12:QUIT

 翌日も僕らは二日酔いとなり、今度は夜まで動けず、その日も橘邸に泊まらせてもらうことになった。

 もう一泊していけばと言う、ココの誘いを振り切り、四日目の昼にようやく僕らは、橘邸を辞すことにした。

「またいつでも来てね。東京に帰ることになったら、寄ってってよ」

 すっかり懐いた、とびきりブサイクな猫との別れを惜しむアヤカ。僕も鶏肉が若干名残惜しいけれど、これ以上滞在したら酒で身体が持たない。

「この先京都まで、高速道路使ってくといいよ。あたしもアカリも、何度も使ってるから大丈夫。あ、でも、速度は控えめにしてね。天気もまあ平気だと思うけど、雪降ったら絶対に走っちゃダメだよ」

 ココと別れ、橘邸の近くのインターから高速に乗る。ここから京都までは平時であれは二時間程度だという。

「やっぱり高速、早いな。こいつでも安心して飛ばせる。下よりもむしろ安全だな」

 しばらく冬晴れが続いていたけれど、空には低い雲が重く漂い始めていた。

「ココさん、いいひとだったね。すごく楽しかった」

 一生分くらい猫触ってきたというアヤカは、その余韻でまだ表情が緩んでいる。ここまでの道中、あまり体調は良くなかったようだが、すっかりと元気に見える。

「あそこなら、また行ってもいいな」

「猫いるもんね」

「いっそ、住ませてもらう?」

「……ううん、やっぱり、お兄ちゃんのそばから離れたくない」

 山の中をしばらく走ると、ほどなく京都の標識が出てきて、やがて市内に着いた。高速を降り、カーナビをたよりに、この車の出発地へ向かう。

 到着して驚いたのは、そこは大学の敷地内だったのだ。

「ここだよ。この車が来たのって、大学からなんだ」

 開いている大きな正門から車を入れ、高い講堂が並ぶ広大なキャンバスの中を、少し車を走らせる。

「広いな」

「小学校と、全然違う」

「どこへ行けばいいんだろ」

 ここで生き残りの人間たちが拠点を作っているのであれば、バリケードを組むなどして、侵入者に備えたりもしそうだが、そういった気配もなにもなく、悠々と構内に入れた。安全な場所である証拠なのだと思いたい。

「どこにいるのかな。この車が入ってきたのを、見つけてくれないかな」

 構内をしばらくウロウロすると、何台かの車が止まっている建物があった。これと同じようなキャンピングカーも止まっており、周りには台車やポリタンクといった、小林邸でもおなじみの収集道具が置かれている。

