーティードレスをまとい、上品な化粧をしている。知的で麗しげなその変貌ぶりに、アヤカはすっかり見とれ、猫のようにまとわりついていた。
「服も好き放題集めててさ、一ヵ月分くらい変身できるストックあるよ」
見たいとせがむアヤカに、たのむからやめてくれと心の中で懇願する。これ以上長居させてくれるな。
「……ねえ、あなたも何か着てみる? 似合いそうなの、あるよ?」
「え? 僕がですか?」
そういう趣味はないですと断っていると、だって最初、姉妹かと思ったもんとココが言い、アヤカにほらあと笑われる。
「トシキも、連れてきたかったなあ……」
「亡くなった、あの子のお兄さん?」
アヤカがトイレに行っている間に、ぽつりとつぶやいた言葉に、ココが反応する。僕は頷く。
「そいつに託されて、僕、アヤカを守っているんですけど、僕、さっさと死にたいんです。いつも、今も、ずっと」
こんなに楽しいのに。こんなに笑っているのに……。
「あたしもそうよ」
折り畳みイスに長い脚を開いて座るココが、一体何杯目だという缶ビールを飲みながら言う。
「ひとがいなくなったからさ、ずっとできなかった自殺が、ようやくできるって思ったんだけど、今はもう、この子たちがいるからね」
足元で靴にじゃれつく仔猫を抱き上げ、甘噛みされながらへばりつかれるココ。細身のくせに大きな胸に乗せた仔猫の喉を撫ぜながら、ほんの少し寂しげな瞳を、どこか遠くへと浮かべる。
「あたしたち、仕方なく生きる理由を持ってでしか、生きられないのかもね。でも、それならそれでいいじゃん。それに従うようにしましょ。守るに値するくらいには、素敵な子じゃない」
そういう風に、プログラムされている……。トシキとの話を思い出す。
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