「あそこじゃない?」

「たぶん」

 車を止め、念のために食料漁りの時の装備である、分厚いツナギを身に着けて、拳銃も手にし、外に出る。冬の京都は底冷えがし、綿菓子のような雲が頭上を覆っている。

「焚き火の跡がある」

「バケツや水瓶が置かれてるな」

 この建物のそこかしこには、明確に現在の生活の痕跡がある。けれども、周囲を見渡しても、ひとの姿も見えず、物音もしない。

 ただ、気配はある。

「誰も、出てこないのかな……」

 アヤカが背中をつねり、しがみついてくる。怖いのだ。

 正直、僕も怖い。

「大丈夫だよ」

 どういうわけか、ここは本当に怖い。この変な気配は何なのか。ココの話からしたら、住人は危険な存在ではないはずだが。

「行こう」

 アヤカの手を握り、ゆっくりと、闇が支配する、建物の中に入ってゆく。

 ヘッドライトが照らす構内を歩き、どこへ行ったものかと周囲を伺う。

 強まっている気配に、おかしい、と思う。

 ひとが残っているのであれば、その気配はあって当然なのだが、なぜその主は声もかけてこず、姿も見せてくれないのか。

「…………」

 誰かが、僕らを見ている気がする。なぜか、アヤカの言葉を思い出す。


――ヘンなのがヘンな目つきでじーっと見てから、ヘンな顔して近づいてくるの。毎回必ず、それから始まるの――


 繰り返し経験してきた悪意を、僕らは肌で察知する。アヤカは増してゆくその濃度を感じ取り、こんなにも怯えているのだ。

 だめだ。ここから出よう。

 出口に向かおうと、身を翻したその時、死角から物質化したような気配が迫り、同時に、全身に感じたことのない激しい衝撃を受け、意識が飛んだ。


 目を覚ますと、薄暗い照明の点いた部屋の隅で転がされていた。両手足首は結束バンドで縛められている。

 視界の先、ベットの上で、アヤカが横になっている。

 全裸だった。ベッドのパイプに、両手を縛られていた。

 声を出そうとして、うなり声しか出せないことに気がつく。縛られているせいだけではなく、身体がおかしい。

 アヤカの横でベッドに座り、タバコを吸っている半裸の男が、僕の声に気がつき、目を向ける。

「……お、死んでなかったか。よしよし」

 くせ毛で、目が細く、頬骨の突き出た貧相な印象の男が、タバコを捨てて、拳銃を手にして言う。あれは、僕が持っていたものだ。

「ダメだよお、女の子なのに、こんなもの持ってちゃあさ。こっちも、ああするしかないじゃない。子供に撃つと、結構死ぬんだよ、あれ」

 部屋は汚く、荒れた生活の形跡がある。ベッドの隣の椅子の上には、映画で見たことのあるテーザー銃が置いてある。電極を発射し、電流を流して標的を麻痺させる、非致死性と言いながら、毎年多くの死者を出していた、制圧用の武器だ。

 その隣には、やはり映画で見たような、頭に装着するゴーグルのような機械がある。あれは、暗視スコープのゴーグルだ。

 暗闇で僕らを待ち伏せ、テーザー銃で撃って気を失わせた後に、ここまで連れてきたのか。なぜ、そんな真似をする?

「死んだら楽しめないじゃん。だからこの先は、大人しくしててね。とりあえず、妹さん味見しといたけど、すぐに次、お姉ちゃんの番だからね」

 こもって通りの悪い声で話す、男の表情からは、昏い愉悦が感じられた。

「ねえ、妹さんさあ、ちょっと大人しすぎじゃない? 人形みたいよ。いやあ、面倒がなくていいんだけどさ、もう少し、そういう時の、あるべきリアクション、ていうのかなあ……?」

 最後は笑いながら言うこの男は、僕らを姉妹だと間違っているのか。

 僕が気を失っている間に、抵抗できないようにしたアヤカを……。

 手足をばたつかせ、声を上げようとするけれど、テーザー銃を撃たれた後遺症か、声も出せず、身体もよじることしかできない。

「お姉ちゃん、怖いなあ。やっぱり歯を全部抜いてからね。危ないの嫌だからさ。じゃ、さっさとやっちゃおうか。とりあえずは、アキレス腱切っとこうね。アカリ用に、そのへんを色々と、プラン考えといたからさ。てか、車から出てきたのがアカリじゃなくて、こんなに可愛いふたりだったから、びっくりしたけど、むしろ歓迎だわ」

 椅子から立ち上がり、大ぶりなサバイバルナイフを手にし、どちらにしようかと、僕とアヤカを見比べる男。着膨れしている僕を面倒だと思ったようで、裸のアヤカに向き直る。

 ……そうそう、こういうの。

 こいつさ、こういう自分を、好きになれるのかなあ、なんて、小さい頃から、疑問に思ってたっけな。

 漫画やアニメで、ヒーローに懲悪される、わかりやすいザコキャラそのままじゃん、って。それでいいの? って。

 でも、実はこいつもさ、下品に動く性能のキャラクターに、ポジションとして振り分けられてるだけなんだよな。外見のデザインもそうなら、心のデザインもそう組まれてて、他にどうしようもできないんだよな。

 で、こんな最下層の悪党でも、自分以下の獲物を欲しがるから、そこに振り分けられる、どこまでも弱くて優しいキャラだっているわけだよ。そこから見える、この世界は、……うん、こんな風なんだね。トシキは誰よりも、この景色を知っていたんだろうな。あはは。こりゃ怒る気もしないわ。笑うしかないよな。

 そんなトシキの言っていた、プログラムという言葉。……ほら、こいつも、それの通りに、迷わずに動いてるよ。笑えるじゃないか。

 くすり。

 目が合ったアヤカが、笑った。

 つられて笑う僕に、アヤカの口元が、小さく動いた。

 楽しい?

 世界を創ったひと、どこかから見てる? ちゃんとあなたが作ったように動いてて、満足?

 くそったれの世界を作った、誰かに対し、何かに対して、恨みがましくもなく、ただ笑って問いかけている気がした。世界の向こう側へ。

「…………」

 なあ……。

 向こう側にいる、あなたさ。

 僕、初めて、あなたに向き合ってみるよ。聞いてみるよ。

 あなたは自分に似せて、僕らを作ったんだろ? だったら、心の形も、少しは似てるんだろ?

 ほんの僅かの生き残りの、僕の最後の声くらい、聞いてくれても、届いてくれても、いいんじゃないか?

 なら、一度くらい、聞いてみろ。

 その耳をかっぽじって、澄ませてみろ。

 首をねじり、全身に力を込めて、出なかった声を無理やりに絞り上げる。

「や、め、ろ!」

 アヤカの足首に手をかけていた、男の動きが止まり、ゆっくりと、こちらに向き直る。

「その汚い手で、アヤカに、さわるな!」

 自分の声の大きさに、自分でも驚いた。けれども、縛られて手も足も出ない僕が、どう言ったところで、何も変わりはしないだろう。

 いや、そうじゃないんだ。

 この男を通して、その向こう側で、モニターを眺めている、くそったれの製作者に訴えかけていた。届け、届け、届いてみろ。

 立ち上がった男の、細い瞼の中に、すう、と浮かんだまなざしは、もう、人間のものではなかった。

「ほお」

 もったいぶりながら近寄ってきた男は、何の躊躇もなしに、僕の顔を蹴り上げた。

「やめろ? なにそれ。……やめろじゃねえだろ?」

 さらに馬乗りになり、動けない僕の顔に、繰り返し拳を叩きつける。口が切れ、鼻血が出て、目が見えなくなる。

「なあんだよ……。何なんだぁ? 今の」

 男が狂相を、さらに歪めてゆく。怒りと苛立ちで、煮詰められた悪意が形になってゆく。

「バカじゃねえの……、言える立場かよ……、言えるわけ、ねえだろお! ああ?」

 尖らせた口の先から出しているような、ひどく聞こえ辛かった声が、激しく荒げられ、耳障りな怒声となる。

「ってか、気に食わねえなあ……。気に食わねえよ。あー、ムカつくわ、お前みたいなの。ああああ!」

 繰り返しでたらめに拳を振り下ろすけれど、痛めたか指の骨を折ったのか、顔を歪めて拳を押さえる男。

 それにさらに苛立ちを増して、今度は足で、僕の身体を所かまわず蹴り始める。息が上がると、ナイフをかざし、にやりと笑みを浮かべる。

「……もう、警察も何も、いねえんだよ? 俺さ、お前を、どうしちゃってもいいんだよ? お前さ、そんな俺に、今言ったこと、わかる? こりゃもう、どうされても仕方ないよなあ……。やってみたかったこと全部、俺遠慮なくできちゃうじゃん。へへへ……」

 かがみこみ、ナイフの刃を、僕の顔に突き付ける男の嘲笑。

 古いプログラムを呼び起こされ、そこからもたらされる、原始的な快感に、脳が痺れている。……こんな時に、どんな分析をしているのか僕は。まったく。

 アヤカ、届かなかったな。ごめんな。

「……どれだけ持つか、試さないとなあー。その、作り物みてえなツラだけじゃなくて、切れる場所全部、切れるだけ切ってあげようか。……残念だよね。他の人間はね、もう、いないの。つまり、助けてくれるひともさ、もう、いないんだなあー?」

「いるよ」

 背後で声がし、男はそれに反応しかけたけれど、ぱあんと、室内に銃声が響く。

 え……?

 物となった男の身体が、僕の上に落ちてきた。割れた後頭部から、おびただしい血が溢れ出し、床を濡らす。その向こう、ぼやけた視界の中で、誰かが立っている。

 ……届い……た?

 白衣を着て、眼鏡をかけた男性が、煙を上げた銃口をそっと下ろし、僕に言った。

「遅くなった。すまない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る